第7話 発現
すっかり暗くなった路地裏に響く剣戟。
やがて、パワーで押し負けた彼方が、ミライの重たい一撃をくらって路上に転がる。まるで、水切りで水面を跳ねる、石のようだった。
しかし、まだ息はあるようで、うめいている。
少しでも時間を稼ぐために、私は隣にいる白い毛並みの魔獣キャトと共に、吸血鬼としての本来の力を見せつけるミライに向かって一歩を踏み出した。
「どうして、魔法使いを目の敵にするの? 私は、ミライと戦いたくないのに」
私の言葉に、ミライは辛そうに俯く。それで確信した。彼女とて、本当はこんなことはしたくないのだと。
「私だって、ハテと戦いたくなんてない。でも、これは復讐だから。私から、たった一人の大切な人を奪っていった、魔法使い全てに対するね」
目尻に大粒の涙を浮かべながら呟いたミライ。彼女が一体、どれほどの苦しみを抱えているのかはわからないし、おそらく聞い他ところで理解もできないだろう。
だけど私は親友として、彼女の心に寄り添いたいと思った。
「よければ聞かせてよ。ミライの話。吸血鬼って永遠の時を生きるんでしょう? だったら、積もる話の一つや二つあっても当然だよ。私が全部受け止めるから、こんなことはもうやめよう?」
「私にはもう、帰る場所なんてないのよ。私がしてきたことの全てを知ったら、あなたきっと、私の前からいなくなってしまうもの。知らないでしょう。私の手が、どれだけ血に汚れているかなんて」
私の言葉に、ミライが激しく動揺したのが伝わってくる。あともう一押し、何かが必要だった。
「ミライがどれだけ人を殺そうと、私にとっては大切な友達だよ。友達が悪いことをしたら、きちんと叱る。そして、仲直りする。これまでだって、ずっとそうしてきたじゃない」
「それは……そうだけど。あなたが考えているほど、現実はそんなに甘くないのよ」
「現実とか、そんなことはどうだっていい。私は、ミライとまだ友達でいたい。それじゃあ、ダメなのかな? 理屈より感情を優先したって、いいんじゃないのかな?」
ミライは心を乱している。それは、彼女の真っ赤な瞳の潤み具合を見れば、一目瞭然だった。
……これで、とりあえず一安心かな。
そう、私が胸を撫で下ろした時だった。
「そっか、やっぱりハテも魔女なんだね。そうやって、平気で嘘をつく。悲しいな。ずっと本当の親友のように思っていたのに」
うなだれ、ボソボソとうわ言のように呟くミライ。その目はどす黒い感情で、濁りきっていた。
今の彼女には、どんな光も届かない。そんな気がした。
「女の子はこの世に生まれ落ちた時から孤独だった。吸血鬼は、自分の血を他人に与えることで眷属を増やす。だけど、その子の血液型は特殊で、他の血と混ざるとそれを凝固させる性質を持っている。だから、その子には家族はおろか仲間なんていない」
ミライは流れるように語り出す。自分のことを、まるで他人事のように。自分の事と認識してしまえば、心が完全に死んでしまう。それがわかっているからこその、防御反応なのだろう。
「知らないなら教えてあげる。魔法使いにとって、神の血を引く吸血鬼は、いい研究材料なのよ。だから、魔法使いたちはその子の血を欲して蚊のように群がってきた。鬱陶しいから、プチンと潰したそうよ。人数なんてわからない。あなたは、潰した虫の数を数えながら道を歩くの?」
ミライの口から語られる凄惨な物語に、私は耳を塞ぎたくなる。しかし、そんなことをすればきっとミライは心を閉ざしてしまうだろう。彼女の親友であると決めた以上、そうすることはできない。
「ある時、その女の子とお友達になりたい、だなんて物好きなことを言う魔女がいてね。面白そうだったから、その子は彼女にだけ血をサンプルとして提供したわ。だけど、それっきり彼女は姿を現さなかった。だからその子は、血の匂いをたどって、彼女を殺した」
そう言うと、ミライは鋭い爪を構える。
そして、告げた。
「こんな風に、ね――!」
瞬間、剣のように振り抜かれる凶悪な爪。私はそれを、間一髪のところで躱した。
また、世界がスローになって見えた気がする。
自分でも何が起こっているのかよくわからないが、そのおかげで命が繋がっているのだということは嫌と言うほど実感している。
「今のはまぐれ? それとも必然? わからない。私にはわからない。十年近くの付き合いになるはずなのに、私にはあなたが理解できない。これってやっぱり、私たちは友達でもなんでもなかったってことよね」
「そんなことない! 友達だって、隠し事くらいあるよ。あなたが吸血鬼であることを隠していたように、私が魔女見習いであることを隠していたように」
「うる、さい、なっ――! そんな綺麗事、私は聞きたくない!」
一回、二回、三回と、ミライの鋭い爪が空を切る。
その全てを私はひらりはらりと躱した。
……どうしてだろう。なぜだか、本能的にどこに攻撃が飛んでくるのかわかる気がする。
その違和感に首を傾げながらも、私はミライに向き直る。
「そうだね。今のは綺麗事だった。でも、私がミライと友達でいたいっていうのは、綺麗事じゃなく、私の本心だよ」
「そうね。そうなのかもしれない。でも、これは私の心の問題なのよ。私は、私に絶対の信頼を寄せてくれるあなたを、心の底から信じきることができない。こんなんじゃ、友達になんてなれないのよ」
「そんなことないよ!」
私は、絶叫にも似た声を上げる。
どうにかして、胸の中にあるこの気持ちを伝えなければいけない。だけど、一向に綺麗にまとめ上げることができない。その焦りから出た心の叫びだった。
……そうだよ。私は何を難しく考えていたんだろう。
かける言葉が見つからないなら、心全部をぶつければいい。
どうしてそんな簡単なことを、今まで見落としていたんだろう。
「ミライ。私の全部を受け取ってよ」
私はミライに向かって歩み寄っていき、その体をぎゅっと抱きしめた。
鼓動も呼吸も、熱も香りも。全身を使って、彼女の全てを感じ取る。
そして、私の全てを、彼女に伝えた。
すると、彼女はボロボロと涙をこぼし始める。
最初は、自分が流しているのがなんなのかわかっていない様子だったが、すぐにそれが涙であると認識すると、声をあげて泣き始めた。
その背中を、私はそっとさすってあげる。まるで母親が、悪い夢にうなされた、小さな子供にしてやるように。
「こんな私でも、ハテの友達でいいのかな?」
やがて、ひとしきり泣いて落ち着いたミライが呟く。
それに、私は笑顔で返した。
「もちろん。これからも、ずっと友達でいようね」
直後、ミライの顔が固まる。初めは恥ずかしがっているだけかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。視線が一点を見つめたまま止まっている。
そして、カハッという乾いた音と共に、大きな血の塊を吐き出した。
私は、それを反射的に避けようとして、自分の足が地面に縫い付けられてしまったかのように、一歩も動かないことを知る。
そして、腰の辺りに変な違和感を覚えた。
「何よ、これ!?」
慌てて腰に手をやると、制服の隙間から、キャトの毛並みのように白く虹色の輝きを放つ尾が生えていた。
それは私の体の横をぐるりと回り、まるで剣のようにミライの脇腹を串刺しにしていた。
「嫌……嫌! な、なんなのよこれ。私、私はミライを傷つけたくなんて」
力を失い、地面に倒れそうになるミライを抱き止めながら、私はだらしなく涙を流す。まるでわけがわからなかった。
どうして、私の腰から、こんな得体の知れないものが生えてきているのか。
そして、それはどうして私の意思に反して、ミライの体を刺し貫いているのか。
わからないことだらけで、パニックを起こしそうになる。
すると、耳元で聞き慣れた声を聞いた気がした。
「ご苦労、ハテ。そのまま押さえておきなさい。くれぐれも、それを飼い主である私には向けないように」
私が目を見開いて振り返ると、そこには私を拾って育ててくれた、魔法使いの姿があった。これまで、ずっと透明化してことの成り行きを見守っていたのだろう。
「これは……どういうことですか?」
「私は魔獣の専門家だが、吸血鬼には興味があってね。できれば、生きて捕まえたかった」
「そんなことを聞いているのではありません。この、尻尾のようなものは一体?」
「まだ試作段階の首輪の魔法だが、尾の一本くらいは制御できると思ってね」
私は、ますます首を捻る。魔法使いの言っていることがわからないのは今日に始まったことではない。だが、それにしたってここまでの意味のわからなさは以上だ。
私が知っていなければならない何かを、見落としているかのような。
……待て、魔法使いは最初になんと言った? 飼い主である私にと言った。
それじゃあ、まるで――。
「私が、動物か何か見たいじゃないですか」
「なんだ、まだ気づいていなかったのかい? 五年前。あの災害の最中。私が集めていたのは動物だけだよ。物好きで、人間の子供なんて拾ったりはしない。てっきり、賢い君ならとっくに気がついているものと思っていたよ」
「私が、人間じゃない?」
「心当たりはないかい? 君は人より動物に肩入れする節がある。だけどそれは、決して人より動物が好きだからではない。同族だからこそ、人より動物に感情移入をしてしまうんだ」
言われてみれば、確かにそうだ。信じがたいことではあるが、そこにある事実を客観的に繋ぎ合わせた結果がそれしかないmのであれば、どうあがいたって、それが真実なのである。
私は、膝から崩れ落ちそうになりながら、魔法使いに言った。
「どうして、それを今まで隠していたんですか?」
「自分で気づくべきだと思ってね。私の口から真実を告げたところで、きみはそれを受け入れられなかっただろうし」
それに、と魔法使いは思い出したように付け足す。
「君の言葉を借りるならば、友達でも隠し事くらいはある。だったら、家族のような間柄でも、当然のようにあるのではないかな?」
その一言で、私は思い知った。
魔法使いは本当に人の心というものを、持ち合わせていないのだと。
そう思った途端に、私の中で真っ黒な感情が肥大を始めた。
一度始まるとそれは、際限なく続き、やがて表に現れた。
「ダメだ。こいつは、ここで殺さなきゃ」
自分の声とは思えないほど冷酷な声に、私の心臓は飛び跳ねる。
直後、虹の尾が、さらに輝きを増し、ウネウネと脈打つ。
水を得た魚とは、まさにこのことだった。
次の瞬間――。
私の尾は、魔法使いの左脇腹を抉り取っていた。
災厄の獣飼い――少女はやがて世界を統べる しずりゆき @shizuriyuki
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