第48回 短編作家の歩き方(3)

 短編を読むようになってから、短編というジャンルの見方がだんだんとわかってきました。きょうはその途中報告です。

 短編で面白いのは短い文章量のなかでの内容の積載量せきさいりょうをどのくらいに設定するかという点です。詰め込みすぎても、詰め込みすぎなくてもいけないところですね。ただ各ジャンルごとにがあり、その部分がおおむねクリアできていれば十分に通用する世界です。

 読ませどころというのは、テーマだったりするわけですが、どんなジャンルでもある程度はお決まりのテンプレートであることが多いです。ですからオリジナリティあふれる作品を書く前にジャンルの読ませどころを理解して書けているかという点は重要だと考えます。


 SFで、AIの反乱ものを読みに来たのに、いきなり恋愛をし出して、終わりに向かって大爆笑を誘うコメディになってはいけないわけです。ちゃんとAIを出したら、AIと人間を描いて、人間と対立して反乱して、AIにとって心とは? という議題を読者は構えるわけです。その構えを無視したらいけないですね。

 わりとジャンル迷子な作品は多く、文章量の積載量に無頓着むとんちゃくな作品も少なくないです。電撃小説大賞も短編部門があると聞いていますし、短編をきちんとたためるひとは結果を出していく、そういうものです。

 どのくらいまでの文章量を短編とするかは難しいところですが、せいぜい原稿用紙100枚以下が妥当な線でしょう。35,000字から40,000字以下ですかね。


 SFだけではなくミステリーでも、恋愛ものでもそうです。ジャンルを混ぜて幕の内弁当みたいにするよりも、きちんとミステリーでしたらミステリーを書く、恋愛でしたら恋愛を書くという点に気をつけるべきだと思います。しかし、一方で三幕構成さんまくこうせい的な作品であるなら、途中のサブプロットとして推進剤の要素が出てきます。それを意図してならば問題はないとは思いますが、読者の構え方から、大きく外れすぎる、飛びすぎるサブプロットは歓迎されないと思います。


 これは何が自然な小説構造なのかという問いにもつながるはずで、ストーリーラインの自然さは考えておく必然性があります。

 読んだあとにこの作品は読者にとって何が描かれている作品だったかと心に残るのがいいと思いますし、かなり積載量多めにして、結局この作品は何だったのかわからない作品だと公募はクリアできないと思います。

 いろいろ作者は悩んでいるのだな……とかうっすら見えてしまうとその先で読んでくれる人は激減してしまうはずです。ストーリーのテンプレートはある程度、学習で身につくのでいろいろ人気作を読んだり、名作を読んだり、分析したりという地味で地道な訓練が物を言います。一度にできることは少ないですが、将来のかてになってくれるはずです。

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