第10話 鍋奉行


 小沢さんは歯を失ったが、インプラントにした。


「小沢さんの親戚が出してくれて良かったですね」

 名村さんは苦し紛れに笑って長澤さんと話している。尚、作業している僕にはギリギリ聞こえる。


「でもお兄さんにこれ以上の支援はしない、とはっきり言われて」


「これはまぁ事故みたいなものですしね」


「本当のことを言えば、田川さんの責任ではないですよね」


「田吾作、早く箸を袋に入れろ」


「小沢さんごめんごめん」


「田吾作の怠けクセにはあきれたものだ」

 こちらが黙ると小沢さんは意気揚々と今日の作業である箸を袋に詰め始めた。鼻歌も鳴らしている。


「ところでお月見会どうする?」

 歯がないころの小沢さんには酷な話だったが、インプラントにした小沢さんに月見団子の話はしていいだろう。


「田吾作はどうする」

 めずらしい。女性のことが小沢さんの口から出なかった。それにしても不気味だ。なにか狙いがあるのかと疑ってしまう。


「僕も参加するよ」


「そうか。ところで今回、実習生は来るのか?」


「女性は来ないよ。うちの事業所を多分大学がブラックリストに入れているよ」


「そうか」

 小沢さんはぼそぼそとつぶやき、作業を続行した。


 小沢さんのおかしな状態はお月見会の当日まで続いた。当日、小沢さんは女性ヘルパーより、実習に来た男子大学生とよく話した。


「田吾作、やはり若い男と話すと元気が湧いてくるな」


「小沢さん、もしかして男の人が好きなの?」


「そんなわけないだろう。いつも近くにいたのは女だからな。たまには男と話してみたいものだ」


「へぇ」

 小沢さんの口から流暢な言葉が出てくるが、なんだか嫌な予感しかしない。



 その夜、不安は的中した。



「田吾作、今日は金曜日だ。北新地に行くぞ」

 小沢さんは夕ご飯の時間になって、車椅子に乗らず部屋から這って出てきた。

車椅子に乗せるのを忘れていた。ドキリとしたが、もっとドキリとしたのは押し入れの下段に入っている清潔感のある服に着替えていたことだ。

下半身は不自由なので下は部屋着のままだったが、しわしわだったものの上衣は着替えていた。


「小沢さん、前に北新地行ったよ?」


「いいや、行っていない。俺は金曜日なのに残業をした。こういうときはクラブに行って女と酒を飲みかわすのが楽しい。田吾作もその仕事終わったら行くぞ。今日は俺のおごりだ」

 小沢さんは今思えば不安定だった。女性ヘルパーや実習生の話はぜず、男性実習生の話を聞き、真面目に仕事をしていた。いつもと違う小沢さん。


「おい田吾作、車回してこい。足が上手く動かないんだ。早く、早く!」

 何事かと奥の部屋から出てきた池波さんは状況を察して、僕の方へ近づいてきた。


「薬で抑えることは出来るけど、あんまり使いたくない」


「分かります」


「だからといって、車で北新地に行くという特別扱いは出来ない」

 支援は特別扱いではない、お手伝いをする。


 例えば、長い時間歩けない利用者さんを疲れたからと言っておんぶはしない。休み休み歩いてもらう。これはスムーズに歩けない人への支援であって、特別扱いになってはいけない。


 柔らかい厳しさも支援を行う上では必要になってくる。


 他にも集中力が続かない利用者さんの仕事を全部職員がすれば特別扱いになるが、出来ることを少しずつやっていければいい。支援とはお手伝いであって、代わって作業をしてあげるではない。


 小沢さんに対してもそうだ。妄想で会社員になって不安定になって仕方ないからその不安定を消すためにグループホームのモラルに反する夜間の繁華街に行ってはいけないというものを無視してはいけない。


 小沢さんを騙すわけではないが、小沢さんたちを守るためのルールだ。中には人権を無視した行為だと指摘されるかもしれないが、彼らの言う人権を守った結果、利用者さんが怪我をしたら責任をとれますか?

 今、この対応が利用者さんの安全を全力で守っている方法なのだ。ただ迷うことはある。


「田吾作、行くぞ。早く行かないといけない。サナミが待っている」


「その前にご飯食べて行かなきゃ」


「何を言っているんだ。早く車を回せ」


「小沢さん、前にご飯食べ過ぎてお金が大変なことになったから、先にご飯を食べて行こうよ」

 作り話ではない。外食会の為に小沢さんは昼間のおにぎりを我慢し、外食会でそれはもうたくさん食べた。結果、予算はオーバーした。


「でもサナミが」


「サナミさんも待ってくれているよ。今日会えなくても、明日会えるよ」

 大潟サナミさんとはうちの事業所で男性人気一番の利用者さんだ。

今日は解散したので会えないが、明日また移動支援で会える。最も体調をどちらかが崩さない限りは。


「分かった。今日のディナーはなんだ」


「今日はすごいよ。鳥鍋だよ」

 小沢さんの一張羅は脱がせなかった。小沢さんは下がパジャマ、上はワイシャツで鳥鍋をつついた。


「今日のメンバーはいつもとは違うけど、たまには違う人間と食べるのもいいな」

 小沢さんのグラスにビールを注ぎながら、僕もうなずいた。


「そうだね。おいしいよね」


「うどんは〆だ。まずは野菜を食べないといけない」


「小沢よぉ。クラブには行かないのか?」

 鍋奉行で落ち着いてきた小沢さんに藤堂さんが余計な一言を言った。


「この後、田吾作と行く」


「はっ、それもどこまで本気なのかわかんないぜ」


「藤堂さん、ご飯に集中しないとまた鳥を床に落とすよ」


「おい、今俺が話しているんだ。静かにしろ」


「その口の利き方はダメだよ。あと、集中しないとさっきから野菜が下に落ちている。後で掃除してもらうからね」


「分かったよ。仕方ねぇな」

 歳が若いと若い利用者さんたちと距離も近いが、距離が近いことによって、今みたいに粗暴な言葉を使われ、足元を見られることもある。この時の対処にも迷う。


 短絡的に厳しく迫ってもパワハラで引っかかりまともな運営に支障をきたすからダメ、逆に利用者さん主体で利用者さんに任せっきりでも同じ理由でダメ。


 利用者さん主体で基本的には考える。ただ事業所も会社みたいなものでダメなことをしたら上司は怒る。


 いい加減な仕事をしていれば注意して改善を促す。というやり方でうちはやっている。

 

 藤堂さんの弱いところは言葉が粗暴なところだ。これは人間関係を良好に保てない弱点だ。藤堂さんのここを支援していくことになる。


 だから藤堂さんには注意を促す。これは障害者だからとか、健常者だからとかではない。社会人としてのことなのだ。

 


 さて、藤堂さんにいじめられた小沢さんはというと。しばらく黙っていた。



「田吾作、北新地に行くよな」

 そう寂しそうにつぶやき、確認をとってきたので、「それは小沢さん次第」と、答えておいた。これが正解か、それとも不正解か分からない。


 池波さんがうどんを持って現れたころにはすっかり元気を取り戻し、うどんの入れるタイミングを仕切り始めた。



「池波、うどんが少ないぞ」


「小沢さん、池波さん、ね」

 池波さんの怖いオーラに小沢さんは素早くうなずいた。

 鍋は円滑に進み、利用者さんは最後の1杯を惜しみながら飲み切った。



「さぁ、田吾作。北新地に行くぞ」

 小沢さんの不安定は随分収まっていたが、こだわりのせいか北新地という言葉だけは心の中に深く刻まれているらしい。



「小沢さん、よく聴いてね」


「おう、なんだ田吾作」


「クラブはね。お酒を飲んで酔っ払いでふらふらになった人はいけないんだよ。僕も酒飲んだから車運転出来ない」


「いけないのか」


「うんダメ」


「仕方ないな」


「またにしようよ」

 この後、夢うつつの小沢さんを二人がかりで洗い、上着にパジャマを着せ、後々風呂にいれてから酒飲んでもらったらよかったと池波さんと反省した。



 小沢さんは次の日、事業所に行きサナミさんに邪険に扱われても笑顔だった。

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