6 半落ち(2)

 幹生は、会議が今回の暴力行為一件だけを審議するのではなく、隠蔽されていた潮見の担任時期まで遡って検討する方向に流れようとしていることに満足していた。それは正当であり、当然であると思われた。その時、この四月に就任した校長が口を開いた。

「ちょっと言わせてください。イジメ問題はどんなクラスにも起こることなんです。だからそのクラスに関係する全ての教師が子どもの出すサインに気をつけ、何かあれば互いに情報を交換し合って対処していかなければならない問題です。この学校では生徒が問題を起こすと、担任の先生が申し訳ありませんと謝りますが、担任だけに責任がある問題ではありません。遅刻・欠席が増えたり、休み時間に教室に居辛いようだったり、ケガや服の汚れなどが目についたりする時は、いじめられているのではないか、という意識を持って、その生徒を見守ってほしいのです」


 校長はそこで発言を止めた。幹生は校長の発言の意図が分からなかった。これまでの審議の流れとどう噛み合うのか不可解だった。同様な戸惑いの雰囲気が議場に流れた。この校長はいくつかの公立の中学校の校長を歴任してきた人物だった。吉武の解任の後、女子部の校長が男子部の校長を兼任していたが、学園の理事長とのコネで彼が今年度から男子部校長に任命されていた。中学校に顔が利くので、生徒募集で力を発揮することを期待しての任用だった。彼は中学校と高校との違いがまだ呑みこめていないのか、職員会議などでは時折、トンチンカンな発言をした。特に生徒処分の審議では、自分が決裁者であることを自覚していないような発言が目立った。審議を進行させるような発言ではなく、一般教員と同じスタンスに立っているような発言をするのだった。一人でペラペラとしゃべりまくり、挙句に、「私が居ない方が審議が進むようなら、私は退席しましょう」と言って立ち上がり、教頭から引き止められたこともあった。この発言もその種のトンチンカンな発言の一つと言えた。

「イジメは早期対応が大事です」

 校長がまた口を開いた。

「早く見つけて対応すれば、それだけ解決も容易になります。被害も少ない。問題が大きくなれば解決するものも解決しなくなります。学校が受けるダメージも大きい。早期発見、被害者、加害者、及び双方の保護者への敏速な対応が必要です」


 校長はここで口を閉じた。教員達は沈黙している。イジメについての一般的な対応をここで話して何の意味があるのか。イジメについての自分の知識を示したいのか。幹生は大事な審議の進行を妨げるだけと思われる発言をする校長に、はっきり不快を示す表情を向けた。

「いや、余計なことを言ったのかもしれません。どうぞ、審議を続けてください」


 校長は自ら幕を引いた。審議は腰を折られた感じで、白けたような雰囲気が議場に漂った。

「えー、二人の先生から、もっと事実関係を調査、把握してから、処分を決めた方がよいという意見が出ましたが、どうでしょうか」

 教頭が校長の発言の前に話を引き戻した。その適切なリードに幹生は大きく頷いて応じた。

「どうしましょうか。この件はどうも根が深いようなので、もっと時間をかけて調査してから、改めて審議しましょうか。それとも、今日、この会議で処分を決めますか」


 教頭は再度問いかけた。幹生は発言しようかと思った。〈被害者は口を閉ざそうとしている。だからこそ調査をすべきなのではないのか。事実関係を明らかにせぬまま、この一件だけで処分を行えば、被害者を救うことにならないのではないか。イジメを根絶するためにも徹底した調査をし、処分を決めないと今後に禍根を残すことになるのではないか〉という発言内容も頭に浮かんでいた。しかし、一方で、自分が発言しなくても会議の大勢は既に再調査に傾いているという判断もあった。幹生がためらいの裡にある時、潮見が手を挙げた。

「すいません。ちょっと発言させてください。事実関係をもっと調査して審議するということですが、今、KもSも三年生で、進路を決める大事な時期にあります。言われることは分かりますが、今、再調査して、クラスの生徒に事情を聴取したりすれば、二人はもちろん、他の生徒にも動揺が生まれ、影響は当事者外にも広がると思います。三年生のこの時期、クラスの雰囲気が一番大切です。Kは今回の事件で、学校に居れなくなるような大変なことをしたと本当に反省をしています。もし同じようなことをすれば間違いなく退学になることを納得しています。Kの親はSの親に土下座して謝りました。Sもこれ以上事を大きくする気はないと言っています。確かにKのしたことは重大ですが、そういう当事者の状況、クラスの状況を考えていただいて、問題を長引かせずに、この場で処分を決めていただきたいと思います」


 再調査ということになれば、潮見の担任時期におけるKのSに対するイジメの実態が暴露され、ひいては彼の学級経営の有り様が衆目に晒されることになりかねない。潮見としてはそれは何としても避けたいことだった。潮見の発言に対して、先に「今度の事件も氷山の一角にすぎない」と述べた二年に所属する教師が再び発言した。

「確かに三年生は進路決定を控えた大事な時期です。しかし、それとこれとは別の問題だと思います。イジメは大問題です。被害者が事を大きくすることを望んでいないとしても、学校の対応がそこで止まっていていいのでしょうか。被害者が事を大きくする気がないというのも、加害者からの何らかのプレッシャーを感じているためかもしれません。私は、学校の取る措置としては、きちんと調査をして、実情をつかむべきだと思います」


 幹生は我が意を得たり、という思いで聞いていた。すると、校長が発言した。

「あのー、生徒から事実関係を聴取するというのはどうなのかな。生徒は本当のことを言いますかね。それは誰がやるんですか。方法をよく考えないと。無用なトラブルを起こさないようにね」


 何を言うのだ、と幹生は思った。再調査をするかしないかが問題となっているのに、再調査の方法に話を飛ばしてしまった。この校長は議論を撹乱させてばかりいる、と幹生は不快と怒りを覚えた。しかし決裁者である校長が再調査に消極的な態度を示したことは確かだった。それで再調査派の気勢は殺がれた。


 三年の学年主任の山口が手を挙げた。

「三学年の立場から発言させてもらいたいと思います。スタートを切って、ひと月半という時点でこんな事件が起きてしまったわけですが、進路を決める大切な時期なのに、気持に弛みがある、浮ついた気分があるというのは反省しなければならないことだと思います。ただ、クラスにおいては、担任、そして前担任の協力もあって、事件は当事者間においては既に解決している状態です。従って、これを再調査ということになれば、当事者間に新たなトラブルを生む恐れもあり、潮見先生が先ほど言われたように、クラスの結束にも影響を及ぼす恐れもあります。三学年としましては、こうした事件を早く乗り越えて、進路実現に向けて動いていきたいと思っていますので、できるならこの場での決着をお願いしたいと思います」


 この発言で、この場での決着を求める意見が俄かに勢いを得たような雰囲気となった。幹生は発言しようかと再び思った。〈自分の授業時間に事件が起きた形になっているが、それは偶然であって、この事件の根は深く、起こるべくして起きたものだ。自分はそれに巻き込まれたようなものだが、そうだからこそ事件の真相を知りたいと思う。Sに対するKのイジメが表に出たのはこれが初めてなのだから、この際、再発を防止するためにも、徹底した解明が必要だと思う〉という発言内容が幹生の頭に組み立てられたが、授業中の暴力行為の看過を正当化する臭味が我ながら気になった。それを抜いて言うこともできるが、そうすればそれは既に他の教員によって言われていることと同じになるとも思われた。仕方がない、この学校ではこの程度が限度なのだと幹生は諦めた。

「担任の先生はどうお考えですか」


 教頭が吉崎に訊ねた。それは問わずもがなのことだと幹生は思った。昨年の忘年会の余興で、吉崎は潮見が企画した裸芸に出た。五、六人の若手の男性教員が上半身裸になり、下半身はパンツの上に女性用の黒いパンストを穿くという扮装で、椅子の上に片脚を置き、身をくねらせるという出し物だ。潮見は「族」と称してこの種の出し物を毎年企画した。その時、吉崎の裸の背中には黒いマジックインキで「潮見の子分」と書かれていた。そんな吉崎に訊ねても、潮見と異なる意見を言うわけがないのだ。

「私としてはやはり、学年主任がおっしゃった方向で処置していただきたいと思います。クラスの状況について、まだ掌握できていないところもありますが、それは生徒を指導するなかで掴んでいくことができるし、そうするつもりです。よろしくお願いしたいと思います」


 吉崎は幹生の予想通りの発言をした。しかし当該生徒に責任を負う担任の発言はやはり重みを持つ。担任がそう言うのなら脇からどうこう言うことはないという意識を多くの教員は抱く。結局、再調査はせず、この場で処分を決定することになり、議論はKの処分に移った。


 退学という意見が出た。イジメを長期に渡って続けており、しかも内容は暴力的であるというのがその理由だった。その意見を述べた教員は、「校長先生、イジメは絶対に許されないんですよね」と最後に問いかけて発言を終えた。校長は就任後初の全校集会での訓話で、「イジメは絶対に許されない」と大声を張り上げて言ったのだ。それが自分の断固とした方針であるというように。その時も彼は奇矯な振舞いをした。彼は訓話のなかでもう一つ、服装をきちんとすることを生徒に求めたのだが、自らチェックすると言って壇を下り、生徒の列の間を歩きながら興奮気味に声を張り上げていたが、そのまま壇上には戻らず、訓話は最後の礼もないままに終ったのだった。少し調子者ではないか、と幹生はその時思ったものだ。校長は気づかなかったのか、「イジメは絶対に許されないんですよね」という問いかけには無言だった。潮見が反対意見を述べた。彼はその中で、事件が授業中に起きたということは学校側の管理責任も問われることであり、Kの側にだけ退学を求めるのは適切でないという趣旨のことを述べた。幹生は来たな、と苦笑を浮かべた。潮見は幹生の授業中における生徒管理上の落度を指摘しているのだ。守勢に立たされていた潮見が、危機を乗り切って攻勢に転じたのだ。確かに幹生の授業中にKがSを叩くという行為が起きたことは、幹生の隙であり、落度ということになるのかもしれない。幹生の存在が抑止力になっていなかったのだ。しかし、それは幹生にとっては当然なことだった。彼は授業中生徒に対して抑圧的に振舞わないように意識的に努めてきたのだ。それが皮肉な形で効果を表したということか。しかし、結果的には隠蔽されていたイジメが表に出てきてよかったではないか。たとえ、それに対する処置は不十分に終ったとしても。幹生はそう考えて自分を慰めた。潮見の述べた「学校側の管理責任も問われる」という理由には賛成者も出て、退学の案は否決された。結局、Kの処分は、今後不祥事を起こした場合は自主的に退学するという誓約書を出した上で、含み三週間の無期謹慎ということに決まった。


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