花ノ谷高校女子卓球部②

 教室に入った美景みかげは、座席表に書かれた席に荷物を降ろす。ついついすみれの席まで確認してしまったが、どうやらまだ登校していないようだ。とはいえ菫のほうは応援席で自分を見ていた美景のことなど知らないのだから、いきなり声をかけるわけにもいかないだろう。

 知り合い同士がひそひそと言葉を交わし、初対面の生徒が友人を作ろうとぎこちなく話し始める教室の中で、自分から人に話しかけるような性格をしていない美景は忙しなく前髪のピンを直していた。

 結局のところ菫が登校したのは予鈴が鳴る直前で、後に続くようにして入ってきた教師に明日からはもっと早く来るようにと釘を刺される始末だった。


 入学式はつつがなく行われた。遠くから通っている生徒も多いためか父兄が座るパイプ椅子にはちらほらと空きがある。美景の親も来なかった。外部受験にはとことん懐疑的だった両親なので、もしこれが正藍寺高等部の入学式であれば来ていたのかもわからないが。

 これからの授業や教科書販売の説明を受け、短いホームルームは自己紹介に費やされた。周りの生徒たち同様、面倒そうに立ち上がった菫は誰とも目を合わせず口を開く。


八倶坂やくさか中出身、進藤菫です。一年間よろしくお願いします」


 一人一人の挨拶ごとにまばらな拍手が起こる。冷ややかな反応を恐れてか、出身校と名前というシンプルなフォーマットを崩そうとする生徒はいなかった。右端の席から順に進んでいく自己紹介も半分を過ぎるとまともに聞く者がいなくなる。

 こうなるとほとんど流れ作業だ。両腕を机に乗せた美景は、前の生徒が座るのを見てその場に立ち上がった。


正藍寺しょうらんじ学園から来ました、林美景です」


 よろしくお願いします、と続けて椅子を引くと、こちらを振り向いた視線と目が合った。斜めに流した前髪、頭の横でまとめた長い髪、遠慮のないきつめの視線。クラスメートになった進藤菫は、かつて試合で見た姿とどこも変わってはいない。

 おそらく正藍寺と聞いて反応したのだろう、興味深げに美景を見る菫に視線をそらす気はなさそうだった。座ろうとしていた体を再び起こし、美景は一言付け加える。

 同級生ではなく菫一人に伝えるために。

 卓球部に入ろうと思っています、と。


 ホームルームが終われば帰宅時間がやってくる。両親が来ているのであろう生徒たちが教室を出て行く中で、帰り支度を済ませたらしい菫が席を立った。


「あの、」


 今度こそ呼び止めなければ、とどうにか声をかけた美景を上から下まで見下ろして、菫は不思議そうに目をすがめる。


「……わたしも卓球部だったんですけど。あ、もしかして試合で当たったりとかしてます? もしそうだったらごめんなさい、でも菫あなたのこと全然覚えてなくて」

「あ、いえ、違うんです。すみません、わたしが一方的に進藤さんのことを知ってるだけで」


 県大会で見かけて、それ以来印象に残っていて――美景は正直に白状した。もちろんながら個人的な事情は除いて。


静井しずいさんとの試合を見てたんです。応援席のほうで」

「ああ、正藍寺って部員多そうですもんね」


 美景は菫の反応の薄さをありがたく思った。部活の話となると、自分が控えだと告げれば大概の相手は微妙な顔をする。

 そうなんだ、頑張って。愛想笑いとともに贈られる励ましはとってつけたような軽さで、そのうえ聞いちゃってごめんねというニュアンスすら含んでいるので言われるほうも都合が悪いのだ。旭といい菫といい、美景が控えであった事実をさらりと受け止めてくれるのが心地よかった。


「進藤さん、高校でも卓球は続けられるんですか?」

「菫でいいですよ。どうせ同じ部活になるんだし」

「あっ、はい。よろしくお願いします――わたし、林美景といいます」

 改めて小さく会釈をすると、菫は控えめに相好を崩した。

「それじゃとりあえずよろしく、林ちゃん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る