第70回 終わりに

 私が高校生だった17年前の夜、ふらりと立ち寄った書店は宝箱のようでした。ガタガタと電車が線路を走る音が天井でしていて、人々の往来を感じさせます。その書店はちょうど高架下にあって、眠らない町で本による癒やしを与えてくれる場所でした。


 ―――大好きだった祖母が亡くなって一年ほど。胸に穴の空いた状態でなんとか生きていました。


 お金がなかったことを思い出します。380円の中華そばを仲間といっしょに食べていました。やりくりしたお金を持って、書店のレジで千円札を出して、なんとか買えた文庫を一日ごとにすこしずつめくる日々でした。電車内で読み、どこまでも行けるような空想を描いて、本を閉じます。だまだまし、自分の心にふたをして、やり過ごしいていました。

 

 本を読んでいる時間だけが、私が何もかも失った私であることを忘れさせてくれる唯一の手段だった。

 一日に30ページも読めずにいたのに、ただ読むことだけが楽しかった。DTPデスクトップパブリッシング(パソコン上で印刷物のデータを制作すること)の授業が始まり、簡単な冊子ならソフトウェアさえあれば作れるようになった頃でさえ、本という物には魔法がかかっていた。


 学生だった私は本という世界への憧れを、気づけば描いていたのでしょう。文字を詰めて文章を美しく配置するのがDTPの世界ですが、私はその文字の羅列のとりこになっていました。いずれDTPの仕事をしているとそのときは確かに強く思っていたのかも知れません。けれど今は違います。どのように違うかというと……


 私は小説の公募を受けていました。

 

 何度か落ちました。好きにやっていることで賞を取る難しさ、学生時代にはなかった壁にたくさんぶつかりました。そんなときにカクヨムにやってきました。


 カクヨムでいろいろな人に出会い、小説の知らなかった世界を知りました。見えなかった世界が見えるようになりました。

 気づけば今年、ライバルが多いなかでも公募の一次審査も通るようになっていました。最初に初心者向けエッセイで語った目標をひとつ越えましたね。


 いまこうして私が物語を綴っていることを17年前の私が知ったらどう思うでしょう。あのころ手にした本のほとんどは手元にありません。手放してしまったのです。いくつか買い戻したものもあります。けれど、あの本は誰かの手に渡ってしまったことでしょう。


 ところで書籍化する作品、書籍化しない作品、その違いはなんでしょう? それはまだはっきりとしたことは分かっていません。けれど考え続けることは出来ます。

 私は仮説を立てています。それはきっと、どれだけ読者の感情を動かしたか? によるのではないでしょうか? 

 

 埋まらない感情をヘトヘトになるまで動かしてくれる、なにかを。


 本を閉じても心に残る、なにかを。


 あなたも考えてみてください。そうして物語をともに書き続けましょう。(おわり)

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