第4話 謹慎

 小沢さんヘルパーの手ペロリン事件から一か月が過ぎた。


 当然、桜田さんは『あの』一回で移動支援には来なくなった。同時に僕もかなり怒られた。


「田吾作、桜田はもう来ないのか」



「来ない理由を誰よりも小沢さんは知っているでしょ?」

 小沢さんは『おいた』をしたので、しばらく移動支援に来られたら困ると施設長に言われた。


 事業所は利用者も守るが、職員やヘルパーも守らなくてはならない。今回は小沢さんも衝動に身を任せ過ぎた。そして『おいた』をさせたヘルパーをつけ、二人で反省をしなさいということだ。


「田吾作、昼はとんかつ定食が食べたい」

 反省中だろうが、腹は減る。小沢さんは揚げ物が好きだ。年齢的には揚げ物は控えて欲しい。


「でも、この前コレステロール高かったんでしょ? 肉野菜炒め定食の方がよくない」


「そんなのホームでも食える。肉だ。ステーキでもいい」


「いい。たってねぇ」


「なんか文句あるのか?」


「ないよないない。じゃ駅前まで行こうか」


「田吾作も運動が足りていないから、たまには体を動かさないとだめだな」


「小沢さんもでしょ?」


「外に出るんだから大丈夫だろ?」

 誰が小沢さんの車いすを押すと思っていて、小沢さんは座りっぱなしだからいいよね。そんなことは口に出さないが、思ってしまうくらいはいいだろう。


 外は晴れていた。暖冬なのか、今日だけが暖かいのか。天気予報を見てホームを出てきてよかった。


 よくなかったのは小沢さんだ。小沢さんは僕があんなにうるさく暖かいっていうのに、セーターを出してきて、その上ジャンパーを着こんだのでもうそれは暑い暑い。


「持たないよ」


「別に持てとはいってない」

 駅前まではゆるやかな坂を下りて行く。

 大きな教会や古びた洋館。近くの大きな高校のジャージ姿の女子高校生が坂を登っていくのを小沢さんは上半身で身体をそらせて追いかけ、僕はそれを注意しないといけなかった。


 高校の横を通り抜け、三差路の真ん中を突っ切り、大きな通りに出た。これを右に行こうが左に行こうが駅に行く。つまりちょうど駅と駅の真ん中ということなのだが、ここで難問だ。


「小沢さん。右に行けばマクドナルドがあるよ」


「ハンバーガーだな」


「そうそう。でも左に行けば、唐揚げ定食」

 小沢さんの肩が動いた。


「南蛮、味噌カツ、とんかつ」

 小沢さんのつばを飲み込む音が聞こえた。気がした。


「田吾作、左だ」


「フライドポテト食べられないけど」


「うーん、右にも行こうか」


「じゃとんかつは無しだね」


「それはダメだ。左だ、左にする」

 そういう問答をすれば、お昼間のピークは避けることが出来るし、空腹に拍車がかかって、お昼ご飯をおいしく頂ける。


 一石二鳥ではないか。


 これなら後で「本当はマクドナルドに行きたかったな」と思わずに済む。最初に言った「とんかつを食べたい」を信用すると後でこういうクレームになりかねない。


 当初の希望とは少し違うが、唐揚げ定食を食べた。ポテトもつけると小沢さんは券売機でひと悶着あったが、謹慎中なことを再確認してポテトは諦めてもらった。


「桜田に謝りたいな」


「それを出来なくしたの小沢さんじゃん」

 ただ坂を登って帰るにはなんだか味気ないので、大きな公園を経由して、ぐるっと回ってホームに帰ることにした。


「桜田には申し訳ないことをした」


「じゃ、伝えとくね」


「もう辞めたんだろ。連絡の取りようないだろ」

 携帯が震えて着信が入ったことが分かった。車いすを止めて電話に出た。


「小沢さん、桜田さんから電話」


「田吾作。早く貸せ」

 小沢さんは両手で携帯を受け取るとぼそぼそと話し出した。耳を傾けると謝罪の言葉を述べ、気が向いたらまた来てほしいと言っている。


 障害を持っていようがいまいが、小沢さんだって良識のある人間だ。良識あるだろう。


「ダメだ。やっぱり俺がお前を女にしてやる。一人にしておくには桜田さんはもったいない」

 すぐさま携帯を取り上げ、一言詫びて切った。


「な、なんだ。俺は謝ったぞ」


「謝ったね。でも余計な一言が多かったよ。これは施設長に報告ね。たっぷり怒られてください」


「それだけはそれだけは」


「ダメ。人の彼女に手を出すとかありえない」


「彼女?」


「桜田さんは僕の彼女だよ」

 小沢さんは呆然としてうなだれた。


 グループホームに着くか着かないという段になり小沢さんが難しい顔をしながら振り返った。


「それで彼女ってなんだ?」



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