第6話 孤高の吸血鬼

 翌日。

 静かだった教室に、ぞろぞろと人がやってきて騒がしくなっていく。

 ホームルームが始まるまでの時間に、私は昨日の出来事を、ミライに話していた。


「通り魔だと思っていたけど、違ったみたい。ミライは語り部って知ってる?」

「語り部――」


 そう呟いたミライは、突然固まってしまう。

 私がどうしたの、と顔を覗き込むと、ミライは何かを隠すように言った。


「私、言ったよね? あれほど危ないことには首を突っ込むなって」

「そ、それはそうだけど、いざ動物たちのことになると、放っておけなくて」

「だとしても、私にとってハテはハテだけなんだよ。他の動物が、どんな目に遭おうと、ハテだけが無事でいてくれればそれでいい」


 ミライの必死な訴えに、私はどうしていいかわからなくなる。

 本当に、私のことを心配してくれているのはわかっている。


 ……だけど、動物たちだって生きている。


 それをどうでもいいだなんて一言で片付けるのは、どうしても認められなかった。


「私がカナタと仲良くなったのが、そんなに気に入らない。だったら、そういえばいいじゃない。動物たちは関係ないでしょう」


 チクリと刺すような一言。

 言ってしまってすぐ、私は激しく後悔した。しかし、一度口に出した言葉は取り消せない。故に、言葉には大きな責任が伴うのだ。


「そうよ。悪い? ハテと楽しく話すのも、一緒に並んで帰るのも、私じゃなきゃ嫌なの。それなのに何よ、急に現れたイケメンになんて心を乱されて」

「私とカナタはそんなんじゃない」

「わかってるよ。わかってるけど、向こうはそうじゃないかもしれない。人の欲望は底が知れない。初対面の男子に家を教えるとか、普通にありえないから」


 ミライは、本当に私のことを心配して言ってくれているのだ。それがわかるからこそ、私の心は酷く痛んだ。

 しかし、一度火がついてしまうと、収まりがつかなくなってしまうというのは、往々にしてあることだった。


「私が考えなしだったのは認める。でも、そこまで言うことはないでしょう。なんだかんだ理由をこじつけているけど、結局は私とカナタの関係に嫉妬しているだけじゃない」


 再び図星をつかれたミライは、俯いて黙り込んでしまう。


 ……泣かせちゃったかな?


 流石に言いすぎたとは思うのだが、いまさらどの面を下げて謝ればいいのかわからなかった。


「私、今日は帰る」


 ミライはそう短く言い残すと、教室から出て行った。

 私は慌ててそのあとを追おうとするが、ピッタリと足が床に張り付いてしまって動かない。


 何もできない自分の情けなさに打ち震えていると、カナタが教室に入ってきた。


「おはよう。浮かない顔だけど、何かあった?」

「実は、友達と喧嘩しちゃって」

「その子とは仲がいいの?」


 カナタの問いに、私は迷うことなく頷いた。それだけは、喧嘩をしてしまった今でも、はっきりと断言できる。


「ええ、小学生の頃からの長い付き合いだから」

「それじゃあ、心配はいらないよ。いずれ、仲直りできる。俺は、それを応援するよ」

「ありがとう。そろそろ時間だから、座りましょうか」


 そうして、ミライのいない一日が始まった。


    ◯


 昨日同じように入学式の後片付けを言い渡された、私とカナタ。

 学校を出る頃には、すっかり暗くなってしまっていた。


「もう遅いし、今日も送っていくよ」

「いいの?」


 カナタの突然の申し出に私が驚くと、彼はもちろんと頷いた。誰かにここまで優しくされた経験なんて、ほとんど記憶にない私は、少し胸を弾ませる。

 その時ふと、今朝のミライの言葉が頭をよぎった。


「ねえ、カナタはさ、今好きな人とかいるの?」

「? どうして急にそんなことを聞くんだ?」

「別に。ただ、好きな人がいるんだったら、こんなことは今すぐにでもやめたほうがいいんじゃないかなって。だって、女の子を家まで送るとか、やっていることは彼氏と変わらないよ?」

「そ、それは知らなかった……そうか、そういうものなのか」


 カナタは、頬を染め、やや慌てた様子で星が見え始めている空を見上げる。バレバレの照れ隠しに、私は思わず頬をほころばせる。


 ……なんだ、やっぱりミライの勘違いじゃないか。


 明日になったら、このことを話して仲直りをしよう。そう思っていた時だった。


「あれ? あれって」


 路地裏の方に、見知った人影を見た気がした。

 いや、十年近い付き合いになる私が見間違えるはずがない。

 あれは、ミライだ。


「ごめん、ちょっと――」


 私はカナタに断ると、一目散に駆け出していた。なんて声をかけようとか、そんなことは一切考えていない。ただ、反射的に体が動いてしまったのだ。


「待って!」


 カナタの声が遠くに聞こえる。しかし、今はミライに会って、ごめんと伝える。そのことしか頭になかった。

 だからか、その光景を目の当たりにした私は、言葉を失った。


「えっ……!?」


 何度か路地を曲がった先。

 そこに広がっていたのは、野良猫らしき動物をミライが袋小路へと追いやっている光景だった。

 ブロンドの髪を揺らし、いつにも増して赤が際立った目がこちらを向く。


「ハテ……? どうしてここに? だったここには、人払いの結界が」


 驚愕のあまり目を見開きながら、ミライは手に持っていた銀色のものを背中に隠す。しかし、もう何もカモが遅かった。

 私の中で、ミライに対する信頼や友情がガタガタとおとを立てて崩れていくのを感じた。

 私たちの関係は、どうやらもう修復できないところまで来てしまったらしい。


「そう、通り魔時間の犯人はあなただったのね。通りで、私をこの事件から引き離そうとしたわけだわ」


 自分でも恐ろしくなるほど、冷たい声が路地裏に響く。

 私にとって、動物は特別な状態。場合によっては、人の命よりも優先される場合があるくらいだ。

 それを知ってなお、こんな卑劣な行為を続けてきたミライに、私の怒りは頂点に達していた。


「言い訳は聞かないわよ。私を最初に裏切ったのは、あなたなんだから」


 もう、私がミライの名前を呼ぶことはないだろう。

 それだけ覚悟を持って、私は人前ではずっと隠していた魔力を解放する。

 空気中ににじみ出したその力を見て、ミライは鋭い目つきに変わる。まるで、親の仇でもみつけたかのように。その方がやりやすいので、私としては好都合だった。


「そう。あなたが、この街に巣くっていた魔女。まさか、こんな近くに探し求めていたものがあるなんてね。人生、わからないものね」


 あははは、と乾いた笑いを浮かべたミライは、その姿を変貌させていく。

 背中には、蝙蝠のような黒い翼が生え、綺麗な爪はナイフのように長く伸び、可愛らしい白の八重歯は、肉食獣の牙を思わせるような形へと変わる。

 その姿はまるで、おとぎ話で語られるような、吸血鬼そのものだった。


「あなた、人間じゃなかったのね。朝が弱いのも、そのせい?」

「悪い? これは生まれついた時からの体質なのよ。吸血鬼が、人間と一緒に暮らしたい。そう思ってはいけない決まりなんてある?」

「それはないけど、罪のない動物たちを傷つけていい理由にはならない。人間と共に歩みたいなら、そのルールに溶け込みなさい。毎晩毎晩、犬や猫を襲って血でも吸ってたってわけ?」


 私がグサリと刺すと、ミライは激昂する。


「動物の血になんて興味はないよ。私が欲しいのはただ一つ。そのために、私はあるものを探していた。ただそれだけよ」

「自分のためなら、何をしたって許される。そんな身勝手な考え方が許されるとでも?」

「身勝手なのはどっちだ魔女め。貴様らが私にしたことを忘れはしないぞ」


 今までは義理で付き合っていたが、もう話すことはないと、ミライは攻撃に移る。


「速い――!?」


 ミライは確実に殺すつもりでかかってきていた。

 私は瞬きの間に、自分の首が宙を舞う光景を幻視する。

 しかし、実際にそれがやってくるのは、もうしばらく後のことだった。


「何よ、これ!?」


 世界がスローモーションのように、止まって見える。わずかに動いてはいるが、ほとんど止まっているも同然だった。

 まるで魔法のような光景に、私は恐怖する。


 ……私は、こんな魔法知らない。


 わけがわからず、立ちすくむことしかできない私の間に、割って入る白い小さな影があった。


「キュウ――!」


 それは、いつの間にかカバンから飛び出していたキャトだった。眩しい虹の光に包まれたキャトは、どんどんと大きくなっていく。

 やがて、私の身長を優に超える大きな獣の姿となり、ミライの爪から庇ってくれた。

 どうやら、これがキャトの本来の姿なのだろう。まだ体力が戻りきっていないからなのか、すぐに元の小さなサイズに戻ってしまった。


「なるほど……どうりで見つからないわけね。探し物二つが、こんなにも近くにあったなんて」


 攻撃を阻まれたミライは、自分を嘲るように笑う。そして、その真っ赤な瞳で私を睨んできた。

 次は必ずその喉笛をかき切る。

 そう言わんばかりの視線に、私は思わず恐怖で下着を濡らす。

 その時、胸の前で握った手に、何かが触れた。


 ……これは、カナタからもらった星笛。


 受け取った際に、それを吹けば、どこへでも駆けつけると言われたことを思いだした私は、一か八か、それを加えて強く息を吹き込んだ。

 ピィーと、鳥の鳴くような、甲高い音が周囲に響く。

 すると、目の前の空間がぐにゃりと紙をぐしゃぐしゃにしたように歪み、そこから白いマントを羽織った少年が飛び出した。


「カナタ――!」

「よく呼んでくれた。人払いの結界で、君を見失ってしまったんだ」


 カナタはそう言うと、すぐさま状況を理解し、私とミライの間に入ってくれる。


「吸血鬼か。俺は語り部のカナタ。よければ、名前を聞いても?」


 カナタの問いに、ミライは嫌々といった様子で答える。


「名乗られた以上、名乗り返さないわけにもいかないわね。私は、あなたたちが孤高の吸血鬼と呼ぶ者よ。流石に名前くらいは聞いたことがあるでしょう?」

「孤高の吸血鬼。それはまた厄介な」


 いつの間にか、二人だけの世界で会話をするカナタとミライ。完全に置いてけぼりの私は、どうにかその輪に入ろうとする。


「孤高の吸血鬼って?」

「特殊な血液型故に、どうやっても眷属を作れない孤独な吸血鬼のことだよ」


 カナタは、短く簡潔に答えてくれる。しかし、そもそも吸血鬼とその眷属について知らない私にとっては、理解不能だった。

 私がどうしていいかわからず、おろおろとしていると、事態はさらに転がっていく。

 カナタが、魔力で一振りの剣を生成したのだ。

 蒼白い光を放つそれは、SF映画に出てくるビームの剣のようだった。


「待って、まだ話が――」


 残っているから、という私の声を遮るように、二人は真っ向から激突する。

 その動きはとても素人の目に追えるものではなく、何が起こっているのかはわからない。だが、一つだけ確実に理解できることがあった。


 ……このままだと、二人のうちどちらかが死ぬ。


 二人は、本気で相手を殺すために刃を振るっている。それは、素人目にも明らかだった。


「待って、二人とも。何もそこまでしなくても」


 ちょっと痛い思いをさせてわからせてやろう。そんな風に思っていた私は、本気の殺し合いを繰り広げる二人の間に割って入ろうとする。

 しかし、私の小さな声など、二人の耳には届かない。

 いや、聞こえてはいるのだろうが、意図的に無視をされている感じだった。


 ……なんとかしなきゃ。でも、どうしたら?


 おろおろと立ち尽くすだけの私に、キャトはキュウ、と元気良く鳴いた。なぜだか、キャトがなんて言おうとしているのか、わかる気がした。


「そうだよね。考える前に動かなくちゃ。私はもう、何も失いたくないんだ」

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