第2話 不法侵入の変態さん


 ぶしゅっ。


 軽快な音を立ててプルトップを空けると、中から冷たい飛沫が指先を襲った。

 ふわりと香るアルコールの匂いに気分を浮つかせながら、冷たく冷えたそれをゴクゴクと飲み干す。


「っかあ~~~っ!!仕事上がりのビールってやっぱ最高っ!」


 息を吐き出すのと同時に疲れも一緒に抜けていく。

 あーやっぱ至福だわこの瞬間。残業明け、仕事明けのお風呂上り、火照った身体にビールの冷たさが染みるっ。生きてて良かったっ。今週も私頑張ったっ!


 ……おっさんって言うなそこ。

 傍から見れば妙齢の女性には到底見えないであろう格好(ランニングにショートパンツ、首にはタオルを引っ掛けている。)ではあるが、一応職場ではちゃんとOLしてるのだ。家の中でくらい寛いだっていいじゃないか。


 ビール缶をちゃぶ台型テーブルに置いて、テレビのチャンネルを合わせながら窓をちらりと見やる。

 現在深夜二時。丑の刻と言われる今の時間帯だが、微塵も恐ろしいとは思わないほど、私はこの時間を見慣れていた。


「明日はどうしよっかなー。録り貯めてるドラマもあるけどなー」


 ポチポチと録画リストを確認するが、録画予約はするものの一向に再生する気配の無いドラマや映画のタイトルが並ぶ。映画はまだたまに見てるけど、ドラマを一話から見る気力が最近湧かないんだよねぇ・・・なら録るなって話だろうけど、いつか見るかもって思っちゃうんだよねぇ。

 そんなこんなでメモリをどんどん圧迫し、結局は見ないまま消すことになったりするのだが。


 残りのビールを飲み干し、洗面所へと足を運んだ。

 洗面台の鏡に映った自分の顔を見て小さく溜息をつく。思い出すのは女子トイレで偶然聞いてしまった後輩達の声。

 なぜ女というのは、トイレの洗面でたむろしてお喋りするのが趣味なのだろうか。


 だって排泄する場所だよ? メイク直しったってぱぱっと終わるじゃん。なのに十分も二十分もぺちゃくちゃと。おかげで中々出れなかったじゃないか。


 自分でお局OLと豪語してはいるが、人から言われるのとはまた違う。しかも若く初々しい後輩達から言われるのは、この年齢になると結構堪えるのだ。

 べつにさー…仕事に生きてるわけじゃないんだけどな。私。成り行きでそうなっただけで。

 何人かと付き合ってはいたけれど、どれも「そういうご縁」には恵まれなかった。それだけの事だ。


 既に化粧水と乳液を叩き込んだ肌の上に、美容クリームを塗りこみながら、後輩女子達の面々を思い浮かべた。

 あー…若いっていいよなー…。

 自分にもあったはずの時代は、過ぎたからこそ貴重だったと思えるのだと、私は今になって思い知った。 もっとちゃんと手入れしとけば良かったわ。ほんと。


 気が済むまでクリームを塗りこんでから、手に残った分を首に塗りこみ(貧乏性)歯磨きをして再び鏡で自分の顔を見た。


「……」


 今、何かと目があった。様な気がした。

 が。うん。まあ。いいか。


 一瞬で結論を出し、くるりと振り向いた私は『ソレ』を避けて部屋のベッドに行き布団に潜り込んだ。この布団も明日干さないとなぁ……とか考える。


「さー、もう寝よっと」


 そう一言告げて、枕元にある室内灯リモコンで電気を消して眠りについた。

 ……はずだったのに。



「ちょっ待てお前えっ!! 無視すんなこらあっ!!」



 薄暗い部屋に、馬鹿みたいに五月蝿い声が響いた。ああもう。めんどくさいな。寝るつってんだから速やかに消えなさいよ変態が。


 先ほどの妙な出来事からなんかあるだろなとは思っていたけど、出来ることならスルーしたかった。鏡越しに目が合った時に確定してしまって、往生際が悪いにも逃げようとしたのは事実だけど。イラつきながら仕方なく電気をつける。


「五月蝿いわよ不法侵入者。近所迷惑だから黙れ。殺るよ?」


 ベッドの上で頬杖付いて、いつの間にか部屋に入り込んでいる黒づくめの変態(でも顔はイケメン)を嗜めた。あのまま死んだかと思ったけど、生きていたらしい。なんか普通じゃないなと思ったけど、音もなく人の部屋に入ってくるなんてこいつ幽霊か妖怪の類かしら?


 実家の祖母が少々特殊な人だった為か、私は超常現象の類に拒否反応は無い。

 だからと言って、見たままを鵜呑みにするほどお子様でも無いが。


「殺るって……普通の女ならこの状況、悲鳴上げるなりなんなりするだろう……」


 げっそりとしてそう言い放つイケメンは、よくよく見ればやっぱりどう見てもイケメンだった。

 部屋のライトに照らされて、黒い髪は艶光りし、顔は相変わらず小麦粉でも塗りたくってんのかってくらい白かった。そして黒く長い睫に囲まれた大きな瞳が真っ直ぐ私の方を向いている。ってあれ、さっきこいつ目の玉紅かったぞ? 今黒いんだけど。

 とどうでもいい事に気がついた。


「普通の女じゃなくて悪かったわね。こっちは鬼の残業明けでくたびれてんのよ。どうでもいい用事なら後にしてくれる?出来れば関わりたくないけど」


 そう言い捨てて、ぎろりと相手を睨むとなぜかびくりと怯まれた。

 ああなるほど。さっきの二発KOにびびってんのか。今ベッドに横になってんだから足出せるわけないのに。黒づくめの変態の癖に小心者かコイツ。


「関わりたくないのは俺だって同じだ。ったく、なんでこんな凶暴な女を標的(ターゲット)に……ああもうごたくはいい」


「……っ!?」


 ぶつぶつ文句を言ったかと思えば、次の瞬間、変態が私の上に居た。それと同時に感じる重量。

 ……って何人の上馬乗りになってんだこら。一応嫁入り前の乙女だぞこっちは。正真正銘乙女ではないしそこそこ擦れてはいるが。


「……何してんのよ」


「凄むな。少し血を分けてもらうだけだ。じっとしてろ」


 はあ? という私の疑問符をそっちのけで、男が首元に顔を寄せてくる。今の私の格好はタンクトップ。首元なんて顕わどころではない。間近に迫る男の顔に、焦りどころか怒りが湧いた。


 残業明けの疲れてる所に、この上献血しろだと?


 ……ふざけんじゃねえよ。

 プチっと何かが切れた音がした。


「っざっけんなこらあっ!!」


「っふぐ!?」


 迫ってきた顔に、得意のヘッドバットをお見舞いし、馬乗りになっていた男はそのまま私の上で崩れ落ちた。

 ……重たいんだけど。ついでに言えばおでこもちょっと痛い。

 人の上に乗っている黒い塊をベッドの下に蹴り落とし、ぐちゃぐちゃになった布団を直す。


「なんか変なのと関わっちゃったなぁ……」


 寝顔? というか気絶顔? まで綺麗なのに普通じゃない男を見やってから、私はもう一度布団の中に潜り込んだ。


 今日は花の金曜日。(もう日付変わってるけど)明日と明後日はもちろんお休み。

 魂の休息日だ。

 妙なモノと関わった気もするけれど、平和に過ごせたらいいな、なんて思いながら眠りについた。



 続く、かもしれない。

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