第3話 変態さんはヴァンパイア


 とんとんとん、と小気味良い音を響かせて、小口切りにしたネギを鍋の中へと放り込んだ。

お豆腐を入れた味噌汁が、ネギの香りと合わさってなんとも食欲をそそってくれる。

 フライパンで焼いたシャケをお皿に移し、先に焼いておいた玉子焼き、横にキャベツの千切りを添えてちゃぶ台型テーブルの上に並べた。


 白い御飯に、冷蔵庫に常備してあるきゅうりの漬物も小鉢に出せば、完璧な朝御飯の完成だ。

 休日といえども、お昼まで惰眠を貪り遅めの朝食……をするには私は少々年端がいっている。

 規則正しい生活をしなければ、あっという間にお肌も体調もボロボロになってしまう。


「さて。いただきます」


 手を合わせて呟いて、ご飯茶碗を手に取った所で気が付く。いやずっと気が付いてはいたのだけど。単に無視してただけで。

 うーん。ベッドの下で転がってるイケメンに朝から睨まれるって、全然嬉しくもなんともないな。玄関まで引き摺って行ってドアから蹴り出すか?朝っぱらからめんどくさいなー……。


「……俺の分は?」


 横でうつ伏せになりながらこちらを睨む男を放り出すかどうか思案していると、突然そんな事をのたまった。俺の分ってなんだそれ。人の家でタダ飯食らう気かこら。変態の癖に何様だコイツ。


 じろ、とガンを飛ばすとすっと顔を逸らされる。うん。怯えてる癖に態度はでかいのね。

 私は無言で立ち上がり冷蔵庫へと向かった。中から一本のドリンクとサプリメントの入ったボトルを取り出し、勝手にちゃぶ台で陣取っている男の前にドンっと叩きつけた。


「何だ。これは」


「トマトジュースあんど鉄分タブレット」


 怪訝な顔をする男の目を見ず言い放ち、そのまま座って朝御飯を口にした。

 私が御飯を食べるのをじぃーっと見ていた男が(食べづらいっつの)渋々、本当に渋々という感じでトマトジュースを飲み、鉄分タブレットをぽりぽり食べている。


 一見するとシュールな光景だけれど、なんとなく男の正体を掴みかけている私はほんのちょびっとだけ項垂れていた。せっかくの土日なのに。なんでこんな変なのと関わっちゃったんだろう。


「……恐がらんのか」


「びびってるのそっちのくせに」


 ぼそっと言ってきたのでにべもなく言い返すと男はぐっと喉を詰まらせた。図星らしい。


 恐がらないのかって? そりゃ変だなぁとは思うわよ。昨日はこんな変な男に出会うし、目が紅かったのに今は黒いし、身体が金縛りみたいになったし。


 帰宅したらついてきてるし襲われそうになって血寄越せとか言われたし。お前は蚊か。もう九月入ってるんだからそろそろいなくなれよ。蚊取りマットの詰め替えもう無いんだよね。今月いっぱいはまだ必要な気がするけどもつかなぁ。


 もぐもぐごっくん。むしゃむしゃ。

 いつの間にかトマトジュースとサプリを食べ終わった? 男がじーっとこっちを見ているけれど、お構い無しに食事を続けた。最後に残ったお味噌汁の豆腐を一つ口に放り込み、食器を重ねて「ご馳走様でした」をする。すると待っていたらしい男がはあーーーっと長い溜息をついて口を開いた。


「こんな風にされたのは初めてだ……というか、トマトジュースに鉄分サプリって、こっちの正体には気づいてるんだな?」


 無駄に綺麗な顔に忌々しさを滲ませて、もの凄く嫌そうに男が言う。ああまあね。そりゃその黒づくめの見た目と瞳が紅くなったり血を寄越せとか言われたら、なんとなくでも判るわよ。私が思ってるこいつの正体と、本人の言う正体が合ってるかどうかは知んないけど。


「わかってはいるけど関わりたくないから、出て行けって言ってるんだけど。昨日は泊めてあげたし朝御飯もあげたし。一宿一飯の恩義って事で私の血吸うのは諦めて他の若くて可愛い子にしなさい」


 会社でわけのわからん領収書を経費で落とそうとする営業マンへ向けるときと同じ目をして言いのけると、なぜか男の白い顔がみるみる赤く染まった。おお、なんだか普通の人間みたいな反応だな。


「お前なっ。泊めたって言ってもベッドの下に蹴り落としただけだろうがっ。どこの世界にヴァンパイアにヘッドバットかます女がいるんだっ。それに朝飯ってジュースとサプリだろうがっ。何が一宿一飯の恩義だ図々しいっ!!」


「朝からやかましいわっ!」


 すぱんっと良い音が部屋に響いた。すかさず手にしたティッシュの箱が、男の後頭部の形に凹んでいる。

 なに後ろ頭擦ってんのよ。たかが紙の箱で叩いたくらいで。大袈裟にすんじゃないわよ。


「あのねぇ、今日は土曜日なの。私仕事休みなの。OLにとって休日ってのは魂の休息日なの。あんたみたいな馬鹿な存在に関わってる暇はないのー」


 ずず、とお茶を一口啜り、よいせっと立ち上がって洗濯機に向かう。平日に溜め込んだ汚れ物を午前中に片付けてしまわなければ。部屋が綺麗にならないとゆっくりできないもんね。後ろから「ちょっと待て」とかなんとか聞こえたけど無視。アイツの自己紹介聞くより、やる事やって休日満喫しないと。


 洗濯機を仕掛けて洗い物を済ませていると、不貞腐れた男がぶちぶち愚痴ってるのが聞こえた。


「あー……なんかもう俺、馬鹿馬鹿しくなってきた……もう一回寝る……日差し眩しいし……」


 そういえば、何も気にせず朝起きてすぐにカーテンを開けたけれど、朝日が燦々と降り注いでいるというのに消し炭になるわけでも無く、痛がっている様子も無いなぁと気付く。まあ、どうでもいいけど。


「後で掃除機かけるから、寝るなら邪魔になんないとこで寝てよね。蝙蝠とかに変身できるなら、できれば天井にでもへばりついといて」


台所から声をかけると、脱力仕切った男が「んがああああっ」とか言いながら頭を抱えていた。

ん? 何悶えてんのこいつ。


「お前な! なんでそんな普通なんだ! まともな女ならもう少し狼狽えるとか怯えるとかするだろ!」


 そろそろ限界だったのか、男がなんでだなんでだとまくし立てる。あー…、おちょくり過ぎたかな。

でも休日を平穏に過ごしたかったのは本音だし、家の用事済ませちゃいたいのも本音だし。


 関わりたくないから早く出てって欲しいのも本音なんだよね。そりゃ目の保養にはいいけどさ。お局OLとしては変態男であろうとも見目麗しい造りは見ていて楽しいし。それになんだか、あの紅い瞳をしていないコイツは全然恐くないんだもの。元々私は幽霊やら妖怪やら恐がるタイプでもないし。これは田舎の祖母ちゃんのおかげだけど。


 けどまた金縛りみたいにされたくないしそろそろちゃんと話をするか。

 そう決めて、私は男の隣に腰掛けた。


「そのさぁ、お前って言うのやめてくんない? 私には幸嶋新(こうじま あらた)ってれっきとした名前があるんだからさー」


 近づいてきた私に少し後ずさりながら(話したそうにしてたのはそっちのくせに)それでもうんうんと頷いて男がこっちに向き直った。ああやっぱり顔良いなコイツ。彫り深いなー。コテコテの外人さんほどじゃないけど程よい濃さだわ。長めの前髪が目にかかり気味だけど、隙間から見える眼は大きく綺麗な黒い瞳。シャープな顎としっかりとした体付きは青年と言うより大人の男の体だろう。


「アラタ……なんか男みたいな名前……いや何でもないっ。お、俺の名前はゼクスだ。だからその振り上げた足をどうにかしろっ。スカート掃いてる癖に足あげるなっ。それでもお前女かっ!!」


「やかましい。んじゃアンタ今日からぜっちゃんね。よし決めた」


「なんだそのゼッケンみたいなあだ名は……ってああもうそれでいい。それでいいから凄むな」


 人の名前にケチをつけたくせに私がつけたあだ名にまでケチをつける。器の小さいヤツだなぁ。


「なんで恐がらないのかって聞いたわよね? あのねー…私の祖母ちゃん、母方の方の祖母ちゃんなんだけどちょっと不思議な人なの。なんか色々見えるらしいよ。小さい頃はよく祖母ちゃんに預かってもらったんだけど、その度に恐い話いっぱい聞かされて、慣れっこになっちゃったんだよねー……」


 遠い目をして告げる私に、ゼクスは半信半疑といった顔で「はあ……」と気の無い返事を返してくる。ちゃんと人の話聞いてるのかな。こいつ。冷たい目を向けてやると、びしっと背筋を伸ばした。

 うん。それでよし。


 私は十歳の時に父を亡くし、母子家庭で育った。


 といっても、母方の実家で祖母と同居だったので(祖父は既に他界していた)母が仕事の時は祖母に預かってもらっていたし、寂しいだとかは感じることも無かった。ただ、その祖母が少々特殊な人で、聞かせてくれる話の全てが、幽霊だの妖怪だの、その時期の子供が恐がる様な話ばかりだったのが難点ではあった。だから最初は苦手だったのだ。祖母の事は。


 けれど、その話を私がこの歳になってまでまだ信じ続けているのには理由がある。


 祖母は不思議な人だった。とても。今はもう無い祖母の顔を思い浮かべると、いつも必ず頭に響く言葉があった。


 『世界は面白いもので満ちている』


 祖母の口癖でもある言葉は、彼女と過ごすうちに次第に私の中に溶け込んでいった。


 ある日、祖母に近くの沢へ遊びに行って来ると告げると、祖母はふいに空へと目をやり微笑んだ。


「……そうかい。なら、よろしく頼むよ」


 私には何も見えない虚空へとその言葉を投げ、そして私に手を振った。いっておいでと。

祖母の行動を不思議に思ったものの、いつも何処かに話しかけたりするのが彼女の常だったの特に気にすることなく私は出かけた。


 そして、私は沢から主流の川へと交わる交流に落ちた。

 一人で遊んでいて、足を滑らせて。浅く細い沢を下っていくと、主流の大きな川へと繋がる交流場所がある。そこだけは大人の足でも届かないほど深く落ち込んでおり、遊ぶ時には行ってはいけないと常々言われていた場所だった。夢中になっていて、その事をすっかり忘れていた。落ちた瞬間、子供心にもう駄目だと思った。


 がぼがぼと口の中に押し寄せてくる水に、パニックになりながら四方八方手を伸ばしていると、不思議な事に、何かの手を掴んだのを覚えている。

 何か、と例えてしまうのは、それが人の手と思える様なものでは到底無く、まるで魚の鱗の様なもので全て覆われていたような、そしてぬめりまであった様な、そんな気がしたからだった。


 気付いた時には、元の浅い沢へと運ばれていて、私はびしょ濡れになった体でとぼとぼと、家まで帰った。そこには、玄関で待っていたのだろう祖母が、バスタオルを持って立っていた。


 その光景に、ああ祖母は知っていたんだな、と直感で思った。あの時虚空にいた「何か」と話をして、そして私をそれに任せたのだろうと言うことも。


 ずっとただ恐いだけだった祖母の話がその時から急に不思議で、とても大切な事の様に思えた。


 それから私は祖母の事が大好きになった。

 祖母がしてくれる摩訶不思議な話の数々は、その後の私を大いに楽しませてくれた。恐い話も。意外に多かった優しい話も。幽霊と呼ぶべきものであろう話や、日本の妖怪、西洋の絵物語に出てくるような魔物の話まで、それは多岐にわたっていた。無論、その中に吸血鬼、ヴァンパイアと呼ばれるモノ達の話もあった。


 祖母は話の終わりに必ず言った。世界は不思議で満ちている、と。今のお前ならわかるだろう?と意味深な視線を向けてくる祖母の顔は、まるで悪戯な女神の様だった。


 子供の頃にあった不思議な出来事は、平凡なOLとなった今でも、私の心に強く残っている。

 世界は不思議な事で満ちている。だからと言って、直接関わる事が無ければ私達自身の生活には何ら変化は無いのだ。私には、祖母の様な特殊なものは無かったから。祖母の事を考えた時、どうして自分には彼女と同じ世界が見えないのだろうと、その理不尽さを少し怨んだりもした。


 世間一般で言われる『大人』になってからは、無いものは無い、見えないものは見えないのだからそれなりの生活を送るしか無いと、気付いたけれど。


 ……だからこそ、今起きているこの自体は、少しだけ嬉しくもあり、恐怖を感じるものでも無い。かといって、今の今まで平凡に生きてきた自分にはあまり関わりたく無い事でもあるので、出来ればスルーしたいなと思った次第だ。


「———と、まあそういう事よ。だからね、祖母ちゃん見てきた私は、別にあんたみたいなのがこの世界に居てもおかしくないと思ってるし、別に恐いとも思わないのよ。まあ恐くないのは、私の蹴り一発でアンタがぶっ倒れるようなヤワなヤツだからってのもあるけど。要はそう言うこと。OK?」


「お前……ほんっとよく喋るな……しかもすげー早口……」


 大体掻い摘んで話した筈なのに、なぜかげっそりしたゼクスがテーブルの上に突っ伏した。


 ん? そんなにいっぱい話したっけ? でも女の話って長いものよね? この位普通じゃない?


 首を傾げていると、復活したらしいゼクスが「まあいい」と一言投げやりに呟いてこっちを見やる。

 せっかく人が話してやったというのに、その態度はなんだよ。ゼクスの癖に。


「お前のその並外れた度胸の良さは理解できた。むしろこちらとしては都合が良い。……はあ、しかし何でコイツなんだか……」


「コイツって誰の事よ? まさか私の事じゃないでしょうね?」


 聞き捨てならない言葉に、ガン飛ばしたのが気に入らなかったのかゼクスが「ああもう!」と苛立った仕草でがしがし頭を掻いたかと思うと(ちゃんと風呂入ってんのかなコイツ。昨日入ってないのは確かだけど)すっとその場で立ち上がって礼の姿勢をとった。朝の光に照らされた黒装束の男が、眼前に直立不動で立っている。その光景に突然何だ? と頭上にはてなマークが浮かぶが、そんな人の感情無視して一礼したゼクスの瞳が私を捉えた。


 その目を見ると同時に気が付く。


 あれ。また瞳が紅くなってる。便利だなーこれ。カラコンいらず。


 ってなんかこれからされそうな気が沸々とするんだが。物凄く嫌な予感が。

 殴ったほうがいいのかなこれ。とか考えている間に、黒い筈のゼクスの服が淡く紅い光に包まれた。

 黒い服から発せられる紅いほのかな光に、私の目が吸い寄せられる。


「我が一族の慣例に習い、新、お前を我が生涯の贄とする。終わりはお前が息絶える時。我が身滅ぶ時。新が天寿を全うするまで、俺がお前を守ろう。」


「……っは?」


 紅い光に目を取られていた間に、何事かを呟いたゼクスは再び一礼した。それと同時に光も消えてゆく。


 今なんつったのコイツ? りぴーとあふたーゆー? クエスチョンを頭いっぱいに浮かべる私の『ナカ』を、その瞬間とてつもなく重く、冷たい『ナニカ』が突き抜けた。


「っ!?」


 突然体の中を走った衝撃に、思わず後ずさると、目の前に立つゼクスがにやりと笑った。その紅い瞳でそうやって笑われると、さすがにちょっと恐く感じるんだけど。黒目のゼクスが恐くなかったからって、警戒心を解きすぎたか。と今更ながら後悔する。


 祖母ちゃんも、不思議な事の全てを恐がることは無いけれど、時には毒となる物もあると言っていた。

 本当に思い出しても今更だけど、ゼクスの間抜けな雰囲気と、出会いの一発KOで慢心してしまっていた。

 失敗だったかもしれない。


 ぎり、と奥歯を噛み締める私の前で、瞳を黒に戻したゼクスが「よし、完了」と満足そうに頷いている。って何だその俺仕事終わった感。


「……今何しやがったコラ」


 襟首引っ掴んで問い詰める私に、ゼクスは首を竦めて嘲笑した。

 ああ? 何だその人を小馬鹿にした笑いは。しかも今鼻で笑ったな?

 再びニヤリ、と口唇を上げたゼクスが口にしたのは、私の怒髪天を衝くに値するものだった。


「新にむかついたから強制契約してやっただけだ。有難く思え」


「有難いわけねえだろうがこの変態黒服野郎ーーーっ!!!」


 嫌な予感が的中した事に、私は再びゼクスに渾身の一撃をお見舞いしたのだった――――



まだ続く? かもしれない!

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