第3話 キャト

「はあ、はあ……」


 息を切らしながら、白い魔獣を抱えて家に戻った私は、魔法使いの目を盗んで、自室に駆け込んだ。

 魔法使いに見つかったら、また何を言われるかわからないからだ。


「まずは、傷の手当てをしなくちゃ」


 部屋に入った私は、ベッドの上に魔獣を寝かせると、私はすぐに魔法を起動させる。

 幸い、針と糸で縫わなければならないほど大きな傷はないので、低級の回復魔法でも、どうにか事足りるはずだった。


「ヒール――」


 魔獣に両手をかざした私は、短く呪文を唱える。

 すると、魔獣は暖かな光に包まれた。

 魔法には様々な系統があるが、私が使えるのは頭の中に描いた空想を現実にするというものだ。

 比較的修得が容易で、汎用性も高い。今世界で最も流行している魔法と言っても過言ではない。

 私は、魔獣が傷を負う前の、綺麗な毛並みを想像しながら回復させていく。


 やがて、とりあえず目立つ傷の治療が終わると、私はようやく一息つくことができた。


「これで大丈夫。あとは、体力が回復するのを待つだけなんだけど……」


 いくら万能の魔法といえど、傷は治せても体力までは戻せない。

 歯がゆいが、あとは、この魔獣の生きようとする力に全てを託すしかないのだが。


「ダメだ。思った以上に衰弱してる。骨と皮ばかりで、全然肉がないじゃない」


 傷の見落としがないかどうか、触診して確認していた私は、この魔獣の痩せ細りぶりに驚愕する。

 いくら魔力があれば、食事などする必要がない魔獣でも、ここまでガリガリでは、いつ命の灯火が消えてもおかしくはない。

 見た目の美しさばかりに気を取られて、そんなことにも気づかないなんて、私はまだまだ未熟だ。


「何か食べさせないと」


 そう思い立ち、腰を上げようとしたところで、私はある疑問を抱く。


「そもそもこの子って、草食? それもと肉食?」


 うさぎのようでもあるが、狼のようでもあるその姿。魔獣については専門外である私では、まるで判断がつかない。


「ちょっとごめんね」


 そう断ってから、私は魔獣の口の中に人差し指を差し込む。

 草食なら、草をすり潰すための臼のような歯。肉食なら、肉を食い千切るためのナイフのような歯をしているのが一般的である。

 指を動かし、口を開かせて歯の形を確認しようとした時、チクリと針が刺さったような痛みだがあった。


「痛い――!」


 ノコギリのように鋭く尖った歯が。私の白い指に噛み付いたのだ。

 小さな傷口からは、真っ赤な血がにじみ出す。


「ごめんね。ご飯と勘違いしちゃったね」


 多少驚きはしたものの、私は落ち着いた口調で返す。

 動物の相手をしていれば、噛まれることなんて日常茶飯事。この程度で怯えていては、動物の世話などできないのだ。

 すると、魔獣は私の指をペロペロとしたで舐め始めた。


「ちょっと、くすぐったいって。わかった、わかったってば。ちゃんと飲ませてあげるから、そんなにがっつかないの」


 魔獣の生暖かい舌が触れて、ちょっとくすぐったい。それに耐えかね、思わず私は声を漏らしてしまう。


「でも、よかった。まだ、何かを口にする元気はあるんだ」


 私は、ほっと胸を撫で下ろす。

 血液は、多くの魔力を含むため、魔獣にとっては栄養剤のようなもの。それを飲めば、普通に食事をとるよりも、効率的に体力を回復させることができるだろう。

 それがわかっている私は、しばらくそのまま血を飲ませ続けた。


 ……赤ちゃんにミルク飲ませてるみたいで、ちょっと楽しいかも。


 そんなたわいもないことを考えていると、もっと重要なことを思いついた。


「そうだ。名前が必要よね」


 どんな名前が似合うか、しばし考える。

 そして、ぱっと思い浮かんだ響きを言葉にした。


「キャトってのはどう? なんだか可愛くない?」

「キュウ――!」


 私が笑顔で訊ねると、一生懸命血を舐めていた魔獣は、喜びの声を上げる。


「じゃあ、それで決まり。今日からよろしくね、キャト」


 しばらくして、満腹になったのか、キャトは血を舐めるのをやめる。

 回復魔法で傷口をさっと塞いだ私は、すっかり忘れていたことを思い出す。


「そうだ。学校に行かないと」


 慌てて立ち上がった私は、カバンを手に取ると、その中に入っていたタオルを床に敷いた。


「お留守番よろしくね。トイレはそこにしちゃっていいから」


 言葉は伝わっているかどうかはわからないが、なんとなく心では通じ合えている気がするため、多分大丈夫だろう。

 仮にベッドを汚されてしまったとしても、その時はその時。きちんと責任をもって、掃除をすればいいのだ。


「キュウ――」


 すっかり元気を取り戻したキャトは、離れたくないと言わんばかりに、私の足にまとわりついてくる。すっかり懐かれてしまったらしい。


「ごめんね。本当は一緒にいてあげたいんだけど、流石に始業式早々、休むわけにもいかないんだよ」


 しゃがみ込み、キャトを抱き上げた私は、その背中をさすりながら言う。

 すると、キャトは突然、私の手から中に飛び上がった。


「キュウ――!」


 可愛らしく鳴いたキャトは、まるで魔法のようにその体を縮ませていく。ほんの数秒で、リスと同じくらいのサイズになってしまった。


「自分も連れて行け、そう言ってるの?」

「キュウ!」

「わかったよ。連れて行ってあげる。勝手についてこられても困るからね。でも、静かにしてること。流石に学校でバレたら、私も庇いきれない」


 私が釘を刺すと、キャトは小さな声で鳴いた。


「……キュウ」

「よし、それじゃあ行こうか」


 魔法使いには忘れ物をしたと告げ、私は再び家を出た。

 そうして、私は学校へ急いだ。

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