第4話 思わぬ再会

 人の気配がまるでない昇降口に張り出されていたクラス表を見て、自分の教室に行く私。

 案の定、教室には誰もいなかった。


「やっぱり遅刻だよね」


 私は、空っぽの教室でがっくりと肩を落とす。

 今頃、体育館では始業式が始まっている頃だろう。

 そこに紛れ込むことも考えてはみるが、先生の目もある。真っ先に遅刻だと言われてしまうだろう。

 流石に、新学期初日から、お説教を受けるのはご免だった。


 ……クラスに戻ってくる時にでも合流しようかな。


 そう決めた私は、始業式が終わるまでの時間を一人で過ごすことにした。


「えっと、私の席はここかな?」


 自分の机を見つけた私は、椅子を引いて、そこに腰掛ける。

 そして、黒板を見て、きゃっと、小さな悲鳴を上げた。

 そこには、短い黒髪に、満月のような目をした少年が静かに佇んでいたからだ。それこそ、幽霊か何かのように。


「ごめん。驚かせる気はなかったんだ。俺はカナタ。カナタでいいよ。今日から転校して来たんだけど、誰もいなくて」

「よろしくね、カナタ。みんなは今頃体育館に集まっていると思うよ」

「そうなんだ。俺、学校っていうのが初めてでさ」


 照れくさそうに頭をかくカナタ。その言葉に嘘はないらしい。中学になるまで学校に行ったことがないなんて、よっぽど事情のある家庭の生まれなのだろうか。

 そんなことを考えていた私は、ふと首を傾げる。


 ……あれ、このニオイどこかで?


 私は、人よりも鼻が利く。

 そのため、どこかで嗅いだことのあるニオイを彼が漂わせているのはすぐにわかった。しかし、それが何のニオイなのかは、ついに思い出せなかった。


 やがて、廊下がザワザワとし始める。集会が終わって、みんなが戻ってきたのだ。


 ……しまった。


 そう思うが、もう遅い。いまさら体育館から戻ってくる列に紛れ込むことなんて不可能だ。


 ……大人しく、怒られるしかないか。


 私が観念すると、教室のドアが開いて、担任らしき教師が入ってきた。

 最近赴任してきたばかりの若い女性の先生。

 去年も私のクラスの担任だった。


「げっ……」

「先生の顔を見て、げっ……とは何よ。お家のお手伝いが忙しいのはわかるけど、ちゃんと睡眠もとらなきゃダメよ。新学期から遅刻だなんて。たるんでる証拠よ」

「ごめんなさい」


 私がへこへこと頭を下げていると、カナタが言った。


「彼女は俺のわがままを聞いて、学校を案内してくれていたんです。だから、そんなに叱らないでください」

「カナタくんがそう言うなら、私は何も言えないけど、今度からは気をつけること。いいわね?」

「はい……」


 先生の言葉に頷いた私は、咄嗟に助け舟を出してくれたカナタに感謝をする。


「ありがとう、助けてくれて」

「別に、人が否定されるところを見るのが好きじゃないだけだよ」


 カナタはそう言うと、私の隣の席に座る。

 どうやら、そこがかれの席であるらしかった。


 ……珍しい偶然もあるものね。


 私がそんなことを思っていると、どんっという衝撃を背後から感じた。

 振り返るまでもなく、そんなことをしてくるのは、彼女おいて他にいない。


「ミライ。いつも言ってるでしょう。いきなり抱きつかないでって。これ、結構恥ずかしいんだからね」

「別にいいじゃん。女の子同士なんだし。私たちの仲じゃん」


 すりすりと私の背中に頬擦りしてくるのは、腰まで伸ばした癖のない金髪に、月明かりに照らされて輝く水面のような青い瞳。

 両親は外国人だが、生まれも育ちも日本の根っからの日本人。

 彼女とは、小学校からの腐れ縁だった。


「朝が弱い私でも時間には来てるのに、さてはエッチなことでも考えてたか?」

 いやらしい笑みを浮かべるミライに、私は呆れを隠さずに言った。

「そんなわけないでしょう。私、男の子には興味ないもの」

「じゃあ、女の子の私には興味津々だと」

「そうしてそうなるのよ。私は、動物たちを幸せにできればそれでいい。他の誰かに構っている暇はないの」


 私がきっぱりとその可能性を否定すると、ミライはつまらなそうに唇を尖らせる。


「相変わらず動物のことになると目が変わるよね。やっぱり、将来の夢は獣医さんなの?」

「なれるかどうかは、わからないけどね。そうなりたいとは思っているわ」

「いいなあ。夢に向かってまっすぐに努力する若人の姿は……」

「いや、アンタ私と同い年でしょうが」


 私は、妙に年寄り臭いことを言うミライにツッコミながら、彼女の手を振り解いて席に着く。


「ほら、もうホームルーム始まるから、席につきなさい。私まで怒られちゃうじゃない」

「やばっ、トイレ行こうと思ってたのに」

「もう、漏らさないでよ」


 モジモジと足をクロスさせ始めるミライに呆れながら、私は黒板の方を向く。

 担任の先生が号令をかけると、まずは自己紹介が始まった。


 私の番が終わると、しばらくして隣に座るカナタに順番が回ってくる。


「初めましてカナタといいます。家の事情で、あちこちを転々としていましたが、しばらくはこの街に腰を落ち着けることになりました。よろしくお願いします」


 カナタがお辞儀をすると、社交辞令の拍手が起こる。


「ねえ、結構イケメンじゃない?」

「ちょっと不思議ちゃんっぽいけど、そこがいいよね」

「いや、バスケ部の先輩の方が……」

「あんたはいつもそればっかりでしょうが。いい加減諦めなさいよ。彼女さんいるんだから」


 などと、クラスで上位のカーストにいる女子たちのヒソヒソ話が聞こえてくる。


 ……イケメンか。確かに顔は整っているけど、いまいちピンとこないんだよね。


 生物のメスとして、一向にオスに惹かれない自分に一抹の不安を覚えながらも、自分は自分、他人は他人だと割り切る。

 この世界には色んな人がいていいはずなのだから。


 やがて、ホームルームが進み。

 係やら委員やらを決める時間となった。

 推薦などを狙って、内申点を上げたい者にとっては魅力的なものだろうが、家の手伝いや、獣医になるための勉強に時間を割きたい私としては、絶対に引き受けたくない仕事だった。


「クラス委員やりたい人、誰かいない?」


 なかなか立候補者がでず、頭を悩ませる担任。

 誰か手をあげないかな、と考えていると、隣に座っていたカナタが、すっと手を挙げた。


「じゃあ、カナタくんお願いね。でも、この学校のこと知らないだろうから、隣の席のハテちゃん。補佐をお願いね」

「え!?」


 私が突然の指名に驚いていると、先生は遅刻の罰だぞ、と言わんばかりににっこり微笑む。


 ……嘘でしょう。まあ、遅れたのは私が全面的に悪いんだけど、それで一年間も拘束する?


 私は、心の中で大きなため息をつく。しかし、頼み事は断らないのが私のポリシー。それが右も左もわからない転校生の世話役ともなればなおのこと。


「よろしく、ハテさん」

「ハテでいいわよ。よろしくね。カナタ」


 私は仕方なく、カナタの差し出してきた手を握る。

 すると、クラスの女子からの嫉妬の視線が全身を蜂の巣にした。


 ……そんなにうらやましいなら、今からでも替わってよ。


 そんなことを思いながら、私は手を離し、席に戻る。その時だった。


 ……? やっぱりこのニオイどこかで?


 やはりどこかで嗅いだ覚えのあるニオイに、私は首をひねる。

 そして、周囲にバレないように、カナタと繋いだ手を鼻の近くまで持っていく。そして、すんすんと肺に吸い込んだ。


「!? この臭いは――!?」


 手についた。彼の香りを嗅いだ私は、驚きのあまり、思わず立ち上がりそうになってしまう。

 それほどまでに、衝撃的なニオイだったからだ。


 ……このニオイは今朝、キャトが襲われていた現場から逃げてった人影と同じニオイ。


 視線が鋭くなってしまわないように、気をつけながら


 ……この子が、通り魔の正体?


 クラス委員以上の厄介ごとを抱え込んでしまったな、と思いながら、私は視線を前に戻した。

 こうして、私の中学二年目の生活はスタートしたのだ。

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