第6話 ドライブ

「田吾作、ドライブに行くぞ」

 春も心地よく通過し、夏の暑さが見えてきた5月の下旬。グループホームの朝ごはんの時に小沢さんが元気よく提案をしてきた。


「どこ行くの?」


「海だよ。海」


「えー、季節早いよ」

 小沢さんのことだ。最近見た車のCMに影響をされたのだろう。小沢さんのドライブ攻撃はしばらく続いた。1日や2日ではない。

1週間続き6月になった。行先は海や山や川。砂丘と言われた時は困ったなと思った。砂丘は遠い、初夏の暑い時に特別行きたいとは思わない。



「田吾作。北新地だ。2人で女ひっかけにいこう」

 グダグダと返事をしなかったら、ついには北新地と言われた。



「北新地ね」

 北新地とは関東でいう歌舞伎町を幾分よりか高そうな店が乱立するところで、主にラウンジや寿司屋、割烹が並ぶ繁華街である。客単価は高めだ。

 職員会議の場で長澤さんは気難しそうに唸った。前に会議でも前々の会議でも小沢さんのドライブ熱に関して議論となった。

ドライブに誰がついていくのか、移動支援の持ち時間をどれくらい使うのか、そもそもどこに行くのか。

議論に時間をかけているうちに、小沢さんはドライブを先延ばしにされ、不安定になっていた。



「昼間ならいいですよ。職員は名村さんとあなたで」

 ということで、今週末。名村さんと僕で北新地に行こう。そう、小沢さんに告げた。



「名村は何で来るんだよ」


「僕じゃ、頼りないからだよ」


「まぁそれもそうか」

 小沢さんは急に機嫌がよくなった。他意は無くとも頼りないと笑われるのは正直癪だ。



「北新地でいいんだね?」


「どういうことだ?」


「後で山がよかったとか、海がよかったとか言わないでね」


「大丈夫だ。男と男の約束だ」


「調子いいんだからさ」

 さて、小沢さんにこの話をしたのは木曜日。南シナ海に前線が停滞していた。それが誘い込まれたかの様に週末日本に近づいてきた。


 そしてドライブ決行の土曜日、大雨。



「行こう。今日行くって決めていただろ」


「ダメだよ。小沢さん風邪になるよ」


「いーや、男と男の約束だ」


「体調悪くしてまで、男と男の約束を果たさなくてもいいはずだよ。また今度にしよ。また次に北新地のこと教えてよ」

 小沢さんはかなりごねたが、最終的には嫌々納得した、ように見せた。


 さて、ここから小沢さんのストライキが始まる。事業所の仕事をやらない、健康お散歩に行かない、靴を履いてもらおうとしても拒否する。事業所からグループホームまで色々話しかけても無視。グループホーム内でも必要最低限なこと以外は口を開かないらしい。



「困りましたね」

 職員会議で長澤さんは眉をひそめた。


「やっぱり納得してもらわんとね」

 名村さんはそういうも難しそうな態度を崩さない。


「一応、グループホームへの帰り道色々話しかけてみたんですが、応えていただけなくて」


 自分は約束を反故にされ、とても傷ついている。

 さて、お前らはどう出てくるのか?

 特別扱いをしてくれるのか? 

 ここでこっちが折れてしまうと、次何かあった時にストライキをしたら、小沢さんの意向は通りやすくなると思われてしまう。

 そうなると厄介だ。もちろん他の企業と変わらず、労働者が処遇に満足出来ないと抗弁することが出来るのだが、今回は処遇ではなく、ドライブへの抗議だ。それを受け入れた上で打開案を提示している。


 もちろん利用者ありきの事業所なので、利用者の意向には沿う必要がある。それは絶対にそうだ。でも誰かを特別扱いするということは他の誰かが損を被ることになりかねない。



「とにかく小沢さんに関してはいつも通りにしましょう。もし、ドライブに行きたいという要望がまた出れば会議の場で相談しましょう」

 名村さんに言われて頼まれていた書類をグループホームの樽重さんに持っていった。グループホームに入ると、樽重さんが困った様な顔をしている。



「ちょうど良かった。田吾作くん、小沢さんがお呼びだよ」


「何かあったんですか?」


「いやね。ほらご飯の用意出来ているし、呼びに行ったら、『樽重、田吾作は来ないのか』っていうから、今日は来るよって言ったら、部屋に来いって」


「分かりました」

 そう言って閉められた小沢さんの部屋のふすまを開けた。


「小沢さん、来たよ」


「田吾作か」


「どうかしたの?」


「ドライブに行くぞ」


「分かった。どこ?」


「北新地だ」


「へぇっ」

 突然なので変な声が出てしまった。



「約束だ。今晩行くぞ」


「夜はダメだよ。小沢さん」


「いーや、絶対行く」

 困ったな。


 ここはグループホームの制度上行くのはノーだ。夜に外出することは特別扱いになる。しかし、前の外出も天候の問題で行かなかった。フラストレーションはかなり溜まっている。

 またへそを曲げられては厄介だ。


「小沢さん。今確認したけど、来週末ならいいって」

 ここで考え無しに突撃することがいかに危険か、見聞きして知っていた。名村さんに即連絡を取り、来週末なら大丈夫という言質を取った。

 本当は長澤さんに確認を取るところだが、明日にも名村さんが長澤さんに確認するということで落ち着いた。

 なんせまた事業所の仕事もしない、健康お散歩には行かない、靴を拒否するが続くと、これはこれで困る。なぜなら、他の利用者さんから、小沢さんは作業しなくていいなら自分もやらない、小沢さんが外出ないなら私も行かなくていい、などの不満が出てくるからだ。



「来週末。雨、降らないといいね」

「後、これは確認なんだけどさ、車と北新地ならどっちがいい?」

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