4 不満だらけの牙
4 不満だらけの牙
席に着いた本田が「馬鹿ばっかりがっ」と吐き出すように言った。また何か気に食わないことがあったようだ。彼はいつもこの種の罵言を口にしている。学校で起こることの殆どが本田にとっては不満の種だ。朝礼が始まり、教務部長が発言を始めると、本田は「アー、アンッ」と喉の痰を切るような声を上げる。そして忌々しげに「チェッ」とつけ加える。教務部長の発言が長くなるようだと、「おかしなことを言うな」とか、「○○はどうなったんか」などの言葉が出るようになる。そんな言葉とともに、机上にノートや鍵などを乱暴に放り出すこともある。本田は教務部長の平山と衝突したことがあり、反りがあわない。隣で幹生はうるさいなと思う。本田はかって校長の吉武や教頭の蜂須賀とも衝突をした。本田の大きな声が校長室の壁を越えて職員室に響いたことがある。職員室の中でも何度か他の教員と怒声を上げて口論をしている。こうして本田は乱暴者のイメージを周囲に与えていた。従って敬遠される存在だった。それが幹生と離れている間に本田が積み重ねた履歴だった。
本田の罵言は結構周囲に聞こえるのだが、教員たちは知らぬ顔をしている。幹生もそうだ。本田と仲のよかった頃であれば彼の不満に対して何か言葉を返していただろう。しかし今の幹生には本田を相手にしても仕方がないという思いがあった。不満を言い、批判はしても、本田に学校をよくしようという筋の通った考えがあるわけではなかった。それは彼の保守政治に対する批判と共通していた。彼の不満は言ってみれば学校で主流派となっている人間への生理的反発のようなものだった。本田自身、いい加減なところの多い教師だった。彼の試験はプリントからの出題だった。プリントを配布して、その中から「ここが出る」というところを指定して出題するのだった。生徒には丸暗記だけが求められていた。彼の口癖は「馬鹿には何を教えてもわからんよ」だった。彼は教員と同じように生徒も馬鹿にしていた。その癖、非常勤講師が長かった彼は、親のコネで県会議員を動かし、県教委からきた当時の校長に話をねじ込んで専任となった。自ら「馬鹿の集り」と罵る集団の正規の一員になったのだ。
本田は年下の教員は呼び捨てにした。特に同じ教科の若い教員はそうだった。大した貫禄だと幹生は思った。それは昔の本田には見られなかったことだった。校長や教頭と渡り合ううちに身につけたものなのだろう。本田の傲慢さに変化はなかったが、それにふてぶてしさが加わったようだった。
彼は所属教科の中でも異端的存在だった。教科会議では全体的流れに異を唱えることが多く、自分が反対したことが決定されると、「俺はせんよ」と公言した。自己の処遇の不利有利には敏感で、持ち時間数や担当クラスの割り振りには荒い言葉で不平を鳴らした。仕事はできるだけ年下の教員に押しつけようとした。その際、名前の呼び捨てが示す上下関係は有効なようだった。年下の者には服従を求める本田だが、自身は年長者に従おうとはしなかった。彼は年長者にもぞんざいな口のききかたをした。
隣席でブツクサ文句を言う本田を一切相手にしない幹生だが、エレベーターのなかで二人きりになると、そうもいかなくなる。そう度々はないのだが、同じ学年を教えているから担当クラスも同じ階にあり、タイミングが合えばエレベーターの前で一緒になることもあった。そんな時幹生は間の悪さに舌打ちしたくなった。エレベーターの扉の前で待っている時から本田は文句を言っている。それはある個人に対する批判であったり、学校のある方針に対する不満だったりする。いずれにしても幹生にとっては聞く価値のないものだった。しかし、エレベーターの箱の中で二人きりとなり、相手がものを言う以上、何らかの受け答えをしなければならない。無視を続けることもできるが、そうすれば敵対関係が
その時、本田が口にしたのは「
「朝読は国語科が提案したんかね」
エレベーターに乗りこむと、本田が幹生に訊いてきた。
「そうやったかね」
と幹生は応じた。幹生の記憶では学校の方針として始まったことで、一教科からの発案ではなかったように思われた。確かに導入に際してその趣旨を説明した教頭の蜂須賀は国語科出身ではあったが。
「本当、意味のないことをするっちゃ。朝、十分間くらい本を読んで何になる。大体、単位として認定するなら、ちゃんと時間割に組むべきやろう」
幹生は沈黙している。本田の批判の本音が業務が増やされたことへの不満であることは分かっていた。
「国語科っていうのはつまらんことばっかり言うっちゃ。馬鹿ばっかりが」
幹生は苦笑を浮かべた。そして緊張した。幹生も国語科の教員だった。幹生も副担任だったから見回りをしなければならなかった。しかし彼はそんなに不満は抱かなかった。「朝読」に意味はないとも思わなかった。往き帰りの電車の中での読書を日課としている彼は、読書は勉学のベースを作るものだと思っていた。
「国語科の教員にはロクな奴がおらん」
本田はそう言い捨ててエレベーターから出て行った。さすがに幹生はムッとした。自分に当てつけているのか、と幹生は思った。何か言い返さなくていいだろうか。幹生はそう考えながら授業をするクラスに向かって廊下を歩き始めた。馬鹿を相手にするな、といういつもの声がした。そう、それがおそらく正解なのだ。馬鹿を相手にすれば馬鹿になる。そうだな、と幹生は唇を噛んだ。しかし、気持は治まらなかった。「ロクな奴がおらん」だと。何でお前にそんなことをいわれなならん。お前がどれだけ「ロクな奴」なんだ。幹生は胸の中で本田と問答をした。このまま黙っていていいだろうか。黙っていれば奴はいい気になるのではないか。何か一言、二言、言っておくべきではないのか。その思いは彼には負担であったにもかかわらず、焦燥のように彼を追い立てた。これから手のかかるクラスの授業をしなければならないというのに、こんな思いに追われるとは、と幹生は己の境遇の不幸を思った。定年が近づいた日々を、本田のような男の隣席で過ごさなければならない不幸を彼は痛切に思った。
本田が国語科の教員に悪感情を抱いているのには理由がある。一つには国語科の教員には学校の幹部になっている者が多い。教頭だった蜂須賀がそうだし、進路部長の奈良井も国語科だ。学年主任にもいる。学校の運営方針に常に不満を抱いている本田にとっては、馬鹿な方針を決める馬鹿な連中として意識されることになる。本田と親しかった大林を校長の座から追い落としたのが、国語科の出世頭の蜂須賀だったことも関係していよう。もう一つ、本田は国語科の教師と衝突したことがある。本田が担任をしていたクラスの生徒が喫煙で挙がったときのことだ。本田は何を思ったか、生徒指導部がその生徒に調書を書かせることに抵抗した。この生徒が喫煙をしたという証拠があるのかと本田は言った。証拠がなくても名前があがった以上、事情を訊いて、調書を取るのが通常の手続であり、筋だと生徒指導部の係の教師は言って押問答となった。こんな抵抗をする担任も珍しかった。恐らく専任になって初めてクラスを受持った本田は、自分のクラスから問題行動で処分される生徒を出したくなかったのだろう。それは担任としての黒星だった。こういう場合の対応を
本田がクラス担任をしたのは二年間だった。教科書、ノート、体操服などを学校に置かずに持ち帰らせるなど、学校には生徒管理上のさまざまな取り決めがあったが、本田はそれを生徒に守らせることができなかった。それどころかそんな取り決めに反発さえ示した。生徒管理ができないということで本田は担任を外されたのだ。
本田は所属学年の中でもトラブルを何度か起した。幹生が記憶しているのは三年前の出来事だった。一学期の期末考査が終った頃だった。本田は当時第三学年に所属していた。三年生は一学期の成績で仮評定をつける。一学期の成績は中間考査と期末考査の平均によって出される。仮評定が生徒が受験する大学や専門学校に送られる内申書の評定となる。本田から成績単票を受け取ったクラス担任の潮見と平山が、本田の記載の誤りを言いに、二人揃って本田の席に行った。平山は現在の教務部長だ。本田は仮評定のつけ方を誤ったようだ。本田にはこのような書類作成上のミスがよくあった。記入上の注意事項が頭に入っておらず、それを自分で確認せずに、その都度他人に訊いて書くのだ。そして間違えればその人のせいにしかねなかった。
本田は当初二人に激しく反発していた。どうやら本田の言い分は、評定をどうつけるかは教科が裁量することで、学年が決めることではない、ということのようだった。「しかし、それは既に学年会議で決定されたことじゃないですか」と潮見が応じた。「だからそんなことを学年が決めるのがおかしい、と言ってるんだ」と本田は言い返した。「先生も学年会議に出席していたでしょう」と潮見が言った。本田は言葉に詰まった。「できるだけ生徒の有利になるように評定をつけようということで決まったことじゃないですか」と潮見が諭すように言った。
評定は1から5の五段階で行われる。評定1は単位未修得となり、評定1の科目が一つでもあれば進級・卒業はできない。0点から一〇〇点までの成績を五段階で評定するためには定められた評価表を用いる。評価表は平均点の位置によって三種類ある。平均点が最も低い範囲に置かれている評価表を用いると、4、5の評定を得る者の数が最も多くなる。つまり生徒にとって有利となる。潮見が言っているのは、平均点の最も低い評価表を用いて評定をつけることを学年として決めたということだった。
本田は潮見の言葉に考えこむような表情になった。どうやら彼は学年の取り決めを忘れたか、始めから頭に入れてなかったようだ。本田は自分のミスに気づいたが、突っ張る態度は変えなかった。「わかった、訂正する。それで文句はないやろ」と本田は大声で言った。「お前たちからガタガタ言われることはない。何で二人揃って文句を言いにきたんか。訂正する。それでいいやろ」と大声で言うのだった。その強がりは聞いていてやはり滑稽であり、幹生は苦笑した。同時に、何としても頭を下げないという本田のプライドの強さを改めて感じた。それはまた喧嘩のやり方なのかもしれなかった。本田が周囲の目と今後を意識しているのは確かだった。一度でも頭を下げれば負けたという印象を周囲に与える。それによって今後年下の者になめられることになってはならなかった。学校は確かに道理よりハッタリがものを言う場所だった。
翌日、本田は潮見に、「潮見先生、訂正しておきましたから、よろしく」と声をかけた。そして「迷惑かけました」と付け加えた。潮見は、「いいですけどね。ただ先生はなんかごちゃごちゃ言うでしょう。あれがちょっと困るんですけど」と余裕を見せて応じた。本田は言い返さず、苦笑いを浮かべた。これが本田流のフォロー(善後処置)だった。
その学年は以前、喫煙した生徒の件で本田と衝突した国語科の教師が学年主任をしていた。確かに本田が言うように、どの評価表を用いるかは、教科担当者が同一問題で試験を実施したクラスの平均点を持ち寄って協議して決めるのが通常だった。しかし、三十代で学年主任になるような教員は、意欲にあふれているのか力を誇示したいのか、何事によらず学年決定の枠をかぶせたがるようだった。各教科で決めた教員のクラス担当も学年会議で変更されることもあった。受験勉強の指導力に欠けると判断される教員は特進クラスなどの担当からは外されるのだ。そんな場合は本田が所属する教科が槍玉に挙げられることが多く、批判して変更を求めてくる急先鋒はたいてい学年主任を始めとする国語科の教員だった。これも本田の国語科に対する反発を強める作用をした。
潮見はこの評定をめぐる出来事があった翌年、本田は翌々年、この学年を外れ、幹生の学年に移ってきた。
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