第60回 関係を築く

 カクヨムを一度止める前夜までに、私は少しずつ変化していったと思います。4年前まではとにかく仲間を集めることに注力していました。仲間を増やしていくことで知り合いも増え、情報にも恵まれました。Twitterを介して様々な創作の情報を浴びるように摂取せっしゅしました。このことで創作に対して安心感が生まれ、創作を怖がらないようになりました。ずっと物作りの世界にいたので感じていたことですが、創作は怖いものであることは皆さん意外と知らない事実だと思います。容赦ようしゃない批判に晒される世界ですし、評価も残酷な指標ですから、それが成長に貢献すると思っていてもなかなか受け入れられないと思うのが人間でしょう。これは学生時代に物作りの学校にいた経験から来る感覚です。


 創作という海に慣れた頃から、私は誰彼構わず付き合う人間を増やしていくのを止めました。これは自分の学びとして勉強になるとか刺激になる人間とともに歩むことを始めたのです。ウェブ小説をたくさん読むことはもちろんのこと、そこで尊敬できると思える人間と意見を交わし、創作の輪を広げたのです。どうしたって時間にも、好き嫌いにも限界があります。なので自分がいいと思ったものにはとことん付き合うことにしました。それ以外はストレスになるだけなので止めています。幸せな方向を目指しました。


 そうしていた頃、カクヨムのなかでとあるグループを目にしました。それは作者の集まりでカクヨム作家の大きなグループでした。グループというよりかはさきほど挙げた小衆・分衆だと思ってください。評価が与えられ、円滑に、評価の連鎖を生むような力のある分衆だったと思います。でも私はそこには加わりたくなかったのです。そのグループのなかにはかつて私にコメントレビューをくださった方や、ランキングに入っていて一度は見たことのある方々がいました。どうやらそうしたグループ的な関係やパワーはすでに出来上がっているらしい、というのが私の直感です。その力に乗っていけば、安泰なセーフティネットです。


 ただ私はそこに入るのは遠慮したいと思いました。私の目的に立ち返って、カクヨム作家の評価連鎖を生むような分衆に所属するのは、あまり意味の無いことのように思えました。私がカクヨムを止めたもうひとつの理由がそこにあります。たとえばカクヨムの検索で絞り込める上限である「★1000~」は評価人数がだいたい400人ほど必要なために、そもそも良質な作品を書いた方が最適解であるということです。

 私はどういう人間と共に歩んでいけばいいかは、もう知っています。誤解しないでほしいのは、私と歩んでくれる人々が私と同じ考えを共有しているとは限らないということです。

「ブックスマート」と「ストリートスマート」という言葉があります。前者は頭がいいこと、勉強ができることを意味します。いっぽうでストリートスマートは自分で生きていくための知恵を持っているかということを意味します。世渡りの上手さという理解で構いません。

 評価連鎖のある分衆に属することは、私にとって自分で生きていくこととイコールしない。これが私の結論です。

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