第13話 世界から隠れてしまった

「田吾作、お前はどうなりたいのだ」

 小沢さんは事業所からグループホームへの帰りにボソりとつぶやいた。


 歳が明けた。肌を刺すような風と全身を包む寒さはどうにもしつこくて、コートを羽織っているものの、コートの隙間から寒風が入り込んでくるのは、もうどうしようもない。


「え、なに?」


「ここで終わるのか」

 思い出した。一昨日テレビでやっていた近代の著名人を主題としたドラマでこんなセリフがあったな。それの真似か。そう思い至ったのに、心に刺さった。



 どうなりたいのか。



「小沢さんはどうなりたいの?」

 利用者さんは僕たちみたいに限りなく自由がある生活が出来ない。善意によって管理され、善意によって守られている。善意、おそろしいほど残酷な感情。


「今年は野球を観に行きたい」


「そうだね。観に行きたいね」

 小沢さんはオリックスのファンクラブに入っている。野球が好きだ。

オリックスのファンと言いつつ、阪神の帽子を被って観戦し、ファンから白い目をされる。

 小沢さんは野球を観に行く時は阪神の帽子を被る事がこだわりになっている。帽子を外すと不安定になり、体のあちこちが痛くなる。そして落ち着きを無くす。

 事業所の懸案事項になっている。



「阪神の帽子は不味いよ」


「野球を観に行くときは帽子を被るもんだろ」


「オリックスなのに阪神は良くないって」


「そうか」

 そうかと言いつつ、納得はしていない。公式戦が始まったら、応援グッズと称してオリックスの帽子を買ってもらおう。阪神の帽子はもうボロボロなのだ。


「田吾作。今日は寒い、早く車いすを押してくれ」


「はいはい」

 池波さんに小沢さんを引き渡した。それが小沢さんを見た最後となった。


 覚えがないのに疲れている。風呂に入るのも億劫だったので、シャワーをサッと浴びて、薄い毛布とボロい布団をかぶった。

 中々寝付けない、疲れているのに早く寝たいのに、電話が鳴ったのは窓の外が白み始めた午前五時。発信者は施設長の長澤さんからだ。

「田川さん。落ち着いて聞いてください。小沢さんが先ほど亡くなりました」



 人間突然の事になると思考が停止するものだ。



「え、亡くなったって」

 どうしてだ。昨日話したじゃないか。野球に行こう。オリックスなのに阪神の帽子は不味いって。


「とりあえず急いで病院に来てください」

 ここからの病院に着くまでの事はあまり覚えていない。


 病院で主治医から動脈瘤破裂だった。運ばれてきても何も出来なかった。と、聞いた。処置室に横たわる小沢さんはまだ顔が赤かった。体も暖かくて、眠っているようだった。



 女性職員は泣いている人もいたが、僕は泣けなかった。だって、寝ているだけでしょ。何を泣くことがあるんですか。


 それから名村さんはご遺族に小沢さんが亡くなったこと。他の利用者さん家族に今日事業所は臨時休業すること、小沢さんが亡くなったと連絡を取った。


 長澤さんはご遺族が到着するまでご遺族を待つことになった。遠方に住んでいる為、時間がかかりそうだということらしかった。



「とりあえず、他の皆さんは一度帰宅してください。諸々のことが決まったら、また連絡します。あと、田川さんは残ってもいいですよ」


「でも出来ること無いですよ。僕が残っても」


「そばにいてあげてください」

 その時、初めて涙が出た。嗚咽することも涙が止まらないことも無かったが、一筋ただ一筋水が落ちた。死んでしまったんだ。


 結局、小沢さんを近くで見守ることは無かった。葬儀屋が現れ、警察が遺体を解剖するといって運び出し、僕が次に会えるのは葬儀場になった。


 葬儀にはたくさんの人が訪れ、失礼だけど驚いた。小沢さんがそれを見て得意げに笑っているだろうな、とぼんやり思った。

 

 花を棺桶に入れる時に見た小沢さんの顔はやはり笑っている様に思えた。小沢さんの顔の隣には阪神の帽子が置かれていた。

 

 出棺は棺桶を持たせてもらえた。外は少し雪が舞っていた。小沢さんが冬は体が固くて嫌だ、というわりには雪が好きだったな。重くない棺桶を持ちながらぼんやりと想った。


 ご遺族と話す機会は最後まで無かったが、名村さんがご遺族に僕の存在を伝えてくれたらしく、後で事業所に手紙が来たらしい。

 

 来たらしいというのはアルバイトとして事業所にあまり行かなくなっていたからだ。ただの現実逃避だ。事業所の人たちも分かってくれているのかもしれないが、もう一か月経った。もうそろそろ行かなくてはならない。

 同時にもう二十六でアルバイトってどうなんだ。とも思った。ここで終わるのではなく、就職活動をしてみようそう思った。


 でもまずは事業所に行かないとな。


 事業所の皆さんは復活だ。めでたいと喜んでくれた。

 あの小沢さんと数々の戦いを巡らせた藤堂さんも遠慮がちに、おかえりと言ってくれたのには驚いた。長澤さんにちゃんと話をしなければならない。


 就職活動を始めて分かったのだが、二十六という年齢は結構ネックになる。

 既卒だからと難色を示されることもあった。

 なんで今までアルバイトをしていたのですかと聞かれ、関心のある業種だったからですと答えると、そっちで就職口見つければ良かったのでは? と逆に聞かれることもあった。


 資格を持たないただ若いだけの人材で優秀なのは他にいる。不要の烙印を押されたようで辛かったが、手に職をつけようと専門学校に通い始めた。

 

 福祉とは関係ない職種。福祉は仕事にせずとも、たまに出来るので少し距離を置いてみようと思った。小沢さんの傷は今も癒えていない。

 事業所には週に一回お世話になっている。バイトや勉強をしていると、耳もとで小沢さんの声が聞こえる気がする。


「田吾作はどうなりたいのだ」

 田吾作と呼んでくれる人は少なくなった。


「今、探しているよ。もう少し時間はかかるけど」

 小沢さんが阪神の帽子を被って隣で笑っている。そんな気がした。

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