4 この屋敷は誰も居ないのか

 天国から地獄へ、とはまさにこの事だった。

 兎達に動きを抑えられるなんてシュールな目にあったのもそうだが、輝夜にを見られた。


 輝夜は慈愛に満ちた、それはそれは女神の如く微笑みを浮かべながら俺の着替えを済ませた。


 それ以上? やっていない。


 自分が具体的に何歳かなんて全く覚えていないが、いい歳なのには違いない。そのいい歳した大の男が幼子の如くお着替えさせられるなんて、羞恥の極みだ。恥ずかしくて掛け布団を頭までかぶるしか無い。


 布団の隙間から輝夜の姿を覗くと、彼女はまるで大仕事をやり遂げたように誇らしげにしていた。これがやりたかっただけだろう、とも思えなくも無いが正直な所輝夜の喜びの沸点がよく分からなくなってきた。


「蘭太郎、どうしたの?」


 俺の今の有り様に気付いた輝夜が布団を捲って覗いてくる。その顔は、変わらず誇らしげでその声も癇癪を起こした子供を宥めるような優しい声だが、今の俺にはそれが少し残酷に思えてくる。


「……こんな事されちゃあなァ。穴にでも入りたくなるってもんよ」


 記憶は無くとも尊厳は持ってたつもりだ。それも儚く砕け散ったが。


「そうだ。蘭太郎、ご飯にしましょう」

「め、飯?」


 何を思いついたのか輝夜から食事を勧められてきた。彼女も俺のヘソが微妙に曲がってる事は察しているのか、食事で機嫌を直そうという魂胆なのか。


 その手には乗らんぞ! と言えれば格好はついたのだろうが、タイミングを合わせたかのように俺の腹からグゥと大きな音が鳴った。

 これでは恥ずかしさの二乗だが、俺は見つかってから三日間寝たきりだった訳だ。つまり何も食べていない。知らず知らずの内に身体が勝手に空腹を訴えるのは当然な訳で。


 俺の腹から大きな音が鳴ったと同時に兎達が掛け布団の裾を掴んで一気に布団を引っ剥がす。もう器用すぎて本当に兎かどうなのか疑いたくなってくるレベルだ。


「食べればもっと元気になれるわ。行きましょう?」

「……行く」


 空腹には勝てん。もうここまで来たら何でも食ってやろうという気すら湧いて来た。


「もう出来ている頃ね。さぁこっちへ」


 輝夜が差し伸べた手を取り、二人でこの和室を出る。出入り口の襖を開けた先には意外にも西洋作りの玄関口が広がっていた。

 中央には2階に上がるための大きな階段。天井には室内用の風車が回っている。

 俺が眠っていたのは広めの和室だった事に加え輝夜の格好も和服だったからてっきり家全体も和風作りだと思っていた。これは恐らく全体の作りは屋敷レベルだろう。


「ん? この時計、壊れてんの?」


 中央の大きな階段のすぐ横に振り子式の時計があるのが目に入った。だがこの時計、振り子そのものは揺れてるのに時刻を示す針も秒針も無い。


「それは、飾りのような物よ」

「ほう、コレクションみたいな物か?」


 機能性などこの時計には求めて居ないのだろう。単に雰囲気を維持する為に置いてあるだけのようだ。

 しかしこの作り、さっきの和室も含めてかなり年季の入ったように見えるが壁も床も、装飾品もピカピカに綺麗だ。そしてこの針の無い時計、これを見てるとこの屋敷全ての時間が止まってるようにも感じた。


「蘭太郎、こっち」


 玄関口の独特な作りに惚れ惚れしてると輝夜がある扉の前で手招きをしていた。どうやらその扉の先が食事処のようだ。

 輝夜と共に扉の先へと進むと、そこはそれまでの和室や玄関口のような広めの空間とは違い、どちらかと言うと狭い部屋だ。一般的な現代建築物にちょっと近いような作りだろう。

 部屋にはテーブルに椅子に冷蔵庫、流し場にコンロと食事を用意するには最低限の物しか無かった。

 そんな寂しさすらある食事処のテーブルの上には、野菜スープが鍋と皿に盛られて置いてあった。


「料理は……旨そうだな」

「何か気になる事があるのかしら?」

「いや、これ誰が作ったんだ?」


 この食事処はさておき、俺が眠っていた和室も大きな階段と針の無い時計があった玄関口も広めの作りだ。どこを見ても綺麗なまま。誰かが手入れをしないとあの綺麗さや広さはカバー出来ないだろう。

 輝夜の家事レベルがどうなのかはまだ未知数だし、残りは兎達……いくら器用でも人の住む屋敷を手入れする程の力は無いだろう。


 そしてこの食事。輝夜は俺の側からは離れて居ない筈。この野菜スープはいつ作られた物だ?

 野菜スープからは湯気がもくもくと出ている。明らかに作りたてだ。誰かもう一人くらいは人が居ないとおかしい。


「なぁこの屋敷、他に人が居な――」

「……それを気にする必要は無いのよ」

「どういう事だ?」

「この屋敷には、蘭太郎と私と兎達以外の存在に意味は無い。さぁ食事にしましょう」


 輝夜はそんな説明で済ませて椅子に座り野菜スープを口にし始めた。


 説明になっていない、と普通なら詰め寄る所だろうか。まさかこの野菜スープも幽霊が作った訳ではあるまい。しかしこの屋敷から感じ取れる不思議な雰囲気は俺にそんな事をさせる気を失せさせていた。


 単に空腹を満たす事を何よりも優先させただけかも知れないが。


 野菜スープを口にする輝夜につられるように俺も隣の椅子に座り、スープを口にする。コンソメの味付けが口の中に広がっていった。










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