life is not all roses④
井浦が言うには、事の次第はこういうものだった。
平原と井浦が入部して間もなく、岩傘
「セイちゃんは即レギュラーでね、二個上の先輩とダブルス組んだりシングルで出たり。あたしは出たり出なかったりだったけど、なんとかブロック大会まで進めたこともあった。さすがに全国は無理だったけどね」
花ノ谷高校は岩傘コーチとともに順調なスタートを切ったかに見えた。問題が起こったのは当時の三年生が引退した後だ。部の中心になった二年生、つまり現在の三年生たちが突然岩傘の指導に逆らい始めたのだ。
「指示は無視、練習メニューも放棄で、さすがに顧問が見に来たわけ。そしたら先輩たちは、コーチを辞めさせてくれないなら全員部活を辞めるって言い出した」
「……どうして、そんな」
「あ、岩傘さんのお姉さんが何かしたとかじゃないからね。そこは安心して。ただ単に、セイちゃん中心のチーム作りが気に食わない人たちがいたってだけ。コーチが思ってたよりもその人たちの反発が大きかっただけ」
二学年上の先輩――今春卒業した三年生たちは総勢八人で、いずれも実力ある選手が揃っていたという。人数も多かったため、その後輩にあたる現在の三年生はほとんど試合に出られず、一年時には全員で応援席から声援を送っていた。
そして、県大会でも勝ち進めるだけの力があった女子卓球部に新入部員が加わる。同時期に外部からやってきたコーチは、二年になった彼女たちではなく入部したばかりの平原を試合に出した。
三年生中心だったチームに一年の平原と井浦が加わり、花ノ谷高校は正藍寺に次ぐ二位で県大会を終えた。入部早々レギュラーの座を掴んだ平原は、岩傘の決めたオーダーは、彼女たちの目にどう見えていたのだろうか。
『選手にとって最良の指導者とは自分を試合で使ってくれる人である』――どこで聞いたのだったか、
しかしそれまで出場機会に恵まれなかった三年生からすれば、自分たちが上級生になったというのにまたしてもレギュラーの枠を奪われるのが我慢ならなかったのかもしれない。彼女たちが必要としていたのは自分たちを起用してくれる指導者であって、それは少なくとも岩傘ではなかったのだ。
実力者揃いだった先輩たちが引退し、ようやく自分たちの出番が来ると思ったところで今度は後輩たちが立ちはだかる。それも二試合に起用されるエースとしてだ。実力差を体感したところで素直に納得はできず、その不満が伝染し爆発してしまったのだろう。深くを聞かずとも、美景はするすると事態の背景を掴むことができた。三年生たちに少しだけ共感できる自分を憎らしく思いながら。
「だから、学校との話し合いでセイちゃんの名前が出たっていうのはさ、二人がうまくいってなかったんじゃなくて……不仲が原因ってことじゃなくて。たぶん、どうしてセイちゃんを二点で起用しないのかっていう話だったんだと思う。岩傘コーチは最後まで勝つためのオーダーを組もうとしてた。部員に反対されても、顧問が味方してくれなくてもね」
ぐす、と鼻をすする音が聞こえる。手の甲で涙をぬぐいながら、旭は静かに事のあらましを聞いていた。突然始まった部員との不和は岩傘を精神的に追い詰め、最後は半ば追い出されるような形でコーチを辞すことになった。本人が塞ぎ込むのも無理はない。たとえ一年足らずの指導だったとしても、岩傘の試みは不本意なまま終わってしまったのだ。
「それからはまあ、ご覧の通り。オーダーは部員が話し合って決める形式になった。まあ一応、部内リーグ戦の順位とかを参考にはしてるんだけど……セイちゃんの二点起用はなくなったし、あたしたちの学年は二人だから自然と先輩中心のチームになってさ。ひとりひとりの実力が落ちた分それまで勝ててた高校にもそう簡単に勝てなくなって、今じゃ地区大会もぼろぼろ。全県に行けないこともあるくらい」
現状を分析する井浦の口調はさばさばとしていた。本来出せるはずの力を出し切れない不満はあるのだろうが、後輩相手に愚痴をこぼしたりはしない。軽い言動が目立つ一方でしっかりとした芯がある。美景は、いまだ掴みかねていた井浦への印象をいくらか改めた。
コーチの招聘、辞任、顧問の変更。旭のように個人的な事情は絡んでいなくとも、一年生たちは女子卓球部のここ数年の歴史に神妙に耳を傾けた。長い話を終えた井浦はジャージの袖をまくり上げ、膝を崩して座り直す。
「これがあたしに説明できることの全部。岩傘さんがどうするかは、あとは自分で決めて」
不意に名前を呼ばれた旭が緩慢な動作で頭を上げた。まだ目に赤みが残っている後輩に、井浦はきわめて柔らかな声色で語りかける。
「お姉さんのことが納得できなくて、それで卓球部に入ったんだよね? コーチを追い出した部員の応援なんかできないと思うなら辞めればいいし、辞めるのが面倒だったらこのまま幽霊部員になってもいい。それは岩傘さんが決めることだし、好きにしたらいいと思います。別にすぐ決めなくてもいいからね」
「え、あの」
旭の弱々しい呼びかけが体育館にほんの一瞬漂って消えた。よし、と両膝を叩いて立ち上がった井浦がメガホンの形にした両手を口元に当てる。
「セイちゃん、もうサーブ練再開していいよ。あ、それとも一緒に打とっか?」
「じゃあそうする」
「はいはい、オールでいいよね」
床に置いたラケットケースを取り上げた井浦は体育館の中央を区切るフェンスを軽やかに跳び越えた。美景はその背中を見送ることしかできない。深刻な話が終わるか早いか普段の軽さを取り戻し、平原の向かいでラケットを構えた井浦はけろりと笑っている。
この切り替えの早さはなんなのだろう。美景には、つい今し方後輩に気を配りつつ過去の出来事を説明していた井浦と無邪気に練習に興じる井浦とが別人のように見えた。
「それじゃ、こっちも練習しますか」
「そうね」
本日二度目となる
前言撤回だ。やはりあの人は――井浦先輩は、わたしにはよくわからない。
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