10 策士(2)
幹生は潮見ともう一回衝突した。その日の一時限目の授業は潮見のクラスだった。幹生はいつものように授業開始時刻の三分前に職員室を出た。廊下を歩いている途中でふと悪い予感がした。潮見が朝のホームルームを長びかせるのではないかという予感だった。潮見は生徒に説教するのが好きな教師だった。教室に着いた幹生は廊下で待機した。一時限目の始業のチャイムが鳴った。しかし教室では潮見の朝のホームが続いていた。潮見の大きな声が廊下まで聞こえていた。そのクラスは前年まで幹生が担任をしていたクラスだった。二、三人の入れ替えがあったが、他は前年と同じ顔触れの生徒達で構成されていた。その生徒達に潮見は今、彼流の教育を注入しようとしているのだった。自分が去年一年間かけて生徒の中に培ってきた生活や学習についての考え方や態度が壊されていくと、潮見の声を聞きながら幹生は感じていた。
授業開始の時刻から五分が経過した。潮見の朝のホームが五分間幹生の授業に食い込んだのだ。これまで数度潮見のホームが授業に食い込むことはあったが、五分を越えることはなかった。予感が当ったなと幹生は思った。潮見は授業中の態度や大学受験に対する心構えを説いているようだった。教室の黒板側の入口の引き戸の上半分に嵌ったガラスの部分から、幹生は二、三度、教卓の前に立つ潮見の様子を窺った。その度に生徒の何人かが廊下の幹生に視線を向けた。それで廊下に幹生が待機していることは潮見にもわかったはずだった。潮見は幹生の方には見向きもせず話を続けた。「受験は団体戦」などと声の調子は次第に高まるようだった。それはあたかも廊下の幹生まで聞かせようとするかのようだった。幹生は不快感を怺えながら、十分を過ぎたら文句を言わなければならないなと思った。黙っているとそれでよしとされてしまうのだ。
十分を過ぎて、潮見はようやくホームを終えて出てきた。幹生を見ると軽く一礼して通り過ぎようとした。
「授業時間にあまり食い込まないようにしてもらえませんか。十分も食い込みましたよ」
幹生は思い定めていた通り文句を言った。潮見は驚いた表情をちょっと見せたが、すぐムッとした顔付きになり、
「担任には言わなければならないことがたくさんあるんですよ」
と言い返した。
「時間はいつだってあるでしょう。帰りのホームで時間を取って話すこともできるでしょう」
「あんたねぇ、そんなことだからこっちが苦労するんです。このクラスはいろいろ言わなきゃいけないんです。基本的なことが身についていないから」
潮見の言葉は、前年担任だった幹生がいい加減な指導をしたお陰で自分が苦労していると言っているように幹生には聞こえた。
「それはどういう意味かね。」
と幹生は気色ばんで訊ねた。
「じゃ、このクラスをどう思ってるんです。いいクラスですか。」
「さあ、それはどうかな。見方はいろいろできるだろう」
「見方はいろいろできるなんて言っているのがおかしいんですよ」
「何もおかしいことはない。生徒を一面的に見るべきではない」
「言葉ではどうのこうの言えますよ」
その言葉を聞いて、幹生はこんな場所でこの男と議論しても仕方がないという気がした。
「とにかく、私が言いたいのは人の授業に十分間も食い込まれては困るということだ」
その時隣の教室から同じ学年に属する若手の教師が出てきた。
「やめてください。こんな所で」
彼はそう言って、幹生と潮見の体に手を当て、二人を遠くへ押しやるようにした。その行為は、二人の口論が授業中の生徒の耳に届いていたこと、それが彼にはとてもみっともない、教育上も有害な事柄であると思われたことを示していた。二人は沈黙した。幹生は潮見を見た。まだ何か言うかなと思った。幹生は授業をしなければならなかった。潮見は黙って職員室に戻っていった。
幹生は教室に入り、教卓の前に立って生徒達の顔を見た。この生徒達は廊下で展開された現担任と前担任との口論を聞いていたのだ。幹生はさすがに面映ゆい気がした。しかし、しっかり自分を支える内部からの昂揚を感じていた。幹生にとって潮見は教育上否定すべき対象だった。その管理主義的志向といい、生徒を学習の主体と捉えず、教師による操作、知識注入の対象としてのみ見る生徒観といい、幹生の考え方とは全く相容れない立場に立つ教師だった。その潮見と生徒の前で公然と対立したということは、自分の教育的立場を鮮明にしたことであり、胸を張れることだと幹生には思われた。昨年一年間、中には一年生時を含めて二年間、担任の幹生の下で過ごした生徒もいるが、その生徒達に自分の考え方はある程度浸透していると幹生は思っていた。逆に言えば彼らは潮見のやり方になじめぬものを感じているはずだった。その証のように、教壇に立って眺める生徒達の眼差しに、幹生は自分を責め、咎めるものを認めなかった。むしろ、先生、やったね、と微笑んでいるような眼差しに出くわすのだ。しかし、生徒は担任には逆らわない。進学や就職で担任の世話になる三年生は特にそうだ。だから潮見と幹生の対立において、生徒が表立って幹生の側にたつことはない。そういう面で生徒は賢いものだ。幹生にもそれは分かっていた。生徒の立場に立てば、関わりのある二人の教師の対立の中に置かれることは不幸なことに違いなかった。やはり二年、三年は同じ教師が担任をするべきなのだ。二年間をかけて生徒を見つめ、生徒も担任になじみ、それが進学や就職という進路決定に生きてくる。二年の担任は基本的に三年に持ち上がるというやり方にはそういう含みがあるのだ。その原則を、チクリや、清掃という教師に要求される能力とは本来的に別なもの、あるいは意図的な批判によって崩した校長の大林の不明こそ責められるべきことだと幹生は思うのだった。
口論の続きで潮見が何か言ってくれば受けて立つ気でいた幹生だが、その後潮見は何も言ってこなかった。この件では自分に非があることを潮見は知っていたのだ。
潮見は職員会議でよくこんな発言をした。予定された議題の審議が終了し、「その他」の項目になった時、彼は挙手して立ち上がる。
「口幅ったいことを言うようですが、そして私自身、完全にできているわけではありませんが、やはり生徒の指導は授業が基本だと思うんです。一人の生徒も私語をしない、また寝ていない、そういう授業が本当に出来ていることが大切だと思います。そういう授業こそ本当に追求しなければいけないと思うんです」
また始まったな、と幹生は思うのだった。「私自身、完全にできているわけではありません」などと言っても、何度もこういう趣旨の発言を繰り返せば、彼はそういう授業を常に目指しているし、ある程度実現してもいるのだろうという印象を与える。自分が全くできないことを人は繰り返して主張はしないからだ。
「私は何度かこういう主張をしてきたのですが、いつもその追求はあいまいにされてきたと思うのです。しかし、これはあいまいにされてよいことではありませんし、学校としては本気になって取り組むべきことだと思います」
「もちろん授業は教員個々の責任においてなされるべきもので、授業中の生徒の行動・態度については授業をしている教員に指導の責任があるわけですが、と言って、個々の教員任せにしておいたのでは、事態は改善されない。現に、生徒の私語が多くて教員の声が聞こえない、あるいは教室の生徒の半分近くが寝ている、というような授業があると私は聞いています」
一人の生徒も私語をせず、また居眠りもしない授業、と潮見は当然のように言うのだが、彼はその難しさがわかっているのだろうか、と聞いていて幹生は思わざるを得ない。幹生にとってそれはクラスの全ての生徒が自主的・自発的に学習意欲を持って授業に臨んでいる状態を意味していた。しかしその状態は教師にとって目指すべきゴールではないのか。そういう授業を実現させるために教師は様々な努力や工夫をするのではないか。教員の営為とは正にそのプロセスそのものだろう。ところが潮見の言い方を聞いていると、そういう理想状態は何らかの方策によってすぐに実現可能なことと考えられているようなのだ。むしろ潮見の考えでは理想状態は出発点と位置づけられているのだ。全ての生徒が私語をやめ、居眠りをせず、授業に集中する。そうなってから初めて真の授業が始まるというように。潮見にとって授業が到達すべき理想状態は、逆に授業の前提なのだ。その考えに立って彼は私語を許す教師、居眠りを許す教師を攻撃するのだ。授業の前提さえ作れないダメ教師だとして。しかし、生徒に私語や居眠りをさせないものは授業そのものの力ではないのか。だが、真の授業はその後で始まるというのであれば、生徒を沈黙させ、しかも眠らせない力は授業以外の力ということになるのではないか。
「おっしゃる通りです。授業は学校生活の中心ですから、
議長役の教頭が話を引き取って議事の進行を図る。
「いや、私にもこれという明確な案はないのですが、ただ、これまでのように教員個々の努力に任せていては何も変らないと思うのです。反発が出るかとも思いますが、騒がしい授業、寝ている生徒の多い授業には、サポートする教員を付けるなどの態勢を取ることが必要だと思います。運営委員会ででもいいですから、ここら辺りで本気になって対策を立ててもらいたいと思います」
ここまできて潮見の意図が明らかになる。彼は教員の間にサポートが必要な「ダメ教師」と「できる教師」の区分を持ち込みたいのだ。提起者の潮見自身はもちろん「できる教師」の区分に入る。潮見は強い上昇志向の持ち主だった。彼の目標は運営委員会のメンバーになることだった。そのためには私文やスポーツクラスの担任をして、部活の顧問であるということだけでは不十分だった。あらゆる場面で自分の教科指導力や生徒指導力をアピールする必要があった。彼が授業を強調するのもその意図が含まれていた。彼は所属教科の中でも存在を主張し、特進クラスの授業を多く受け持っていた。彼の当面の目標は特進クラスの担任になることだった。授業中に私語や居眠りをする生徒がいる教員(それが大多数だが)は潮見の提案に怯える。もし潮見の提案が通れば自分にもサポートが付けられるのではないかと不安を抱くのだ。サポートが付けば「ダメ教師」のレッテルを貼られたようなものだ。幹生も潮見の提案が実施された場合を考えると、不快な思いに包まれた。また、サポートの教員を付けるということは複数の教員で生徒に対するということで、生徒が私語も居眠りもしないという状態が生徒の自主性によって支えられるものではなく、教師の威力による管理に依拠するものであることも明らかになる。強制力によって実現する、つまり形としてだけ実現するものであるから、理想状態は簡単に実現すると潮見は考えるのだ。しかし、学校という場所では潮見流の意見が大手を振るうのだ。そこは何よりも形が優先される場所である。
「それではご提案の件、今後の検討課題とさせていただくということでよろしいでしょうか」
教頭がこの件を締め括ろうとしている。潮見の発言は前回もこのような形で締め括られたのではなかったか、と幹生は思う。結局、潮見のこの趣旨の発言はデモンストレーションと考えていいのかもしれない。自分がいかに授業という基本を大切に考え、日々実践しているかをアピールすることに意味があるのだ。その効果は潮見を生徒指導力、生徒管理力のある教師だと見る見方が教員の間に広がることで表れていた。潮見は自己存在の顕示については意識的な教員だった。職員室で他の教員と雑談している時でも、彼の声は一段と高く、その中に、「生きるか死ぬかの気持でやらないとダメよ。今の教育は」とか「教員自身がダレル状況を作っている。せっかくの生徒の気持をだめにしている」など、自分の教師としての姿勢をアピールする言葉が必ず入るのが特徴だった。
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