花ノ谷高校女子卓球部⑤

 せーの、と声をかけ合って二つ折りにされた卓球台を開く。折りたたみ式の卓球台は倒れる危険があるため二人一組で設置するのが一般的だ。

 キャスター付きの天板の端をゆっくりと床に降ろし、台の角度を調整していると井浦いうらがネットを運んできてくれた。


「ネットは用具室のケースに入ってるので見ればわかると思います。用具室には普段は鍵がかかってるから最初に来た人が職員室まで取りに行ってね。で、帰りに誰かが戻す」


 はい、と答えた美景みかげは台の中央に支柱を取り付け、その根元にネットの紐を結わえる。美景たちには慣れ親しんだ作業だが、あさひは井浦に教わりながらゆっくりと準備を進めていた。

 女子が台を出す一方で男子部員はフェンスを運んでいる。小さな長方形のフェンスをいくつも並べて仕切りを作り、体育館の中央で男女の練習場所を分けているのだ。

 ここにも花ノ谷高校の男女比が顕在化しており、体育館の縦幅いっぱいに台を並べる女子に対して男子は二台のみで足りてしまうらしい。高校では最少四人で団体五試合のメンバーを埋めることができるが、男子卓球部の人数は本当にぎりぎりといった感じだ。

 三年生七人に井浦を足して八人と、なるほど人数面では平原が来ないほうが都合がいいようだった。そこに一年生四人が使う分を足して計六台。十分に間隔を空けたので大きく動いても支障はないだろう。井浦の指示通り自由に打ち合っていた美景たちは、三年生が来るとともに台から離れた。


 一応は利便性を考慮したつもりだった。しかし、五分ほどしてやってきた三年生の言い分はこういうものだった。


「これはちょっと狭くない? 台数減らそうよ」

「廊下で素振りか壁打ちしててもらえば?」


 外で壁打ちなんてできるわけないじゃない。鞠佳まりかがぼそりと漏らした不満は新入部員の処遇を話し合う三年生の耳には届かなかったようだった。


「あ、四人一台で打ってもらったらいいんじゃない」

「ちゃんとスペースがあるのにわざわざそんなことするんですか?」


 思わず背筋が伸びた。気持ちはわかるが初日から歯向かわなくても――美景は横目にすみれの表情をうかがう。平坦な声で言い返した菫の顔には怒りや苛立ちといったものはなく、単に疑問に思ったから聞いてみましたという調子だ。


「そうですよ、四人一台じゃ練習になりません。二台でいいんじゃないですか」

「狭いわけでもないですし」


 案の定菫の反論に鞠佳が乗っかり、意外なことに薫子かおるこまでも賛同してたちまち険悪な空気が立ち上ろうとしたところで、助け船を出したのは井浦だった。


「じゃあ、今日はとりあえず一台でやりましょう。外廊下じゃ風もあるから素振りしかできないですし、経験者にそれだけやらせるのも気の毒でしょ」


 井浦が折衷案を出したのだということはわかっていた。美景たちはいくばくかの不満を残しつつ一番端の台を片付け、ようやくその日の練習メニューが始まった。


 六時四十分、二時間半にわたる練習が終わり片付けも済んだ頃には窓から見える空は暗くなっていた。井浦が手伝ってくれたおかげで後始末はすぐ終わったが、更衣室に蔓延した重暗い雰囲気はそう簡単に晴れそうにない。

 とりわけ練習着を畳みもせずにエナメルに押し込む鞠佳の機嫌は最悪で、練習中から声をかけづらい雰囲気が漂っていた。


「もう嫌。なんなのよあいつら、自分たちのこと何様だと思ってるわけ」

「三年生様でしょ」

「わかってるわよそんなのは!」


 勇敢なのか無謀なのか、からかうように口を挟んだ菫に鞠佳の怒りが炸裂する。金切り声でも上げそうな勢いで憤慨する鞠佳はなおも不満を並べ立て、時折薫子が相槌を打つ。

 文句を言いたい気持ちもわからないでもない。名前を聞かれることもなく練習が始まり、場所に余裕があるにも関わらず台数を制限され、基礎練習が終われば球拾いや用具の準備に忙殺される。

 試合形式の練習が四人一台でこなせるわけもなく、結局最初の三十分以外はろくに打たせてもらえなかった。美景などその基礎練習すら満足にこなせていない。

 正藍寺でも四人一台でクロスを打つ練習をすることはあったが、美景はどうにもこのやりかたが苦手だった。隣の部員とぶつかるのを気にするあまりフォームが小さくなり、抑えたスイングに終始してしまうのだ。


「ボールくらい自分で出せっていうのよ、いちいち全部人にやらせようと思って。ねえ、正藍寺ってどうだったの? あの人数だし、手伝わされる部員がいてもおかしくないわよね」

「いえ、控えとレギュラーは場所を分けて練習していたので。こういうことは一度もなかったですね」

「地区予選止まりの学校が強豪校より偉そうにしてるってどういうことなのよ」

「あは、それ絶対三年が聞いたらぶち切れるやつだよ」


 ブレザーのボタンを留め、首の後ろでセーラー襟に縫い付けられた赤いリボンを結ぶ。フルーツ柄のリュックを担いだ菫は、蛍光色のエナメルバッグをずるずると引き寄せた。


「お疲れ様でした。じゃあお先に」


 真っ先に支度を終えた菫が歩いて行く。エナメルを引いて歩く姿をぽかんと見つめる美景はしばし言葉を発せずにいた。


「……進藤さん、なんでそんなに早いの?」

「そうよ、あんたが一番着替えるの遅かったじゃない」

「え、だって早く帰りたいもん。片付けもやったし、この後職員室寄るとか勘弁だよね」


 菫は一切悪びれずマイペースこのうえない返答を口にする。本音ならではの説得力に薫子と鞠佳が押し黙ると、菫はよいしょと更衣室の扉を押し開けた。


「それじゃ明日ね、鍵よろしく~」


 背中越しにひらひらと手を振って、菫は本当に出て行ってしまった。初日からこれなのか。さすがに協調性がなさすぎやしないだろうか。一年全員で鍵を返しにいくものだと思っていた美景は、真っ先に下校した同級生の堂々たる態度にいっそ圧倒されてすらいた。

 美景は感情をあらわにする人が苦手で、主張の強い相手にはすぐ萎縮してしまう。物静かな旭や薫子はともかくとして、攻撃的で口数の多い鞠佳はあまり進んで近づきたくはないタイプだ。

 菫は感情的でこそないが、人に合わせず物を言うところがあって鞠佳とは違った意味でとっつきづらい。本当にこの調子で一緒にやっていけるのだろうか。


「あたし、明日もこんな調子ならさすがにやってられないわ」


 ああもう、と鞠佳が唸る。胸の内で着々と不信感を募らせていた美景はあまりにタイムーな鞠佳の言葉にぎょっとした。心を読まれたのかと思ったのだ。


「ねえ、あんたはどう思ってるの。大してうまくもない三年にこき使われて平気なの」

「……別に? 中学も最初はこんなものだった」

「はいはい、あたしが聞く相手を間違えたわ」


 真顔で答えた薫子を睨みつけ、鞠佳が盛大なため息をつく。旭はもはや誰かが発言するたび肩をびくつかせている。淀んだ空気は更衣室を出てもなお四人につきまとい、職員室に向かう間もろくな会話は生まれなかった。


「何日続くのかしら、これ」


 苦々しげな鞠佳の呟きに呼応するように、美景は鞄のストラップを掴む手に力をこめた。正直美景にもよくわからない。本当にここが自分の目指していた新たな環境なのか、このメンバーとうまくやっていけるのか――しかし第一の心配事は、自分たちの雑用めいた扱いがいつ終わるのかということだ。


 結論から言おう。仮入部期間が終わり、美景たちが正式に入部した後もその待遇は変わらなかった。そして噂の平原誓は、一年生が入部して以来一度も部活に来ていない。

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