第78回 結末を考えてみる

 小説を書くとき、起承転結きしょうてんけつで言えば承・転は書いていて楽しいと感じます。一方で結末を書くのが苦手というか書けない人間が存在します。私です。

 起承転結、ところでカクヨムコンでは読者選考があるのですが、人気の作品になっても中間選考を通っても、編集のプロが見たときネックになるのはおそらく結末の有無であると考えます。たとえ★の数で評価されてもそれはいっしょです。

 結末がないのもと評価されてしまう場合もありますが、それはエンタメでは許されないことだと思います。


 では、この結末。どのように考えれば上手くいくと思いますか? 例えば文章の推敲の際にきちんと文章を客観的に見ることでしょう。

 絵の世界ではデッサンが狂っていれば、見る人が見れば分かるものです。それはある程度、技術的に身につけられるものです。では小説ならどうすれば客観的に見られるでしょうか。

 ひとつはあらすじを何回も読むことでしょうね。あらすじは客観的なストーリーの要約ですから、読むたびに自分も気づかなかった内容が見えてきます。それをうまく把握していくことによって物語に最適な結末を用意できると思います。

 ふたつめは原稿を寝かせることでしょう。時間を置いて読めば、内容をほどよく忘れて、客観的に原稿をチェックできます。この寝かせる時間ですが、一日の場合もあれば一ヶ月の場合もあります。個人差がかなりあるので充分に忘れた頃にやってみてください。

 みっつめは第三者に読んでもらうことでしょう。小説を書いている仲間に読んでもらうと上手く書けたかどうかはわかると思います。ただ上のふたつよりしっかりと分かるわけではないので最終手段ですね。

 

 ひとつめのあらすじを書くという行為、小説の世界では梗概こうがいを書くと言います。梗概は内容をひとまとまりにして分かるようにしたものです。一目見て内容がわかるものとして企画書なんかと一緒に書いたりするようです。梗概を用意できるひとは書くべきものが分かっているので上達が早いとも言えます。

 

 最後の結末の一文を考える難しさを小説家の飛浩隆も語っています。いままで書いてきた何万もの文章の帰結ですから、それを書くことが小説を書くことだとも言っています。どんな文章の長さであれ、最後の一文をどのように持って行くかはセンスが問われます。ただ、小説で解消すべき物語が終わっていないうちでは考える必要はないわけですよね。このさじ加減が難しいです。


 参考文献:「なぜこんな物語を書こうとしているんだろう?|飛浩隆 インタビュー」(URL:https://monokaki.ink/n/n6af070bb95ba#LHroA)

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