life is not all roses③

 体育館がいつもより広く感じられた。音が吸い込まれるような静寂の中で、平原がサーブを打つかこん、という音だけが異様な存在感を放っている。

 綺麗なバックスピンがかかっているのだろう、ネットすれすれに落としたサーブは相手コートで弾んだ後にゆっくりと逆方向に戻り、ネット付近にいくつかのピンポン球が渋滞している。密集したボールが不規則に押し出されては床に転がり落ちる光景に、美景みかげはなんとはなしに見入っていた。

 回転のかかったドライブが曲線的な軌道を描くように、サーブもまた変化する。床に落ちずに台上で戻る下回転のサーブ。その質の良さから練習量がうかがえる。


「はい、一年生集合~!」


 平原が機械のような精密さで打ち続けるサーブの音をバックに、井浦は颯爽と体育館に戻ってきた。その後ろに伴われたあさひはやや目を赤くしてうつむいている。痛々しい表情を見ては何を言うこともできず、美景たちは早足に井浦の周りに集まった。


「卓球部って、今年から男女どっちも中庭先生が担当してるのね。表向きには男子の人数が減ったからそうなったんだって言ってるけど、本当は違うんだよね。ちゃんと去年のことを説明しておこうと思って、今先生と話してきたの。特に岩傘いわがささんには、聞いてもらわないといけないことだから――セイちゃんはちょっとサーブ打つのやめて? いま大事なとこだから」


 ぽんと肩を叩かれ、下を向いていた旭が顎を上げた。焦げ茶色の目が不安げに視線をさまよわせながらおそるおそる井浦のほうを見つめる。


「姉が、なにか関係あるんですか」

「そ。顧問が変わったのも岩傘コーチが辞めたのも同じことが原因」


 旭が身を固くする。緊張を和らげるようにその肩を揺らしながら、井浦は一年生に座るよう促した。断続的に響いていたボールが跳ねる音はもう聞こえない。静かにしろと命じられた平原はサーブ練習こそ中断したものの手を休めるつもりはないようで、卓球台の端から端に回り込むフットワークを繰り返していた。黙々とラケットを振る平原を満足そうに振り仰ぐと、井浦がゆっくりと正座の姿勢を取る。

 いよいよ重要な話が始まるのだと一同が息を飲む中、井浦は厳かな調子で語り出した。


「それじゃあまず、団体戦のルールを確認しましょう」

「はあ?」


 呆気にとられた美景の隣、鞠佳まりかが素っ頓狂な声を上げる。脈絡というものを大いに欠いた始まりだった。部員たちの当惑を意にも介さず、井浦は宣言通り規則の確認を始めた。


「卓球の団体戦は中学も高校も同じ形式です」

「あんたは何を言ってるの?」

「人の話は最後まで聞きましょうね。3ゲーム先取の試合を全部で五つやって、三勝した学校の勝ち。一台だと時間がかかるから、全国大会でもない限り基本的に二台を使って進行します。要は二試合が同時に行われるわけ。五試合のうちひとつはダブルスなので、シングルス四人とダブルス二人の六人が団体メンバーってことになります。ここまでいいかな」


 旭が呆けた顔で頷く。残りの一年生も唐突に始まったルール説明をおとなしく聞く構えに移行しつつあったが、鞠佳は早くもしびれを切らしそうになっていた。わかりきったことを延々と聞かされるのが腹立たしいようだ。


「ただ、高校の団体戦には中学までとひとつ違うところがあります。中学では一人一試合しか出られないけど、高校ではダブルスとシングルスに重複して出ることが許されてる。だから、団体メンバーは必ずしも六人でなくてもよくなるのね。ではこれを踏まえて問題です、高校の団体メンバーは最少何人になるでしょうか。はい岩傘さん」

「え? えっと、四人で合ってますよね? ダブルスの二人が、どっちも二試合出る時」

「はい、正解で~す。その場合出る順番に細かい縛りはあるけど、まあそこまで言っちゃうと複雑なので今はいいとしましょう」

「ここまで待たせたんだから最後まで説明しなさいよ」


 話が終わるのを待ちくたびれたのか、足を崩した鞠佳が小声で突っ込む。

 うーんと小首を傾げた井浦はまたしても一年生たちを順々に眺め回し、なぜか美景のところで目を留めた。


「それじゃあミカちゃん、禁止事項のほうをどうぞ」


 直々の指名を受けた美景はえっあっと慌てたものの、すぐに冷静さを取り戻した。


「ええと、ダブルスは五試合のうちの三試合目に行われますが、シングルスの一番と二番に出た選手同士でペアを組むのは禁止されてます。これだと二人だけで三勝することができてしまうので――」


 そこまで一息に述べたところで、美景は不意にあることに気がついた。はっとして周りを見ると、同じく怪訝そうな顔をした薫子かおること目が合う。きっと同じことを考えているに違いなかった。とても黙っていられず、美景は何かに追い立てられるように身を乗り出した。


「あの……井浦先輩が一年の頃、花ノ谷のオーダーはどうなっていたんでしょう」


 よほど強いダブルスがいるなら話は別だが、多くの強豪校ではエースが二試合に出場し勝ちを稼ぐのが一般的となっている。花ノ谷では平原がそうだ。

 練習を見た限り、三年生の中に平原に勝る力を持った選手がいるとは思えなかった。普通に考えるなら平原が二試合に、そして井浦がシングルスに出ていただろう。

 そして平原はおおよその選手に勝っただろう。井浦の独特なプレースタイルなら有力選手ともいい試合ができたはずだ。


 美景の疑問はシンプルだった。平原と井浦がいながら、花ノ谷はなぜ勝てなかったのだろう?

 考えてみれば不思議な話だ。先ほど自分が言ったことだが、それこそこの二人がいれば正藍寺を除く県内のチームから三勝を奪える可能性が高い――オーダーさえ間違えなければ。

 井浦は、まるでその問いをずっと待っていたとでも言うようににこりと微笑む。


「オーダーは岩傘コーチが決めてた。辞めるまではね」

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