5 半落ち(1)

 職員会議が始まった。生徒処分の件が最初の議題となった。SとKの調書がそのままプリントされ、机上に配布されていた。調書そのものが職員会議で配布されるのは異例なことだった。


 先ず、生徒指導部長の松木が事件の説明を始めた。松木は、自分の弟の在校を何度も否認するSにKが腹を立て、Sを殴り、弟の在校を認めさせたと事件のあらましを説明した。弟のことはK達には関係ないことなので否認したとSは調書に書いていた。Sは弟には何か言ってくる者がいても相手にするなと話していた。松木の説明は今回の事件に限定して行われた。KのSに対する暴力行為は昨年から行われていたことをなぜ言わないのかと幹生は訝しんだ。


 次いで担任の吉崎がKとSの二人の生徒の出席状況・学習成績・生活態度等について説明した。Kについては、明るく活発で、クラスのムードメーカー的な存在であるが、時に逸脱した行為に及ぶ面があると述べた。担任になって一月半の時点であり、生徒についてまだよく掌握できていないとつけ加えた。


 担任の話が終ると、教頭が、これまでの説明について、事実関係その他で質問はないかと出席者に問いかけ、処分の審議に入った。正面の横一列の席に、校長、教頭、各部長、学年主任が一般教員に対面して座っているのだが、その向かって右端にいる教務部長が口を開いた。

「授業中に事件が起きていますが、どういう状況だったのでしょうか、説明していただきたいのですが」


 教頭が幹生の顔を見た。幹生は予期していたので、「はい」と答えて話し始めた。

「授業開始の礼が終わった頃、Sが教室に入ってきました。すると、Kや二、三人の生徒がさかんにSに声をかけました。はっきりしろ、とか、本当のことを言え、とか言ってました。特にKは興奮している様子でした。何かあったかな、と思いましたが、静かにしろと注意して授業に入りました。しばらくして、私が板書していたら、物音がしました。振り向くと、Kが立っていて、自分の席に戻ろうとするところでした。私は驚いて、お前、何をしているんだ、と訊きました。Kは答えずに席に着きました。授業中に動き回るな、と私は注意しました。授業に戻ろうかと思いましたが、物音とKの動き、それに授業開始時のKの興奮を思って、KがSの席まで行って、Sを叩いたのではないかと思いました。それで、そうKに訊ねました。Kはそんなことはしていませんと否定しました。Sの方を見ると、下を向いていましたが、特に変わったところは見られませんでしたので、授業に戻りました。その後、Sに関しては何事もなく授業を終えました。以上です」


 幹生が話し終えると、教頭が教務部長に、「よろしいですか」と確認した後、「Kという生徒はどんな生徒なんですか、先生から見て」と質問してきた。

 「このクラスは全体的に落着きのない、騒がしいクラスなんですが、Kはその中でも一番目立つ生徒です。学習意欲がなく、他の生徒に話しかけ、授業に全く集中できません。注意すればすぐ謝りますが、本心からではなく、同じことをくり返します。ああ言えばこう言う、というところがあって、弁は立ちますが素直さがありません。そういう生徒です。以上です」

 〈一番苦労している生徒です〉という言葉を呑みこんで、幹生は話を終えた。

「そうですか。苦労されてる生徒なんですね」

 と教頭は返した。隠した言葉を言われた幹生は苦笑を浮かべた。


 幹生はその後、授業中の出来事を説明した自分の発言を何度か反芻した。もともと担当する予定ではなかったクラスであり、この四月から初めて接したクラスだったことを言えばよかったと悔いた。Kに接するのも初めてで、Kが授業中に席を離れて動いたのもその時が初めてだった。そういうことを明確に言えばよかったと悔いた。つまり幹生は、自分がKやクラスの状況をまだ把握していない段階で起きたことであると出席者に理解させられなかったこと、また、授業中に生徒がいつも教室の中を動き回っているかのような印象を出席者に与えてしまったのではないかということを悔いたのだ。潮見のような管理一辺倒の教員には、授業中のこの出来事は幹生の生徒指導力の欠如、つまり教員としての無能を証明する恰好の事例となるはずだった。幹生は出席者がそんな印象を抱くことをできるだけ防ぎたかったのだ。


「何かご意見、ご質問はないですか」

 教頭の問いかけに女教師が手を挙げた。

「あのう、質問があります。そもそもなぜKはSの弟のことにそれだけこだわったのでしょうか。そしてSはなぜ弟の存在を隠そうとしたのでしょうか」

「どうなんでしょうか、これは。生徒部長、どうでしょうか」

 教頭は松木に質問を向けた。

「Kの話では、Sが自分にウソをついて、弟が一年に居ないと言ったことが一番頭にきたと言っています。弟にこだわったというより、ウソをつかれたことに腹を立てたと思います」

 松木が答えた。

「なぜ、それほど頭にきたのでしょうか」

 女教師は質問を重ねた。

「自分が馬鹿にされたと思ったからではないですか」

 松木はそれだけで言葉を切った。女教師は少しの間沈黙したが、

「KとSはクラスではどんな関係だったのですか」

 と質問を変えた。幹生は、松木はなぜ昨年起きた事件のことを言わないのだと、今度は強く思った。

「どんな関係、と言いますと」

 松木は問い返した。

「つまり、イジメのような問題はなかったのでしょうか」

 女教師は答えた。核心をつく言葉が出たと幹生は思った。松木は一瞬、何かを考えるような表情を浮かべたが、慎重な口調で、

「それは、あったようです」

 と答えた。幹生はいよいよ昨年からの経緯を松木が語り出すだろうと思った。ところが松木はそれだけで口を噤んでしまった。

「KがSをいじめていたのですね」

 と女教師は確認を求めた。

「そうです」

 と松木は肯定した。

「とすると、この事件はイジメに絡んだ事件ということになりますね」

 女教師は事件の性格を的確に把握した。

「あのう」

 という言葉とともに別の女教師が手を挙げた。教頭は「どうぞ」と発言を促した。

「KがSをいじめていたということですが、生徒指導部は何か具体的な事実をつかんでいるのですか。つかんでいるのなら教えてほしいのですが」

 幹生はもっともな質問だと思った。松木はまた何かを考えるような表情をしたが、

「それはつかんでいます」

 と答えた。しかし、発言をためらう様子が見られた。幹生は松木にプレッシャーがかかっているように感じた。それは潮見から発するもののように思われた。これは黙っておけない、と幹生は手を挙げた。

「去年も、KのSに対する暴力事件が起こっていたと聞きましたが」

 幹生は松木が自分に話したことを口にした。

「そうです」

 と松木は肯定した。そして何かふっきれたように話し出した。

「去年、KがSを傘で突き、Sが教室から逃げ出すという事件が起きています」

 会議室に、ホウ、という声や溜息が流れた。

「Sは過年度生で、その事実を自分からクラスで公表したのですが、それが仇となって、イジメのターゲットとなったようです」

 と松木は補足した。一年の学年主任が手を挙げた。

「その事件はどう処置したのですか」

「その時は担任が、その時の担任は潮見先生ですが、処置したそうです。生徒指導部はタッチしていません」


 松木が答えた。潮見の名前が遂に出てきた。潮見が手を挙げた。

「このクラスは去年まで私が受け持っていたクラスで、私の指導力不足でこんなことになって、担任の吉崎先生には申しわけなく思っています」

 潮見は先ず、詫びの言葉を滑らかな口調で述べた。

「Kは確かに手を焼かせる生徒ですが、基本的には明るく活発な生徒で、私は彼のそういう面を、逸脱を抑えながら、伸ばそうと努めてきました。が、結果がこんなことになったのは、やはり私の力不足と反省しています。あのとき、Kに十分な反省をさせたつもりでしたが、改善しきれていなかったということです」

 潮見はそう言って着席した。一年の学年主任が再び手を挙げて、

「十分に反省をさせたということですが、具体的にはどういう措置をとったのでしょうか。それを教えてもらえませんか」

 と重ねて問うた。潮見がまた立ち上がった。

「Kと一緒にSの家を訪ね、私がSの親に謝り、KにSへの謝罪をさせ、S本人と親の両方から許してもらったということです」


 潮見の答に対して、生徒指導部所属の体育科の教師が手を挙げた。

「その時、Sの親は、三度目は許さんからな、と言ったんですよね」

 と彼は言ったが、その声は少しくぐもり、潮見に個人的に問いかけるような口調だった。潮見は前を向いたまま答えなかった。質問した教師も重ねて訊こうとはしなかった。

「他にKのSに対するそういう行為はなかったのでしょうか」

 一年の学年主任が代って確認するように言った。

「私が関知しているのはそれだけです」

 潮見は今度は座ったままで答えた。

「あのう、すいません」

 と、さっき生徒指導部がつかんでいる事実を教えてほしいと発言した女教師が再び手を挙げた。「どうぞ」と教頭が応じた。

「被害者のSは何か言ってないのですか。Kから今までにされたことについて」

「これはどうなんでしょうか。生徒指導部はその辺は訊いていますか」

 教頭は松木の方を見て言った。

「それはSに訊ねましたが、済んだことを蒸し返す気はないと言って、本人は何も言いません」


 松木の答に、ウーンという唸り声があがり、沈黙が会議室を包んだ。二年に所属する教師が挙手した。

「この事件だけでKの処分を決めることはできないような気がします。KがSに行った行為についてもう少し事実を確認しないと。今度の事件も氷山の一角に過ぎないという気もします」

 すると、間を入れず、

「賛成です。この事件は去年から続いている深刻なイジメ問題です。根は深いと思います。本人が言わないのであれば、クラスの生徒に訊くなどして、事実関係をもっとつかんでから処置すべきだと思います」

 と一年の学年主任が発言した。

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