第3話 小沢さんお団子会へそして…
「嫌だ。俺は行かないぞ」
小沢さんは自室のベッドの上から離れない。
「小沢さん、でもね。ホームの樽重さん帰るから誰もいなくなるよ」
「ダメだ。俺は行かない」
小沢さんは今日のお月見企画には参加しないという。
制度的にはアリで、移動支援を利用するしないは利用者が権利を持っている。支援に使える時間数は決められていて、それを超過すると支援サービスを受けることが出来なくなってしまう。
だからといって時間数が余ると今度は次年度から時間数が減らされる。なんとまぁ厄介な仕組みらしい。ここで時間を使わない選択を小沢さんがすると、小沢さんが不利益を被る。
「小沢さん。お月見団子きっとおいしいよ」
「餅は歯にくっつくから食わん」
小沢さん口内にある歯は奥歯にある一本だ。
それを守るのには理由がある。
定期的に歯石を取りに行くのだが、歯医者に可愛い女性歯科衛生士が働いていて、小沢さんはその衛生士にホの字なのだ。小沢さんは一本を守るために歯医者に行くというよりは衛生士に会いに行っている。
「行って歯が外れそうになったら、深山さんのとこ行けるよ」
歯医者は深山歯科クリニック、衛生士の名前は深山さん。旦那さんと二人三脚で歯科医院をやっている。小沢さんは若い女性にも目が無いが、人妻にも目が無い。
「ほ、ほ、ほんと……。いや、ダメだ。俺は行かぬといえば行かぬのだ」
呼び鈴が鳴った。スコープを覗くと名村さんだった。
「あー、名村さんだ」
名村さんは移動支援の責任者だ。
そもそも樽重さんとしては暇な支援員ですぐホームまで来れそうで、小沢さんを知っている支援員として僕を呼んだのだが、最初から名村さんを呼んでもらった方がよかった。
「今日、新しいヘルパーさん来るって」
室内に入って早々、にこやかに小沢さんに告げた。
「あ、そうそう。小沢さんの眼でやっていけそうか見極めてよ」
そうだ。昨日、帰り際に名村さんが言っていた。「明日来るから、頑張ってね」と。
「お、田吾作に後輩が出来るのか?」
乗ってきた。
「確かに後輩かも」
「男か、女か?」
「女の人だよ。きれいな人」
小沢さんの顔色が目に見えてよくなってきた。
「そいつは高卒か大卒か」
小沢さんは学歴や職歴にうるさい。
高卒なら自分と同じなので、威張り散らすが、大卒になると臆してしまう。その理由を僕はまだ知らない。
「大学生だって、でも入りたてでまだ仕事も覚束ないよ。そうだ今日、桜田さんを小沢さんにつけるから、色々教えてあげてよ」
そう言って、名村さんは携帯を取り出した。
「今から桜田さんに来てもらうからね。でもまだまだなヘルパーさんだから、彼と一緒にだよ。ね、田吾作くん」
小沢さんが僕のことを田吾作田吾作呼ぶから、移動支援の先輩方にも田吾作と呼ばれてしまう。まぁ、名前なんて記号でしかないから、何でもいいんだけどさ。
「え、田吾作も?」
小沢さんの表情は一気に曇った。
小沢さんの機嫌はしばらく降下を見せる。よほど僕が補助でつくのが気に入らないらしい。桜田さんが自分の好みではない可能性も感じているのだ。やれ行かない、俺はここから動かない。田吾作がつくなら俺は今日一人で寝ておく。仕方ないなぁ、と小沢さんに携帯の画面を見せた。
「これ桜田さん」
小沢さんの憮然とした顔が急に華やいだ。
「桜田さんにこの汚い部屋とだるんだるんに伸びたパジャマを見せるの?」
「桜田さんを指導するんでしょ?」
名村もここぞとばかりに乗せてくる。
もうそこからは早かった。下半身不随なので、座った姿勢で足を引きずってしか移動出来ないものの部屋を片付け始めた。
桜田さんを迎えに行った名村さんを見送り、自分の力では限界があると、僕は小沢さんの采配の元、小沢さんの部屋の掃除を始めた。
名村さんがホームの外に出て五分もしないうちに携帯が震えた。
「小沢さん、もう桜田さん来たよ」
「田吾作、櫛を持ってこい」
お月見団子会の腹ごしらえでのハイキング。
僕は小沢さんの車いすを押して、桜田さんは小沢さんとずっと話していた。時々手へのお触りなどのセクハラ行為未遂も見受けられた為、その度に小沢さんを注意しないといけなかった。
団子が配られ、みんなでいただきますとそれぞれが話をしながら、お団子を食べた。室内の予定だったが、窓から差し込むあたたかな日差しの中で、みんなそれぞれの時間を過ごしていた。
尿意を覚えたので、桜田さんに任せてその場を離れた。
名村さんの頑張っての意味をトイレに立ちながら考えている。考えても仕方ない、ここまで平和なのだ。小沢さんまた体重増えたな、節制してもらわないとな。だが、お月見団子会で事件は起こっていた。
ここからは後に聞いた話だ。
「桜田さん。わしは体が動かんから、お団子食べられんのよ」
周りはいつも歯医者さんでしか見せない弱々しいモードを見せた小沢さんに嫌な予感を覚えたらしい。
「えっと、名村さんに聞いたら食べられるって」
「名村はわしの体のことはよう知らんからな。だからお団子を口元に持ってくれるだけでええんじゃ」
「おいぼれの頼み聞いてはくれんか?」
僕は桜田さんに困ったら周りを頼れと言ったのだが、責任感の強さか小沢さんの頼みを聞いてしまった。小沢さんの口元にお団子を二つに割って持って行った。
小沢さんは大きな口を開けて桜田さんの手ごとお団子を口に含んだ。
僕が帰ってきたころには騒然としていた。名村さんが小沢さんに詰め寄り、他のヘルパーさんに桜田さんが囲まれ慰められ、僕は顔面蒼白になった。
続
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