第5話 中年紳士と強烈オカマ
パキィンッ!
まるで薄い鉄の板を割ったみたいに軽く弾けた音がして、チェーンロックが砕け散る。
その欠片がバラバラに落ちていくのを、私は馬鹿みたいに驚いたまま眺めていた。
ひゅん、と空気を切り裂く音がしたと思ったら、ドアの隙間から延びてきた黒い手が、私の首を鷲掴みにした。
「――――っ!?」
ぎりりと締め上げられて瞬時に呼吸が出来なくなる。驚愕と恐怖に、血が凍る。
「新っ!!!」
奥の部屋から響いたゼクスの声が、膜を張っているように聞こえ、脳に血が回らなくなってきている事に気がついた。喉を締め上げる手を引っ掻いて外そうとするけれど、まるで施錠したかの様にびくともしない。
いつの間にか全開になっていたドアの前には、今しがた怪しい笑みを浮かべた紳士が、私の喉を押し潰そうとしながら紅い瞳を向けていた。
「お久しぶりですぜクスさん。まさか貴方まで覚醒していたとは思いませんでした。しかも『贄』まで……偶然とはいえ、この幸運に感謝しますよ」
「ルヴァイド!?」
「ああ、それ以上動かないで下さい。この女性が事切れてしまいますからね。吸血したいのはやまやまですが、貴方を殺せるならそれも良い」
人の喉首ひっ捕まえたまま、ロマンスグレーのナイスミドルは冷笑を浮かべる。喉を潰すか潰さないかのぎりぎりのところで力を留めている様だった。ルヴァイドと呼ばれた紳士の、掴む手を何度ももがいて引き剥がそうとするのに、あちらはそれを感じないかの様にしている。
すんでの所で細く気道が確保されているので、途切れ途切れだけれど呼吸は出来る。
あくまで辛うじてだが。酸素不足で朦朧としてきた頭の中で、私はひたすら憤慨していた。
……ナイスなおじ様かと思ったのに。調子乗ってんじゃねえぞこら。
立て続けに起こる不可思議な出来事、初対面の中年紳士に喉首締め上げられる理不尽さ。
その全ての怒りを『足』に込めて、神経を集中させ私は足を振り上げた。
今込められる全体力を、その一撃に叩き込む。
「がっ!?」
ルヴァイドの驚きの表情に馬鹿め、とほくそ笑んだ。こちとらついてるのは手だけじゃないんだよ。五体満足で生んでもらったおかげで足がある。手が駄目なら足技使うまで。
呼吸の苦しさを我慢して、身体を捻りながら繰り出した回し蹴りは、見事にルヴァイドに命中した。
それは綺麗に鳩尾へとヒットして、黒スーツを纏った身体がよろめき蹲る。同時に私の肺は新しい空気をめいっぱい吸い込んだ。
「っぷはーーーっ!!! 出会い頭に何するんじゃこの中年がっ!!!」
蹲る黒い中年に向かって上から足で踏みつけながら、言いたくて堪らなかった言葉を吐き出した。年上の人には敬意を払う、なんてのは礼儀正しく素敵なジェントルに対してのみ有効なのであって、この場合は断固無効と判断する。
あー…喉痛い。
「この、私にっ! ふざけた真似を……っ!」
よろよろと立ち上がりながら、ルヴァイドが怒気を孕んだ声を発した。ゼクスにやった時に気付いたけど、不思議な生き物の割には弱くないか? タダの人間程度の攻撃がこんなに効いちゃうんだから。
烈火の如く怒りに燃える中年紳士を前に、私は冷静にそんな事を考えた。
と、そんな時だった。
「ちょっとお! 新ちゃあああん!? さっきから五月蝿いんですけどおっっっっ!!??」
低く、野太く、ドスの利いた声が木霊した。
立ち上がったルヴァイドの後ろに、世にも恐ろしい影が仁王立ちして立っている。
彼の背丈を有に越えるでかいガタイ。女口調なのに声は明らかに重低音な男の声で。
頭にはタオルをターバンの如く巻きつけて、顔には真っ白いフェイスパック。体にはゴッドファーザーも真っ青の、紫のロングバスローブを羽織った堅気とは到底言えない大男が、ぎょろりとした目を向けていた。
「ん、まあああっ! 新ちゃんっ!!! 何その可愛い子!!! ちょっと! どうして紹介してくんないのよっ!?」
「ま、ママ……」
部屋で硬直しているゼクスに向けられたであろうその言葉は、この緊迫した状況を瓦解させるのに十分な威力を発揮した。さすがママだ。登場の破壊力が半端ない。
自分の目の前にルヴァイドという美中年が居るにも関わらず、それを無視して若いイケメンを標的にするとは。当のルヴァイドは、突然現れた正体不明の生き物―――もとい強烈なオカマに恐れを成したのか、驚きの表情のまま未だ凍り付いている。
「あ、新……? あの生き物は一体何だ……?」
いつの間にか私のすぐ後ろに居たゼクスが、奇妙なものを差す様に呟いた。生き物って。
「あー……えーっと、隣の部屋に住んでるママさん。新宿でゲイバーのママやってんの。ちなみに源氏名は鬼龍院ひばりさん。」
要するにオカマさんである。仕事の帰り道、店でぼったくった客から仕返しをされかけたひばりママを見かけ、ついついお節介で助けてしまったのが仲良くなったきっかけだ。
だって、ひばりママって普段は着物だから夜に見ると女の人が暴漢に襲われてるみたいに見えたんだもん。ちょっと太目の女性かと思ったら、まさか中身はいかついガタイのいかつい顔したオカマだったなんて、普通思わないでしょ。私なんぞが手助けしなくとも、ママ一人で全員返り討ちにできたであろう事は、相手を全員伸した後で気がついた。
それから、なぜかママに気に入られ、今ではなんやかんやとお世話になる仲となっていた。
「あ、ママー! そこのおっさん、入店希望らしいから面接してあげてね! よろしく!」
未だ呆然と突っ立っているルヴァイドをママさんに押し付け、ぐいぐいと部屋から追い出す。
私の言葉にぴききっと引きつった顔を浮かべたルヴァイドが、慌てて逃げ出そうとするがママさんの伸びた手の方が早かった。
「んまあ! そうだったの! ちょっと歳いってるけど作りは良いから見栄えしそうね! じゃあ早速面接しましょうか!!」
「ちょっ! 違うっ! ま……っ!!」
何事かを叫ぶロマンスグレーの紳士は、ほぼ半泣き状態で首根っこ引っ掴まれバスローブ姿のママの部屋へと引き摺り込まれていった。押し付けはしたものの、ルヴァイドもゼクスと同じく『そっち系』の生き物らしかったのが気になったが、ママさん相手なら大丈夫だろうと思う。
仕事柄、色々な危険を経験してきた人だからだ。そして、ママさんは私と同じく不思議なものを否定しない。ありとあらゆる物事を、あらそう、の一言で片付けるママさんを、私は尊敬して憧れていた。
隣の部屋のドアがバタンと閉まり、中からちょっとやばそうな音が聞こえた気がしないでも無いが、私は無かった事にした。
人生とは、どこに何が転がっているかわからないものである。
人に無体を働いた美中年は、明日には素敵な新人オカマとして、新宿ゲイバー『ひばりの花園』で華々しいデビューを飾る事だろう。
合掌。
玄関で手を合わせて拝むポーズをする私の後ろで、ゼクスが「む、無茶苦茶過ぎる……」と呟いていたのを、私は聞かなかったことにした。
続く、かもしれない?
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