第7話 プール

「田吾作。海辺の女をひっかけに行こう」


「えー、先月北新地行ったじゃん」

 7月も中ごろに入った。暑さは今まで本気は出していないのだぞと言い張り、日中は30℃まで上がる日もあった。8月に入ると暑さは益々本領発揮するに違いない。


 お出かけでも、海という案は会議の中で出ていた。

ただどこの海にするか、須磨は海水浴が出来るけれどヘルパーさんの数が足りない。尾川湾は近いが海水浴は出来ない。千川は遠い交通費も馬鹿にならない。


 海水浴はぜずに海の家を満喫するという案も出ている。海にいることが出来るのは場所にもよるが2時間ほど、そのうちで着替えをするとなると、1人で着替えが出来ない利用者さんが多いので、着替えに30分を見た方がいい。1日で使えるお金も決まっている。

そこから昼食代を出すとなると、海に入れるのは一時間、混雑する海で利用者さんを見失わないようにするにはと、海に入れない可能性ばかり上げているが、リスクを勘案しいつも海には入らない。


 でもプールは迷子にならないので、プールはアリなのだ。


「プールにすればいいじゃん」


「プールに可愛い女はいない」


「偏見だよ。可愛い女の人はいるよ」


「海の方が選択肢はある」

 確かに海の方が人は多い。そもそも小沢さんに引っかかるないしは、小沢さんは引っかける女の人はほとんどいない。これは小沢さんに失礼か。


「プールにしておこうよ。小沢さん外だと熱中症で倒れちゃうよ」

 渋々小沢さんはプールという妥協案をのんでくれた。


 さてお盆前の日曜日、近くのプールへとやってきた。小沢さんは下半身不随なので、プールに入るときはプール用の車いすを使うか、職員が背負うかのどちらかだ。


あんなに女を引っかけると言いながら、小沢さんの目は年配の女性ヘルパーや女性利用者をじっくりと見つめている。


「田吾作。俺は広い視野を持っている」


「僕、何も聞いていないんだけど」


「ヘルパーや仲間以外にも、ほらあそこの女の子、可愛いな」

 小沢さんが目を向けた方を見ると、中学生くらいの女の子が複数名。


「小沢さん、逮捕されちゃうよ」


「見るだけでもダメか?」


「うんダメ」


「そうか。じゃああそこの子はどうだ?」


「小沢さん。女の子の話をするときに声を張り上げない方がいいよ」


「別に普通の声だけどな」


「普通じゃないよ。ほら女の子逃げちゃった。出入り禁止だね」

 小沢さんがプールサイドの車いすの上であたふたするのを尻目に、小沢さんの熱い視線をどう防ごうかと考えていた。


「小沢。お前、泳げないのか」

 長身の若い男性利用者が近づいてきた。藤堂さんだ。小沢さんの2倍か3倍くらい横柄な口の利き方をする。


「泳げないことはない」


「田吾作におんぶしてもらって泳いでいる気になっているのか? お笑いだな」


「藤堂さんも小沢さんも止めときなって」


「田吾作は黙っとけ」


「ほらまた呼び捨てにする」


「いいだろ。俺がどう呼ぼうと俺の勝手だ。それよりどうだ水泳対決をしようか」


「止めときなって、せっかく遊びに来ているのに」


「田吾作は黙っとけ」

 小沢さんが背中でバタバタしだした。


「小沢さん!」

 小沢さんを落としそうになるがすんでのところでもう1回背負いなおした。


「男と男の勝負だ。いつかは向き合わないと思っていたんだ」


「でも藤堂さん泳げないよ?」


「いや俺は泳げるぞ」


「藤堂。じゃ、試しに浮かんでみろ」

 藤堂さんはいくらか躊躇していたが、近づいてきた名村さんを見て安堵した表情を見せた。


「小沢さん何やっているの?」


「藤堂の奴がどちらかが長く泳げるか勝負しようって言うもんだから、藤堂がいくら泳げるかテストしてやっているんだ」


「へぇ、面白そうなことやっているね」

 とは言いつつ、僕の耳もとで名村さんはささやいた。「これやらせたらヒヤリハットですけど、分かっていますよね」


 ヒヤリハットというのは事故になりそうな案件をいうらしい。ヒヤリということが起こったら報告書を書かないといけない。


「小沢さんそういえば足はもういいの?」


「へっ?」


「前まで足が痛い骨折したって言っていたけど」

 わらわらと小沢さんの周りにヘルパーさんや利用者さんが集まってきた。


「小沢さん。足治って良かったね」

 小沢さんがまごつきだした。


「藤堂さんも膝痛めたって言ってけど、もう安心なんだね」

 この2人は特に自分の方に注意を向かせていたい2人だ。こちらから売り込んでいくタイプでは無いので、当然ナンパは出来ない。


 2人は同情をしてもらうことで注意を向けさすことしかできない。なので「実はここどこが痛いんだ」というアピールしか出来ない。この場面では「完治していること」は2人にとっては非常に不味いわけだ。


「い、いや確かに足は痛くないけど、首の調子が悪くてな」


「小沢さん首が痛いと万全の状態じゃないよね?」


「そうだな。今回の勝負は止めておこうかな」


「俺の不戦勝かな」


「でも藤堂さん。膝はもういいの?」


「この勝負は止めにしよう」


「分かってくれて嬉しいよ」

 僕も円満な解決にホッとした。


 女性ヘルパーさんたちも。

「小沢さんも藤堂さんもまだ痛むんだね」

「頑張っているね。怪我をおして来るなんて」


 みんなちゃんと分かっている。きっとあまり痛いところが無いことを。


「では小沢さんも藤堂さんもプール中止だね」


「「え、なんで!」」


「痛いんでしょ? 首、膝」


「……」


「じゃ、田吾作さん上がりましょうか。藤堂さんはあそこにいる桜庭さんに任せましょう。桜庭さんお願いします」

 大柄で物腰柔らかな桜庭さんは藤堂さんと一緒に更衣室に入った。


「桜庭さんにはまた戻ってもらうので、着替え終わったら、観覧席に行って小沢さんと藤堂さんと田吾作さんでいてください。じきに時間になるので、大丈夫でしょう。さっきみたいなギャンブルは無しですからね」

 しっかりお灸をすえられ、小沢さんを車いすに乗せた。


「田吾作、怒られたのか?」

 嬉しそうに尋ねてくる小沢さんの声が聞こえていないふりをした。

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