第49回 小衆・分衆論

 カクヨムの作品でフォローを読者からいただいて、そこからフォローがかたまりのように増えることがあります。フォローしてくれた人々、それは私の読者という視点から見れば小衆しょうしゅうとなります。もともとは大衆たいしゅうの対義語的な意味で存在した、小衆しょうしゅう分衆ぶんしゅう。基本的な事柄をまず整理しましょう。大衆という言葉はホセ・オルテガ・イ・ガセットが「大衆の反逆」のなかで定義した言葉です。いわゆるマスのマーケットですね。一方でこのような話があります。


 時代は80年代。80年代の日本の価値観は「大衆から分衆へ」がキーワードになります。この分衆という言葉は1985年に大手広告代理店のもつ研究所である博報堂生活総合研究所が「分衆の誕生」というレポートのなかで発表したものです。

 これはテレビも自動車も冷蔵庫も各家庭に行き渡り、一人一台や一人数台をもつような時代になったというものです。そうした生活様式と嗜好しこうの多様化のなかで、分衆論は大衆という集団からむしろ離れて個が確立されたパーソナルな時代の幕開けとして迎え入れられました。

 最も端的に表しているのが「音楽」です。音楽という世界では大衆という概念がほぼ消滅してしまいました。固定客を獲得した音楽だけが生き残る世界です。


 これ、何かに似ていませんか。

 そう、私たちの生きるカクヨムです。

 私たちは偶然にも80年代の日本の世界にシンクロしているのです。こうしたある種の小衆・分衆化した世界は現在でも細分化したカテゴリーとして存在しています。

 オタク、SFファン、サブカル好き……なんでもありますよね。カクヨムで言えば読み合いをする作者たちや、コンテストでお互いの作品を褒め合う作者たち……。日々、作者同士で雑談する人々、読者も傾向に合わせていろいろだと思います。多くの読者はプロフィールを書かないものなので、どんな人たちなのかは分かりません。そんなときは作品フォローから傾向を探るのも手だと思います。

 ウェブメディアが2022年現在では大衆化したことは疑いようもありません。一方で2022年、雑誌メディアは衰退しました。つぎつぎと起こる休刊や廃刊、隔月かくげつ化など雑誌メディアには厳しい現状が続いています。雑誌はもともと小衆・分衆化の尖兵せんぺいでした。


 こうしてみたとき、私たち、カクヨムのいる地点は大衆化の果てからいずれ始まる小衆・分衆化のスタートラインにいるのです。

 過去を振り返り、分衆の時代に戻ってみます。音楽メディアのように固定客を獲得することに頑張る方向が見えてきます。

 ウェブメディアが大衆化した世の中では小説もまた変わっていかざるを得ないと思います。それはいずれ小衆・分衆化の未来で、雑誌メディアがいつか来た道の再現になるでしょう。これはマーケットのみに注目した話題ですが、ラノベが売れないのは小衆・分衆化の果てに来たからだと考えますし、そうしたメディアに起こっている読者と作り手の運動をよくよく注視していく必要があるのではないでしょうか。

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