花ノ谷高校女子卓球部③

「そうだ進藤さん、B組に村田さんがいたけどあの子も卓球部に入るの」

「高校では帰宅部志望って言ってた。っていうかもともと卓球が好きだったわけじゃなくて、友達がいるから始めただけみたいだし」

「村田って、あんたとダブルス組んでた村田えみり? 強かったのにもったいないわね」

「ま、そこは本人が決めることだし? そりゃ菫もえみりちゃんがいたほうが嬉しいですけど。あ、そういえば田宮のさあ――」


 四月中旬、仮入部一日目。卓球部には女子五人、男子一人の一年生が集まった。部室棟を抜け、細い外廊下を通ってやっと辿り着く第二体育館は校舎の影に隠れて日当たりが悪く、日中でも電気をすべて点けなくてはならないほどだ。旭と連れ立って来た美景は、菫たちから少し離れたところでじっと黙り込んでいた。

 予期していたことながらまったく話に入れない。聞くところ知り合いらしい三人は再会の挨拶もそこそこに中学時代のチームメイトについて語り始めたが、もちろんながらその名前は美景にはひとつも聞き覚えのないものだった。


 顔立ちそのままきつめの言動が目立つショートボブの女子と、セミロングの髪をバレッタで留めた長身の女子。そのそばでは長い黒髪をサイドテールにした菫が壁にもたれている。打ち解けた雰囲気から察するに、おそらく三人とも県北地区の中学校出身なのだろう。

 卓球部員の多くは中学かそれ以前からの経験者であり初心者はまずいない。中高と続ける生徒がほとんどなので、すでに大会で顔を合わせている相手も多いのだ。

 ここで改まって自己紹介を始めようという雰囲気こそないが、美景にも自分が見知らぬ顔だと思われている自覚はあった。卓球経験のない旭と別地区から来た美景は、同じ地区で三年間戦ってきた三人の目にはどちらもよそ者と映るのかもしれない。


「あの、わたし、林美景といいます。正藍寺学園から来ました」


 少なくとも自分には名乗る理由があると判断して、話の切れ間に割り込んだ美景は一足早く頭を下げる。新たなスタートを切るなどと言いながら学校の名前をふりかざすような真似をしているのが情けないが、今の美景にはそれしかなかった。手っ取り早く認めてもらうには結局正藍寺の威光に頼るしかない。


「正藍寺って、静井都とか青木光希みつきとかがいるあの正藍寺よね。林なんて選手いた?」

「林ちゃんはそこの控えだったんだって。この前聞いた」


 ね? と菫に問われ、美景はこくこくと首を縦に振る。

 ふうん、と疑わしげに美景の顔を見たショートボブの女子は、その視線を隣へと移した。


「で、あんたは?」

「C組の岩傘旭です。わたしは初心者なんですけど……あの、どうしても入部したくて」


 旭はやはりそれ以上の説明を避けたが、聞いたほうにも事情を詮索するつもりはなさそうだ。変わってるわね、とぼそりと呟き短い髪を撫でつけると、彼女は再び美景の目をまっすぐに見据えた。


「あたしは瀬尾せお鞠佳まりか園部そのべ中出身、クラスは1D」

「……B組の石田薫子かおるこ。出身は田宮東」


 一人が堂々と名乗ると、続けて大人びた雰囲気の一年生も無表情のまま名前を告げた。鞠佳ちゃんと薫子ちゃん、と旭が小声で繰り返す。


「ああ、八倶坂中出身の進藤菫です。よろしく」


 最後に菫が思い出したように挨拶を終えた。全員の自己紹介が一通り終了したところで特にするべきこともなくなり、三人は中断した話の続きを始める。

 美景は所在なさげな旭と目を見合わせた。話し相手がいてくれてよかった。しみじみと旭と同じ電車に乗り合わせた幸運を感じていると、がらがらと扉の開く音がする。


「あれ、もう来てたの? ごめんごめん、思ってたより早かったな」


 五人が一斉に振り向いた先、扉の向こうから快活な声が響き渡る。エナメルバッグを抱えて体育館に入ってきたのは小柄な女子生徒だった。セーラー襟には黄色のリボン。スカートからのぞく極端に細い足と整った顔立ち、極めつけに茶色に近いふわふわとした癖毛が毛先のあたりで申し訳程度に結ばれている。

 人目を惹く外見は一度見れば忘れられないものだった。新入生歓迎会で部活紹介を担当していた二年生のことを美景はすでに知っている。名前も外見も、その独特なプレースタイルも。井浦いうらもえ――園部中の元キャプテンだ。

 県下最強と呼ばれる正藍寺学園は事実他校を寄せつけない無類の強さを誇っている。団体八連覇という成績を残した県大会において、美景の知る中で正藍寺をあと一歩のところまで追い詰めたチームは井浦のいた園部中だけだった。

 井浦たちの代には実力のある選手が揃い、県二位で進んだブロック大会でも健闘していた記憶がある。エースではなかったものの、正藍寺がその中で誰より警戒していたのがこの井浦萌なのだ。


「お、マリちゃんじゃん。入ってくれると思ってた~」

「ほんと、高校でもあんたと一緒になるとは思わなかったわ」


 重たそうに荷物を担ぎ直した井浦は早速鞠佳にちょっかいを出している。気心が知れた間柄なのだろうが、美景としては先輩に敬語を使う素振りが一切ない鞠佳とそれを平然と受け入れている井浦の双方に驚いてしまう。集まった一年生を見渡した井浦はまず見知った顔に声をかけた。


「あとは進藤さんと石田さんだね、ひさしぶり。そっちの二人は……」

「あの、林美景といいます。正藍寺の控えをしてました」

「正藍寺に入るような子が花ノ谷に来てよかったの? 全県にも行けないレベルの高

校なのに。あ、そっちの子は?」


「ごめんなさい。わたし、初心者なんです」


 旭が都合悪げに小首を傾げる。意外そうな顔をした井浦は、しかしふわりと親切そうな笑顔を作ってみせた。


「大丈夫大丈夫、あたしたちだって大体中学スタートなんだし。高校からでも遅くないです」


 名前はなんて言うの、と優しく問われた旭が嬉々として顔をほころばせる。美景は強烈な既視感に襲われる。わたしはこの顔を前も見た。

 あれは、旭と初めて会った日だ。


「岩傘旭です!」

「……うん、林さんと岩傘さんね。というわけで、あたしは二年F組の井浦萌です。園部の部長をしてました。知ってる人も知らない人も仲良くしてね」


 じゃあ一年生はあっちで着替えてきてください、と二階の更衣室を指した井浦の顔からは、先ほどまでの明るさがいくぶん抜け落ちているように見えた。

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