第5話 尾行
「ミライ、ちょっといいかな?」
昼休み。私はミライを誘って外へ出る。そして、食後の腹ごなしに校庭へ出ていく生徒の波をかき分け、人気のない校舎裏まで連れてきた。
「い、いきなりどうしたのよ。こんな、場所まで連れてきて。もしかして私、これから告白でもされちゃう?」
照れ隠しのためか茶化すように言うミライに、私は真剣な面持ちで、今朝あったことと、その際に見かけた人影のニオイと、転校生であるカナタのニオイが同じであるという話をした。
それを静かに聞いていたミライは、話を要約して言った。
「つまり、あの転校生が通り魔の正体かもしれないってこと?」
「そうなの」
「あんた、相変わらず鼻がいいわね。犬や何かじゃないんだから」
ミライは、からかうように笑う。私は真面目に相談しているのに、そう言う反応をされるのは、いくら長い付き合いだからといっても心外だった。
「もう、絶対信じてないでしょう」
「信じてはいるわよ。ただ、あんまり危ないことに首を突っ込んで欲しくないだけ。私は、ハテの方が大切だから」
ミライはそう言うと、私のアゴをつまみ、クイっと引き寄せた。
彼女の鋭く凛々しい目つきに、ドクンと心臓が高鳴った。
息がかかってしまいそうなほど、ミライの顔が近い。彼女は、同性の私でも見惚れてしまうくらいの美人である。そんな綺麗で整った顔が目の前にあったらどうなるか、言葉にするまでもないだろう。
私はあまりの気恥ずかしさに、思わず顔を熱くしてしまった。
……こういうのって、恋人同士がするようなやつだよね?
私が緊張でプルプルと震えていると、その様子を見て、ミライは吹き出した。
「何? キスでもされると思った?」
「もう、あんまりからかわないでよ。ミライは自分の容姿を舐めすぎだから。」
「私としては、したいって言ってくれた方が嬉しいんだけど」
そう言ったミライは艶かしく舌なめずりをして、白い八重歯を覗かせた。
このまま抵抗しなければ、本当に食べられてしまいかねない。まるで、野生の熊にばったり出くわしてしまったような、そんな恐怖が全身を支配する。
本能的に危険を察知した私は、その場から逃げ出していた。
「ああ、ちょっと……逃げないでよ」
◯
迎えた放課後。他の生徒たちが、思い思いに帰路につく中、すっかり寂しくなった教室に、私とカナタは残されていた。
「さっそく、クラス委員としての仕事を頼みたいんだけど、いいかしら?」
担任教師に半ば強制的に言い渡されたのは、明日行われる入学式の準備の手伝いだった。
まず体育館の飾り付けを済ませ、今は新入生に配る教科書やら配布物を机の上に一部ずつ積み重ねていく作業をしていた。
本当なら、早く帰って動物たちの面倒をみたいところだが、自分たちも先輩たちに同じことをしてもらったのだと考えると、放り出して帰るわけにもいかない。
それにだ。
……これは、カナタが通り魔か確かめる、いい機会かもしれない。
配布物を並べるふりをしながら、私はカナタを横目で見る。
一見すると、普通の男子にしか見えない。
学校に通ったことがないということで、ちょっと浮世離れした部分もないわけではないが、至って常識的な普通の子、という印象だった。
……こんな子が、通り魔なんてするかな?
カナタを知れば知るほど、私の中ではそんな疑問が膨らんでいった。
「お疲れ様。これで、言われた作業は終わりだね」
数十分後、作業を終えた私は、額ににじんだ汗を拭う。間違いが許されないと思うと、変な神経を使ってしまう。
春で日が長くなっているとはいえ、外はすっかり茜色に染まっていた。
「お疲れ様。もう遅いから、送って行こうか? 最近は何かと物騒と聞くし」
予想していなかったカナタの言葉に、私は思わず戸惑ってしまう。
男の子からのお誘いを受けるなんて、これが初めてだったから、という理由ではもちろんなく、純粋に迷ってしまったからだった。
……どうしようかな。
私はしばし考える。一緒に帰れば、それなりに会話をするだろう。そうすればその中でカナタの人となりを知ることができる。
彼を理解することができれば、自ずと彼が通り魔であるか否かははっきりする。
……でも、人前では本性を絶対に見せない人もいるしな。
そんな人物に、私は嫌と言うほど心当たりがあったので、今回はお断りすることにした。
「心配してくれてありがとう。でも、付き合ってもいない男女が一緒に帰ると、見られた時に面倒だからさ。あなたも、あらぬ疑いをかけられたくはないでしょう?」
私は、どうにかそれらしい理由をでっち上げる。
するとカナタは、それに頷いてくれた。
「それもそうだな。ハテのことは心配だが、迷惑をかけたいわけじゃない」
「わかってくれてよかった」
「それじゃあ、これを渡しておこう」
そう言って、カナタはポケットから何やら取り出す。
「何これ、笛?」
それは、乳白色の何かでできた、小さな筒だった。手のひらを握り込めば隠せてしまうようなサイズで、紐がついていなかったらすぐになくしてしまいそうだった。
「
「何それ、もしかしてとんでもない秘境育ち? カナタが育ったところでの防犯ブザーみたいなものだったのかな?」
「防犯、ブザー……?」
なんだその耳慣れないものは、という表情を見せるカナタに、私は意図せず笑顔になる。
「周囲に自分の身の危険を知らせるベルのようなものよ。結構大きな音がするのよ。たまに間違って鳴らして、自分で飛び上がるくらいにはね」
「現代風に言えば、その防犯ブザーとやらに近いのかもしれないな」
彼からもらった笛をネックレスのように首から下げた私は、にっこりと笑う。
「どう、似合ってる?」
「?」
わけがわからない、と言った様子で、首を傾げるカナタに、また明日と告げると、私はひと足先に教室を出た。
校門から出た私は、物陰に隠れ、カナタが出てくるのを待った。
コソコソと隠れ、一体これから何をしようというのか。
それは単純だった。
……尾行だ。
カナタが本当に通り魔でないという確信を持つためには、やはり一人でいるところを観察するのが一番だと思ったのだ。
……私、いけないことしちゃってるのかな。
尾行を初めて十分が経った頃、私は急に怖くなってきてしまった。
……そもそも、これってバレたらどう弁明すればいいんだろう。
何も考えずに行動に移してしまったため、ダメだった時のプランを何も考えていなかった。
せめて、もう少し計画を練っておくべきだったと、私は今更ながらに後悔する。
……でも、いまさらここで引き返すのは違う気がするし。
私は、ドキドキと胸を高鳴らせながら、カナタの後をつけていく。
すると、キョロキョロと周囲を見渡し、人気のない路地裏に入っていった。
……おしっこ、とかじゃないよね?
もしそうだったとしたら、盗み見るのはとても気が引けてしまうのだが、流石にそんなことはないだろうと、私はその後を追う。
すると、そこには一匹の野良猫がいた。
カナタはゆっくりと距離を詰めると、ポケットから手のひらサイズの何かを取り出した。
……あれは、猫ちゃんのおやつ?
それに毒でも入っているのではないかと、私が身を乗り出したその時だった。
カランと、路地裏に捨ててあった空き缶が転がる。
その音に驚いて、野良猫はさっと逃げ出していった。
遠くのことに夢中になりすぎて、足元が見えていなかったのだ。
「誰だ?」
学校とは雰囲気の違う、カナタの鋭い声が響く。
ばっと振り返り、私の姿を認めたらしい彼は、ほっっとため息をつく。
「なんだハテか。一緒に帰らないって言っておいて、後をつけるだなんて、趣味が悪いな」
「ごめんなさい。でも、今朝あの場所にいたでしょう? 白い毛の動物が倒れている現場に。もしかして、あなたが通り魔事件の犯人なんじゃないかって、そう思って」
「もし、俺が本当に通り魔だったら、どうするつもりだったんだ?」
「そ、それは……」
私は、何も言い返せなかった。全部、カナタの言っていることが正しい。もし、通り魔が刃の矛先を私に向けていたらと思うと、怖くて足が震えた。
「考えなしか。あまり危険なことには首を突っ込まない方がいい。こういうことは、専門家に任せるべきだ」
「本当にごめんなさい」
「わかってくれれば、それでいい。俺も言いすぎたよ」
そう言うと、カナタは手に持っていた猫のおやつをポケットにしまいこむ。
そして、手を差し出してきた。
「今日はもう遅い。家まで送るよ」
私は、迷うことなくその手を取った。とてもいい人。という印象しか受けなかったからだ。
するとその時、カバンの中で鳴き声がした。
「キュウ!」
次の瞬間、カバンを飛び出した白い毛並みの魔獣キャトは、私の肩に乗ると、牙を剥き出しにしてカナタを威嚇した。
シャー、とまるで猫のように敵意を剥き出しにしている。ここまで明確に誰かを嫌う姿を見るのは初めてだった。
その様子に、カナタは困ったように呟いた。
「今朝、すぐに助けなかったのを恨んでいるんだろうな。すぐ近くに通り魔が潜んでいると思って、姿を隠していた俺が全面的に悪い」
「ほら、キャト――そんなに威嚇しちゃダメでしょう」
私が言うと、キャトはバツが悪そうにカバンの中に戻っていく。完全に尻尾を曲げてしまっていて、しばらく出てくる気配はなかった。
「とりあえず、行きましょうか。日が暮れちゃう」
私はそう言うと、自分の家に向かって歩き始める。
その道中、気になっていたことを訊ねた。
「どうして猫に餌なんてやろうとしてたの?」
「あいつは俺の話し相手になってくれていたんだよ。家に帰っても、一人っきりだからね」
「お父さんやお母さんは?」
「亡くなったよ。五年前の津波でね」
五年前といえば、私がこの世界で目を覚ましたあの日のことだ。
もしかしたら、私の見ていた光景のどこかに、カナタの両親もいたのかも知れない。
「寂しくない? よかったら、家へ寄っていかない。なんだったら、一緒に暮らしたって」
私が善意から言うと、カナタは首を横に振った。
「一人には慣れている。俺は語り部として、一人で世界を旅していたからね」
「語り部?」
耳馴染みのない言葉に、私は聞き返す。すると、カナタは優しく答えてくれた。
「各地の伝承などを収集し、それを他の誰かに伝えることを生業としている人たちのことさ。今ではもう、かなり数が減ってしまったけどね」
「それって、とても悲しいことじゃないの?」
「悲しくはないさ。今ではインターネットなんてものが普及して、誰でも情報にアクセスできるようになっった。だから、不要になった語り部は消えていく。自然環境なんて、そんなものだろう?」
達観したようなカナタの物言いに、私は言いたいことがあったが、彼が経験してきた世界を知らない私が、口を出す資格はないと、口をつぐんだ。
それから私たちは、なんでもないようなことを話して歩き続けた。
そして、私は家の前まで帰ってきた。
「そこが私の家だから、ここまででいいわ」
私がそう言うと、カナタはわかった、と頷いた。
バイバイ、と手を振って別れると、私は家に入った。
「ただいま」
「遅かったな」
私が玄関に入ると、そこでは魔法使いが腕を組んで待ち構えていた。
門限はないが、常識の範囲内で遅くならないように帰ってくること。そういう決まりになっているため、怒られるものと覚悟する。
しかし、飛んできたのは叱責ではなく、問だった。
「? そのカバンの中にいるのは何だ?」
「今朝、そこで見つけたんだけど、どんな魔獣だかわかる?」
私は、カバンからキャトを取り出して言う。魔獣の専門家である魔法使いなら、もしかしたら何か知っているのではないかと、期待してのことだった。
しかし、魔法使いは首を横に振った。
「いいや、見たことも聞いたこともない」
「そっか、残念」
私が言うと、魔法使いはキャトにゆっくりと手を近づけていく。
「キュウ……!」
すると、キャトは鋭い鳴いて、魔法使いの手に喰らい付いた。
猛獣を思わせるその一連の動作に、私は心底驚いた。カナタにだって、ここまではしなかったのに。
いくら見た目がかわいいからといって、動物を甘く見てはいけない。昔よく魔法使いに言われた言葉だが、今になって身に染みた。
「こら、キャト。離しなさい」
私が命令すると、キャトは仕方なさそうに口を離す。魔法使いの手には、しっかりと歯の形が残り、赤く血がにじみ始めていた。
「威勢のいいことだ。それだけ元気なら、もう大丈夫だろう。きっちり、面倒をみるんだぞ」
「怒らないの?」
「怒りはしないさ。珍しい魔獣との出会いはとても喜ばしいものだからね」
魔法使いは、まるで子供のような屈託のない笑みを浮かべると、傷の手当てをするために、中に入って行った。
あんな魔法使いの笑顔を見たのは、この五年間で初めてだった。
「あなた、本当に何者なのかしらね?」
夕食と入浴を済ませ、パジャマに着替えた私は、ベッドの上でぐっすりとn眠っているキャトに問かける。
「考えても仕方がないか」
そう呟くと、私は電気を消し、ゆっくりと眠りについた。
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