16 転落
年度末、と言うより既に四月に入って、来年度の始業式が数日後に迫るという時点になって、奈良井が辞職した。そのとばっちりで、奈良井が受け持つはずだった週四時限の授業が幹生に回され、同じクラスに週八時限も教えにいかなければならなくなった。
その後、広木を介して、幹生は奈良井の突然の辞職の事情を知った。奈良井は不倫をしていたのだ。相手は女子部の生徒の母親だった。奈良井はバスケット部の顧問をしていたが、部員の母親だった。女生徒は母親と奈良井との関係を知り、悩むようになった。母子家庭だった。女生徒は次第に学校を休むようになった。部活の同輩に理由を尋ねられた彼女はその悩みを漏らした。悩みを打ち明けられた生徒はそれを保護者に話した。何人かの保護者が結束して、奈良井に不倫を止めるように申し入れた。奈良井は承諾した。しかし、言葉とは裏腹に彼は関係を断ち切ることが出来なかった。遠く離れた場所で、一層秘密裏に会うようになった。しかし、それは保護者たちに知られることになった。二人が関係を続けていることを察知した保護者達は二人を尾行していたのだ。彼らは怒り、教員にあるまじき行いとして奈良井に辞職を迫った。奈良井は開き直って、辞職を拒否した。保護者達は辞職しなければ事実を世間に公表すると奈良井に通告した。辞職の期限は年度末だった。奈良井はぎりぎりまで辞めなかったのだ。
奈良井には部費の不正流用の事実があり、昨年の一学期末にバスケット部顧問の任を解かれていた。その後釜に据えられたのが広木だった。広木は何で自分が、とこぼしながらもその任についた。その関係で、奈良井の退職の事情も広木の知るところとなったのだ。部費の不正流用についてはバスケット部の保護者の間から疑惑の声があがっていた。その時から保護者たちは奈良井に不信の目を注いでいたのだ。不正流用の事実が明らかになった後、部員の保護者たちを集めて、説明と謝罪の会が開かれた。それに奈良井とともに代ったばかりの広木も出席しなければならなかった。事情の分からない広木は、針の筵に座らせられているような思いをしながら、ひたすら沈黙していたという。
奈良井は部活の顧問は解任されたが、進路部長という地位には変更がなかった。幹生には納得のいかないことだった。横領罪に相当するようなことをした者が、部長のポストにそのままいていいのか、という疑問だった。校長・教頭である吉武、蜂須賀は奈良井について何の措置もとらなかったのだ。奈良井が進路部長を解任されたのは吉武、蜂須賀の解任と同時だった。
奈良井はやはり傲慢になっていたのだろうと幹生は思った。吉武・蜂須賀体制が出来、自分の前途も安泰という思いがあったのではないか。少々羽目を外しても乗り切っていけるというような思いが。その兆候はあった。奈良井は顎鬚を伸ばし始めたのだ。教員のなかにヒゲを生やしている者は誰もいなかった。明文化されてはいなかったが、それは控えるべきことと教員の間では意識されていた。ところが何を思ったのか、奈良井は顎鬚を伸ばし始めた。そして管理職を始めとして、それを注意する者がいなかった。彼はしばらくの間鬚を生やしていた。それは不倫をしていた期間と重なっていただろう。
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