第 2 部
1 あなたは私の
年度が変り、幹生は第三学年に所属した。本田とは何とか発火せずに一年間をやり過ごすことができた。第三学年の机の列は職員室の右側を占め、その列の左端は職員室のメイン通路というべき最も幅の広い通路に接していた。もう一方の端は椅子の後ろにロッカーがあったが、その間には十分な間隔があった。従ってどこに座席が指定されようと誰にも気兼ねすることもなく自分の席に座り、また席を立ち離れることができた。幹生は最も大きなプレッシャーから解放されたのだ。おまけに本田は隣ではなく、同じ学年とは言え、机二つを隔て、更に通路を挟んだ隣のブロックに遠ざかった。頃末の席は昨年度のままで動かなかった。幹生は二人からの離脱に安堵の息をついた。
職場に居て、幹生は最近しみじみと人間関係の欠落している自分を意識するようになった。会話する相手がいない。半日学校に居て、用件以外で他者と交わした会話があったかと、思い返しても、思い浮かばない日が多い。これが報いなのだなと幹生は思う。周囲の人々を見ると、つまらないことで色々と話を交わしている。幹生より年下の教員が殆どになっているが、彼らだけに通じる話題で盛り上がっている。なるほど、これが人間関係なんだなと幹生は思う。人間関係はその潤滑油としての会話を必要とするのだ。こうした捉え方が幹生にはなかった。彼にとって他者との会話は、その他者との交流だった。それは人間関係を保つための手段ではなく、会話それ自体、交流それ自体を目的とするものだった。幹生には人間関係について、そのメンテナンス、あるいはケアという発想がなかった。職場での人間関係は、仕事に密接している。自分の仕事がしやすいように、自分にとって事が有利に運ぶように、人々は人間関係を取り結ぼうとしている。だからメンテナンスやケアが必要になるのだ。どうでもいいようなことについても人々は会話をする。話の内容よりも、会話をしているということ自体が大切なのだ。それは二人の間に会話が交わせる関係が維持されていることの確証だ。それが業務の円滑な遂行を保障する。
幹生は人間関係を職場での己の生きやすさのための手段にしたくなかった。彼にとって人間関係は手段ではなく、人間の幸福の一大部分を成す大切なものだった。従って彼は人間関係を取り結ぶべき相手を選択した。誰でもいいというわけにはいかなかった。それは自分が好感を持て、人間的に興味が抱ける相手だった。反発や嫌悪を覚えさせる人物は選択から外された。それが彼の「個人原理」だった。ロマンチストである彼はそのことに潔癖だった。
好感や人間的興味を抱かせるものの内容は単純ではなかった。先ず、幹生の好みがあった。彼は傲慢な人間は嫌いだった。攻撃的な人間も嫌いだった。温和で、威張らず、控え目で、誠実な人間が好きだった。思想的にはリベラルであることが外せない条件だった。全体主義的、国家主義的な臭いのする人物は除外された。六十人余の教員の中で、幹生の選択範囲に残る人物は五・六人しかいなかった。これらの教員はいずれも「主任」とか「長」とかが付くポストからは外れていた。
幹生はこうして職場の同僚と選択的に交際してきた。教員という職業は独立性が高いので、単独でも職務の遂行が不可能ということはない。だから幹生のような在り方をしていても、教員を続けることができたのだろう。と言っても、私立学校には教員の異動はない。同じ枠の中に十年、二十年と居れば、お互い相手がどんな人間かは分かってくる。幹生の志向も周囲の教員によって見透かされてくるだろう。その結果が、現在自分が置かれている孤独なのだと幹生は考えていた。
その日は「バス遠足」の日だった。三年生は大学受験の合格祈願を兼ねて、「学問の神様」が祀られているD神社を訪れることになっていた。バス八台を連ねて行くのだ。当日の朝、学校最寄りの鉄道の駅から生徒の集合場所になっているテーマパークの駐車場まで、いくつかのポイントに教員が立って、生徒の通行整理・誘導に当った。幹生に割り振られたのは駐車場に続く小路に入る地点だった。そこには幹生の他に学年主任の山口と理科の教員の敦賀が立つことになっていた。幹生が一番早くそのポイントに着いた。山口が少し遅れてやってきた。幹生は挨拶をしようと思ったが、山口は目を合せようとしない。二人は生徒が来る方向を向いて、離れて立った。山口は幹生より十歳以上年下である。出身高校が同じだった。つまり幹生の後輩だった。山口が学校に新規採用された時、幹生のところに挨拶に来た。幹生が高校の先輩であることを知ったからだ。よろしくお願いします、と頭を下げる山口に、幹生はいい返事をしなかった。幹生は同窓であるということだけで括られる人間関係が嫌だった。二人の個人の間に人間としてつながるものが何もないのに、同窓ということだけで、〈和〉として括られるのは虚偽だと思っていた。それで、「僕は同窓は関係ないんだよ」と答えてしまった。それが最初の躓きだった。確かに山口は幹生の好みに合う人物ではなかった。だからこんな出会いがなくても、幹生の交際対象にはならなかっただろう。しかし幹生は、その後の山口への対応では、好みに合うか合わないかということより、「同窓は関係ない」という自分の言葉に縛られてしまった感がするのだった。出会いでの躓きの後、山口の態度は幹生に対して反発的になった。それは幹生の予期していたことだった。そんな山口に対して、幹生は自分の言葉を貫こうと一層ムキになった面があった。山口への態度が殊更に冷淡になってしまった。そんな痛みのような感覚が山口に対する時、幹生の胸には波立つのだった。
敦賀がやって来た。敦賀は山口には挨拶をしたが、幹生にはしなかった。敦賀と山口は並んで立って話し始めた。敦賀は山口より更に十歳ほど若かった。二人を眺めて、これが日頃から話を交わしていることのメリットなのだ、と幹生は思った。すっと会話に入れる。これが人間関係のメンテナンスの効用なのだ。幹生もそれは認めざるを得なかった。
幹生は知りたいことがあった。今日の昼食はどのようになるのかという疑問だった。昨日からそれは気になっていたが、同じ学年の教員に抵抗を覚えずに訊ねられる者がいなかった。日頃話を交わさないでいると、こんなことも訊ねにくくなるのだった。どこかで食べられるだろうと考えて、幹生は弁当を持ってきてなかった。幹生は山口に訊いてみようと思った。山口は学年主任として、そんな情報は本来事前に学年所属の教員に流しておくべきなのだ。しかし、訊いてもまともに答えてくれるだろうかという不安が幹生にはあった。山口にものを訊ねて、要領を得ない返答しかもらえなかったことが何度かあった。しかし、訊ねて悪いことではないし、遠慮する必要もないことだと考えた。昼食のことしか考えないのかと思われるかなという顧慮も生まれたが、それは一笑に付した。幹生は山口に近づき、「昼食はどこでとるのですか」と訊ねた。実は後輩に丁寧語を使うかどうか幹生は迷った。もともと幹生は、社会人同士であれば対等であり、年齢によって言葉遣いを変えるべきではないという考えをもっていた。しかし、相手が後輩である場合、「同窓は関係ない」と言いながら、抵抗を覚えるのだった。これは幹生が抱える矛盾だった。この後輩が学年主任であるということも問題の陰影を濃くしていた。山口は上昇志向が強く、実際、幹生より上位の地位に立つに至った。それで、山口に対する対応は幹生の心理操作に更に複雑さを加えていた。結局、つまらぬ意地は張るまいと幹生は思って丁寧語を使った。こういう状況で丁寧語を用いないでものを訊ねるのはいかにもぞんざいで、険があるように感じられもした。
幹生の疑問の趣旨から言えば〈今日の職員の昼食はどうなっているのか〉という訊き方をすべきだっただろう。職員はどこで、どのように昼食をとるのか。各自銘銘、食堂などに入って食べるのか。あるいは、可能性は少なかったが、弁当が支給されるのか。幹生はそんなことが知りたかったのだ。しかし、山口との人間関係のぎこちなさが幹生を緊張させ、冷静に適切な言葉を選ばせるゆとりを奪った。山口の答は「Dでとります」だった。幹生の質問には確かにそれで答えたことになるようだった。しかし幹生には何も明らかにならなかった。D神社に正午に着く予定でバスを走らせるのだから、昼食をD(地名)でとるのは当然だった。
人間関係がないとこのようなことになるのだった。知って当然のことも訊ねにくくなるし、相手もまともに答えてくれない。しかし、人間関係のありようが必要な情報の取得に影響するのはおかしいと幹生は思う。人間関係がどうであれ、職務の遂行に必要な情報は公平に流してほしいし、扱いも公平にしてもらいたいものだ。しかし、そうはならない。それが分かっているから人々は人間関係のメンテナンスに気をつかうのだ。こうして日本人の人間関係は限りなく手段なのだ。だから人々は不幸なのだ。
幹生は定年が近くなって、人間関係がないことの報いをいろいろと感じるようになった。
幹生が自分たちとは人間関係を作る気がない人間であることが分かってくると、周囲の人々もそうした対応を返してくる。幹生も今さら態度を変えることはできない。それは滑稽だし、結果も決してよくない。今まで、お前など相手にできるか、という態度をとってきた者が、急に愛想よく話しかけても、それは媚びているとしか受け取られない。そして侮蔑が返ってくるだけだ。幹生もそんな気はない。
幹生も年を取り、手段としての人間関係を頭から否定しなくなっていた。仕方がない面がある。やむを得ない面がある。生きる知恵でもある。なぁーに、それは挨拶と同じだ。何もこだわることはない。人は人と会えば挨拶を交わす。それと同じだ。誰とでも気軽に会話しろ。彼はそんなふうに思うこともある。しかし幹生にとっては挨拶すら個人的な意思の表明だった。挨拶にも一人の人間の、一人の人間に対する思いが籠っている。だから幹生は嫌な人間には挨拶をしなかった。幹生は生徒にも挨拶を求めなかった。強いられた挨拶は受けたくなかった。心からの快い挨拶を交わしたかった。それができないのであれば、むしろ挨拶はしないほうがよかった。そんな考え方をしてきた自分であれば、現在の苦衷も、これまでの生き方の決算として甘受するほかないと幹生は思っていた。孤独と不安と不快に苛まれながらも、底には諦めきった、さっぱりした思いがあった。
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