花ノ谷高校女子卓球部④

「三年生はもうしばらく来ないと思うから、とりあえずあたしたちで台出しちゃおう。準備できたら打っていいけど、あくまでもひっそりね。先輩が来たら即ストップ」


 最上級生が一番偉いというのはどこの学校でも共通するルールらしい。指示通り更衣室に移動した美景みかげたちは、先輩の私物に触らないよう部屋の隅でジャージに着替えていた。

 狭いスペースに固まる一年生たちを見て、どさりと荷物を置いた井浦いうらが堂々と発言する。


「そんなに気使わなくても大丈夫、あたしそういうの平気で蹴飛ばしてるから」

「あんたも相変わらずよね」


 井浦に対する鞠佳まりかの口調にはやはり遠慮というものがない。にこにこと耳を傾けていた旭が声を弾ませた。


「井浦先輩と鞠佳ちゃんは仲がいいんですね」

「まあ、中学からの付き合いだからねえ。それを言ったらスミちゃんとセイちゃんも仲良しだと思うな」


 美景はしばし唐突に出てきたスミちゃんという呼称が誰を指すのかと考えていたが、これはおそらくすみれのことだろう。菫だからスミちゃん――そういえば井浦は、つい先ほども鞠佳をマリちゃんと呼んでいたのだった。その流れでいけば美景はミカちゃんになるのだろうが、この場合薫子はどう呼ぶのだろうか。

 カオちゃん? それともルコちゃん?

 考え込む美景の正面で、のろのろとブラウスのボタンを外している菫が面倒そうに顔を上げた。


「それもしかして菫のことですか? っていうか、なんで平原ひらはらさんの名前が出るんですか」


 平原さん、セイちゃん。同じ人物を指すのであろう固有名詞をつなぎ合わせた美景の脳裏に一人の選手が浮かび上がる。平原せいだ。正藍寺のレギュラーとも互角に渡り合う県北王者。美景が八倶坂の校名を覚えていたのはこの選手がいたからだ。鞠佳と井浦が同じ園部中で卓球をしていたように、菫と平原も八倶坂の先輩後輩ということになる。

 なぜここで唐突に平原の話題が出てくるのか――普通に考えれば答えは一つだ。てきぱきと黒のスポーツウェアを身につけた井浦は、床に脱ぎ捨てたプリーツスカートを拾いながらきょとんとした目を菫に向ける。


「なんで、って。セイちゃんも花ノ谷の部員なんだけど。知らなかった?」


 予想通りの返答に、なぜか鞠佳があからさまに顔を歪める。事実を突きつけられた菫は飛び抜けて遅い着替えの手をぴたりと止めてしまった。傍目にもわかりやすく絶望がにじんだ表情のせいで、ただでさえ白い顔色がより青白くなったようにも見える。


「あ、これえみりちゃんが来なかったのって平原さんがいるの知ってたからか……うわ絶対そうじゃん……」

「なんであんたは先輩の進路を把握してないの」

「知らないよ人の進路なんか!」

「もうちょっと他人に興味を持ちなさいよ」


 口調こそ刺々しくはあるものの、鞠佳の言い分はあまりにもまともだった。タオルとラケットケースを荷物の中から引っ張り出した井浦がちょこんと結った髪を肩にかける。


「あはは、でも気持ちはわかる。セイちゃんなかなかな性格してるから――ま、今日は来ないと思うけど。正確に言うと今日も来なさそう」


 井浦が助詞にあたる『も』をさりげなく強調した。

 表情はいまだ落胆を引きずっているものの、いくぶん立ち直った様子で赤のジャージを手に取った菫が無愛想に尋ねる。


「平原さんってやっぱり週二くらいしか来ないんですか」

「あ、八倶坂でもそうだったの? 今はそれより少なくて、週一来ればいいほうかな。でも文句なしに強いからねえ、誰も怒らない。正直セイちゃんが来る日って揉め事が多かったりするし、逆に滅多に来ないことがありがたく思えてきたりもするんですよね」


 目を閉じた菫がうんうんと同意している。すでに他の全員が体操着なり練習着なりに着替え終えているが、まだ話が続いていることもあってか菫には急ぐ様子もない。


「来るだけで雰囲気を悪くするってどういうことよ」

「だから平原さんがいると部員が減るみたい。八倶坂も先輩二人だけだったもん」

「……ねえ、もしかしてここでもそれで二年が二人になったの? 入部した頃はもっと多かったんじゃないの?」


 井浦は後輩の問いに悟りきった笑みで応えた。雄弁な肯定に、呆れかえった鞠佳が腰に手を当てる。


「とんだトラブルメーカーじゃない。あんたのとこ、よく団体メンバー揃ったわね」

「それが菫たちの代は誰も辞めなかったんだよね。毎日めちゃくちゃ揉めたけど」


 鞠佳と井浦、菫と平原。中学からの先輩後輩が二組存在するらしい卓球部だが、どうやら平原誓がアクの強い先輩であるらしいことは美景にも十分想像できた。正藍寺を飛び出しさえすればきっと何かが変わる、変えられると信じていた美景は、ここにきて自分の選んだ新天地におぼろげな不安を感じ始めたのだった。

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