第8話 エアコン
「田吾作、暑い」
「クーラー壊れちゃったからね。扇風機とアイスとお茶で頑張るしかないよね」
今日はグループホームにいることになった。暑すぎて利用者の安全を約束出来ないため、部屋の中で高校野球でも観てもらおうという算段だ。
他の利用者は違う階の部屋にいる。今日くらいは好きなテレビを見せてあげようという心遣いだ。ホームのクーラーが送風しかできなくなった。このままでは利用者が夜中に熱中症になってしまう。業者が今日中に来て直してくれるらしい。
「こんにちはクーラー設備の中山商店です」
中山さんは女性だった。
「お暑い中どうもありがとうございます。狭いところですが、どうぞお入りください」
僕が挨拶する前に小沢さんは部屋の奥から声を張り上げた。
「すみません。皆さまにはご不便をおかけして申し訳ございません。どちらの器具でしょうか?」
「あぁ、この奥の部屋のエアコンの調子が悪くて」
小沢さんの個室のエアコンは動くので、そこで過ごせばいいのではという意見もいただくことはあるが、グループホームとはいえプライベートは重要だ。
見られたくない物もあるだろう。
「わかりました。しばらく不自由をおかけします。申し訳ございません」
「田吾作! お茶を出せ。せっかく暑い中きてくださったんだ。お茶の一つ出ないグループホームだとコンプライアンス的に不味いぞ」
またどこかで覚えたての単語を使う。しかもそれは間違えている。
「分かったよ。お茶ね。出す出す」
「早く早く」
「分かった分かった」
「ご親切にありがとうございます。早く何とかしますね」
中山さんは小沢さんをお客さんと思い声をかけただけなのだが、それだけで小沢さんは惚れた。
なんと短絡的な、と思うかもしれないが、利用者の世界は限られている。
事業所とグループホームを行き来する日々、休日にはヘルパーと外に出るが、残念ながら若い女性と触れ合う機会なんて、僕らよりは随分少ない。
僕らは合コンや出会い系、同窓会など。しようと思えば同年代の女性と触れ合う機会がある。
それが利用者さんの辛いところだ。職場恋愛もあるにはあるが、結婚にはなかなか結び付かない。悪気の無い善意の横やりが利用者さんの恋愛には入る。
そもそも利用者さんが「好き」から先を理解しているかも分からない。
「田吾作、俺のアイスクリームを取ってこい」
「小沢さんトイレ行きたくなるから食べないって言ったじゃん」
「俺じゃない、中山さんにあげるんだ。ストロベリーとバニラどちらが好みかな?」
「後でいただきますね」
中山さんは汗を流しながら、エアコンを触っている。そんな中山さんに対して小沢さんはじろじろと視線を向けた。
「小沢さん。トイレ行っておこうか」
小沢さんはねっとりと中山さんの顔や胸元を見ている。この人たちにとって、すぐそばに若い女性がいるなんて非日常の極みだ。
「小沢さん、あんまり見ていると嫌われるよ」
「何を言うんだ。田吾作、俺はただエアコンの掃除が珍しいから、見ていただけだ」
「でもそんな近くじゃ、邪魔になるよ」
「大丈夫です。お気遣いなく」
「中山さんも大丈夫と言っているだろう?」
「長澤さん」
小沢さんの急所に当たった。
「田吾作分かった。中山さん忙しいところも申し訳ないのだが」
「名村さん」
小沢さんに会心の一撃。
「田吾作、車いすを押してくれ」
小沢さんはひん死の状態だ。
「分かってもらえてうれしいよ」
円満な解決が出来て心から嬉しいよ。
「もうすぐ終わるので、少し待っていてください」
「田吾作、お茶を出せ」
忘れていた。
「中山さんここに置いておきますね」
「ありがとうございます」
中山さんは熱心にエアコンの掃除や修繕をし、小沢さんと引き離してから5分くらいで作業を終えた。
「終わりました。あと非常にぶしつけなお願いだとは思うのですが」
「ありがとうございます。どうかされましたか?」
「私、このような施設にお邪魔するのが初めてで、どんな生活を送っていらっしゃるか興味があって、福祉系の大学に行ったのですが、色々あってこの仕事を継ぐ段に退学してしまって」
「小沢さんがどんな生活しているか知りたいってさ」
小沢さんの顔がとてもしまりのない顔になった。
「中山さん、私の生活について気になるのかい?」
「はい、とても」
「俺の部屋を案内しよう」
「長澤さん」
「この田吾作ってのは私の秘書なんだ」
「秘書なんですか?」
「いえヘルパーです」
それから小沢さんが意気揚々と説明をした。ご飯を食べる居間、昨日は流しそうめんをした。一昨日はハンバーグだった。テレビはいつもさんまさんを見る。野球の方が好きだが、他のメンバーに譲っている。事業所ではエースでキャプテンだ。
食べ物の話以外はでたらめだが、小沢さんのプライドを考え黙っておいた。テレビは有無を言わさず野球ばかり、他のメンバーには絶対譲らない。そのせいで他のメンバーが小沢さんを妬ましく思っているが、小沢さんは全く気にしていない。エースでキャプテンならもう少し周りのことを考えるだろう。
「実は私も障害があって」
「私は障害者として長くやってきた。思いのたけを私でいいなら受け取ります」
「私実は性同一性障害なんです」
「へ?」
「男で男性の方も好きなんですが、ほとんどは女性として女性も好きで、だから女性として男性も好きなんです」
「田吾作、説明しろ」
「小沢さん。中山さん体は男性だけど、女性として同性と異性を愛しているんだ。分かった?」
「分からん。でもそのつまり、ついているのか?」
「ついてます」
そこから小沢さんは面白いほどに威勢をなくした。中山さんに「小沢さんは理解するほど人生経験を積んでいない」とは言えなかったので、最後まで暗い様子だった。
無言の居間、喋り辛い雰囲気、中山さんが帰ったのは来てから、1時間半ほどだった。中山さんが帰ってから、小沢さんはぽつりとつぶやいた。
「田吾作、あれはオカマか?」
「まぁ、その理解の仕方は間違えているけど、僕も聞いているうちに分からなくなったよ」
「わしは何が好きなのだ。ついているのが好きなのか」
今晩は小沢さんについている問題で悩んでもらって、テレビ権は他のメンバーに持ってもらおう。めでたしめでたし。
「わしはついているのが好きなのか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます