第4話 ヴァンパイアと訪問者


 からからから、と軽い音を立てて網戸を閉める。夕方のこの時間ならもうクーラー無しで十分過ごせるから、昼間意外はこうやって窓を開けて過ごすのだ。優しい風と共に運ばれてくる少し冷えた空気が、なんとも肌に心地良い。


 取り込んだ洗濯物を、ベッドの隣の『ある物体』横に置き、その隣に座って畳み始めた。

 あ、このキャミソールそろそろ買い替え時だな。肩紐がゆるゆるだからさすがにもう使えないし。


 物持ちが良いと言うより貧乏性な私は、肌着なんかはぎりぎりまで使い古す。

 だって見せる相手が居ないんだから、可愛くて綺麗なの身につけてたって意味ないもんね。

 そうやって自分に言い訳していると、洗濯物の山の隣に放置していた黒い塊が蠢いた。



「……」


「………」



 まだ半覚醒なのかぼうっとした顔をしている。あれ、もしかして打ち所悪かったりしたかな。結構本気の一発をお見舞いしたけど。コイツ何回ぶっ倒れたら気が済むんだろ。


 時刻は夕方五時。ゼクスを伸してから、かなりの時間が経っていた。

 間抜けな調子についつい油断して、よくわからない真似をされてしまい、その場の怒りの勢いでノックアウトしてしまったけど、事情を説明させるために外に捨てるわけにも行かず、結局昨日と同じように放置していたのだ。明らかに違うと感じる身体の感覚に、コイツが起きたら首締め上げて問い詰めようと心に決めて。


 あの時。ゼクスが何かを呟いて、その後得体のしれない『ナニカ』が私の中を走り去った。その後感じた自分の身体への違和感。完全に、コイツに何かやられた気がする。


 もぞり、と動いた黒い物体が、同じく黒い眼をこちらに向けて口を開いた。


「おはよ」


「おはよ、じゃねーよ」


 間抜けな挨拶に、一瞬殺意が沸く。その気配を感じ取ったのかゼクスが慌てて弁解した。


「わわっ! ちょ、ちょっと待て今説明するからっ! これ以上やられたら本気で死ぬ! 死なないけどとにかくもう勘弁しろっ!」


 死なないんなら別に良いんじゃないか。そう思ったけれど、またコイツをKOした所で話が進まないので振り上げた拳を引っ込めた。ああもう、こんな事なら昨日の夜の間にゴミ捨て場にでも捨てておけば良かった。後悔しても後の祭りとは、こういう事を言うのだろう。


「じゃあ、説明してもらいましょうか。さっきアンタ、私に何したの? あの変な感覚は何?」


 腕組みしながら訊ねると、私の前に正座したゼクスが「あー…えー…っと」とかドモリながら明らかに怪しい態度をとる。ほほう、さらっと言えないって事は言えない様な事をしてくれやがったって事ね?私は悪い意味での満面の笑顔を浮かべた。


「ま、待てっ。ちゃんと言う! ちゃんと言うからっ!」


「さっさと白状しないと、一発ぶち込んでから新宿○丁目に放り込むわよ」


 新宿○丁目とは、日本全国共通『あちら』のお方の巣窟として有名である。ゼクスみたいな見目良いヤツが一歩踏み込めば、お仲間にされるか餌食にされるかのどちらかだろう。私としては、コイツが女装したら嫌味なくらい似合いそうだと思うが。


「……で、贄の契約って何?」


 あの時ゼクスが口にした言葉を引用して訊ねてみる。たぶん、それがこの違和感の原因なのだろうと思う。ジト目で睨みつけると、黒服変態吸血鬼は焦った表情で頬をぽりぽり掻きながら、ありえない言葉を吐き出した。


「えーっと……新を俺の専属献血バンクにする契約……?」


「死にさらせえええええっ!!!!」


 返ってきた返答に、瞬時に感情が沸点まで達した私はそのままゼクスの顔面にコークスクリューをぶち込んだ。めりりごきゅ、と良い感じの音が拳に伝わる。


 何が献血バンクだ! 私は輸血パックかっ! 血液ATMか!

 冗談じゃないわふざんけんなっ!


 結構凄い音がしたというのに、顔を抑えて悶絶しているゼクスは私から微妙に距離を取る。

仕留め損ねた事に舌打ちしつつ、即座に下した判断を口にした。


「もういいや。ゼクスあんた今からこの世とお別れしなさい。何が悲しくて、アンタみたいなめんどくさい存在の献血バンクなんぞにならなきゃなんないの。んなもん即座にクーリングオフだ。何? 出来ないだ? ……無かった事にするから今から消えろ。息の根止めてやる」


 関節をパキパキ鳴らしながら、じりじりと迫っていくとゼクスが尻餅つきながら後退した。

 たとえ顔がイケメンであれ。こんなのはイケメンとは認めん。断じて認めん。ならば無かった事にしよう。そうだそうしよう。


 若干思考がアレな方向に向いている事に私は気付かず、怒りを湛えたまゼクスに詰め寄る。

 壁際まで追い詰められた事に気がついたヤツが、ほぼ半泣きで私を見た。


「まま、待て! そんな事したら新の方が困っ……!!」


「既に大いに困ってるんじゃボケぇっ!」


 ゼクスの首に腕を廻して締め上げながら、ジタバタもがく身体をなんとか押さえつける。ヘタレと言ってもやはりそこは男の身体。私は所詮女だから、力任せにこられるとどうにも敵わない。

 まあ、それはそれ、技さえあればなんとかなるんだけどね。ぐいと押しのけようとする力を違う方向へ逃し、梃子の原理で絞め技をロックする。


「ちょ、ホントに死ぬ…っ離…せっ……っ!!」



 必死でもがくゼクスの声を無視して、そのままぎりぎり締め上げる。今自分で死なないって言ったんじゃないのかよ。ああ本当にむかつく。

 なんでこんなのと関わってしまったのか。祖母ちゃんには見えて私には見えなかったモノに出会ったという事が、ちょっとだけ嬉しくて、それがこんな結果になってしまった。

 たとえ人外であろうとも、生き物の息の根止めるのはよろしい気分ではない。


 そんな事を考えつつも、尚も腕の力を強めようとした時、予想外の邪魔が入った。


 ピンポーン。


 部屋の中に間抜けな音が鳴り響く。

 間違いなく、この部屋のインターホンの音である。


 あれ、土曜日に何だろう。宅配便……って事はないよね何も注文してないし。

 心当たりが無くて首を傾げるけれど、放っておくわけにもいかず仕方なく腕を緩めて玄関に向かった。


「た、助かった……」


 後ろでは間一髪で助かったゼクスが、ぜーぜー言いながら酸素の補給をしているけれど、どうせ後で殺るのだから一時の平和に過ぎないのに、と一瞥した。


「はーい」


 ドア越しに声をかけながら玄関のロックを外す。チェーンはかけたままなのが一人暮らしの鉄則だ。


 ガチャリと音を立てて鉄のドアを開けると、隙間からこれまた黒スーツ姿のナイスミドルが顔を現した。

 あら、何この素敵なおじさま。若くは見えるけれどこれは四十五歳はいっている。

 私のOLの感が叫んだ。


 ついつい目を見開いて見入っていると、ロマンスグレーのナイスミドルがなぜか『瞳の色を紅くして』色気たっぷりに微笑んだ。その怪しさ大爆発な表情に、思わず驚愕する。


「失礼しますよお嬢さん。ついでに血も頂きます」


 パキィンっと弾けた音がして、私の部屋のチェーンロックが、綺麗に砕けて、飛び散った。


続くよ!!

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