第15話 死

「………?」


李襟は、いつもの様に目を覚ました。そこには、見慣れた机、本棚、カーペット、テーブル、タンス…。


「私…何か…夢…見てたような…」


「李襟ー?ごはんよー?早くしなさい」


(お母さん…?)





「行ってきます」


朝ごはんを食べ、教科書や筆箱を鞄に詰め、李襟は学校へ向かった。その間中、李襟は不気味な程、何かを忘れている気がしていた。それは、絶望にも似ていた。


『駄目だ』


『起きろ』


『目を覚ますんだ』


頭の中で、誰かの声がひっきりなしに聞こえる。しかし、李襟は何一つ思い出すことが出来ない。


『貴女は、ここにいては駄目』


『気付いて』


(何?なんなの?)


頭のノイズに、終止符を打つように、声がした。


「李襟」


「…!」


後ろから声をかけられ、振り返った視線の先にいたのは―――…、琥珀だった。


「おはよう。李襟」


「…おはよう…琥珀…」


「?どうした?」


まるで、こっちの様子が変だと言いたげな琥珀。李襟も、なんで、こんな不穏感に苛まれているのか、分からなかった。けれど―――…。


琥珀は、李襟の肩に腕を回し、一緒に登校しようとした。


「…なんで?」


李襟の口から、そんな言葉が零れた。


「なんで?俺たち、付き合ってるんだから、いいじゃないか」


「てやっ!!」


「ぐっ!!??」


肩に回された琥珀の右腕を捻って、地面に這わせた。


「この…ナイフは…何?」


「……君は…本当にすごいのだな…」


「………………」


「…李襟…?」


「貴方を…殺さなければ…ならないの?雲母琥珀…」


李襟の瞳からは、涙が溢れていた。地面に、琥珀の頬に、琥珀の肩に、李襟の手の甲に…。


「どうしてよ…なんで…魔界を…つくろうだなんて…なんで…人間界を…魔界に染めようだなんて思ったのよ…どうして…私は…貴方を殺さなければならないの…」


李襟は、琥珀の捻って動かない腕を押さえながら、泣きじゃくった。


「俺は…雲母家に生まれた…それだけだ。雲母家は、もとより、魔界。俺に…選択肢があったと思うのか?」


「…貴方が…自由になりたいと、願えば…叶う…それは可能ではなかったの?」


「無理だ…。俺は…幼い頃から、魔界の敵となり得る人間を、転生させ、殺してきた。もう…何人…殺したか、分からない…。君のように、純粋な女ばかりだった。俺に、本気で惚れた女もいた。それでも、俺は…その首を…搔っ切ってきた…」


琥珀の声が、震えている…。


「じゃあ、何故、すぐ、私を殺さなかったの?貴方になら、簡単に出来たはずでしょう?」


「それは…どうだろうな…。サトファリア…ディリスメリを目覚めさせたのは…君が初めてだった。だから、こうして、俺が…こうして…この…人間界で…李襟…君を…殺さなければならない…」


「貴方には…出来ないでしょう?」


「…………そんなこと、何故わかる?お前に俺が同情しているとでも言うのか?」


「貴方は…私を…すき…でしょう?」


「……………」


「私に…貴方を…殺させて」


「…っ!」


琥珀は、顔を、コンクリートにこすりつけ、涙を隠した。琥珀に、李襟を殺すことは、出来なかった。キンリジライの命令でも…。魔界の…雲母家の当主、キンリジライの命令を、これまで、琥珀は一度も全うしなかったことは無かった。など、今までしてきたことの延長だ。どんなに、自分を信頼していた魔術師も、最後は、琥珀が葬ってきた。



気持ちが良かった。自分を信頼し、頼り、感謝し、悦び、泣き、笑い、喧嘩をし、それでも、最後には、皆、自分に恋をして、気を赦す。その時、転生した先ではなく、この昼間の人間界…いや、魔界で、夜だけの異世界への転生者の命を絶ってきた。その時、感じる心地の良い達成感は、何とも言い難い、悦びだった。…はずだった。





「李襟…君に…………」


「………………言わなくていい…」


「君に…」


「言わなくていいってば!!」


「…………君に…………殺されたい…」


「………っ………言わなくていいって……言ったじゃない………」


ぐさっ!!!







琥珀は、静かに、瞳を閉じた…。




「うわあぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!!!!!」


李襟の悲鳴は、恐らく、キンリジライの耳にも響いただろう。


「赦さない!赦さない!赦さない!……絶対……赦さない…。マテライダ…いいえ、キンリジライ、シャートラス…絶対、私が、魔界を滅ぼして見せる…」

















「ふ…あの小娘…琥珀を殺したか…。中々だな…。さすがはディリスメリと行った所か…」


キンリジライは、李襟の苦しみも、痛みも、辛さも、…悔しさも、踏みにじったことに、なんの感情もなかった。そして、琥珀の、初めての、恋にも…。








「<転生レインカラナチオーネ>!!」







こうして、再び、異世界に降り立った、李襟…いや、ディリスメリ。その前に立ちはだかったのは、マテライダだった。


「この期に及んで…まだ自分でかかって来ぬとは…雲母家は…琥珀は…何のために死んだのだろうな…」


ディリスメリの顔が歪む。


「ディリスメリ!貴様と遊んでる暇はもはやない!!ゆくぞ!!」


「その言葉、そのまま返してくれるわ!!<発動抑止インヴォカチオネ>!!」


空を舞ったマテライダの体が、急転直下し、地面に叩きつけられた。


「な!?」


「お前のはもはや、効かん!!」


「な、何故だ!?が破られるなど…聞いたことがない!!」


「<殺滅剣ステルミーギョ・ソード>!!」


「!!!!」


ディリスメリがマテライダの心臓を貫いた。マテライダの血が、ポタポタと、地面に数滴、また数滴と、落ちて、だんだん血の海へと変わって行った。


「女…女神が…<ソード>を使う…だと…!?そんな力を…眠っている間にどうやって…」


マテライダが、息も絶え絶えに、口から血を吐き出しながら、ディリスメリに零した。


「私とて、数万年の間、只眠っていたわけではない。天界を救う…魔界を滅ぼす為に、何が出来るか、ずっと考えて来た。そして、ありとあらゆる<書物リブロ>を読み漁り、貴様らを葬る術を探していた」


「…ま…さか…貴様に…このような技があったとは…このマテライダ…一生の…不覚…」


マテライダは、成す術なく、その場で、一生を、キンリジライに操られたまま、自由など、一瞬もなく、悦ぶことも、悲しむことも、本気で、誰かを愛する記憶も奪われたまま、その命を終えた。


ディリスメリは、カッ!と見開かれた瞳を、そっと手の平で伏せると、マテライダを抱き締めた。


「この天界の女神、ディリスメリの力を舐め過ぎてはいないか?なぁ!?キンリジライ!!」


す―――…。


ディリスメリの前に、とうとう、キンリジライが現れた。


「キンリジライ…、お前に、感情と言うものは…備わっていないのだな…。我が息子ながら…涙も出ぬ悲しみだ!!」


「さすがは…ディリスメリ…。その呪文だけは…封印しておいたはずだが…。どうして知った?」


キンリジライは、マテライダのを破られ、危機…のはずなのに、なんのおののきもない。しかも、その顔には、笑みさえ浮かんでいる。


「どうしてた?ディリスメリ。を見切り、余裕のはずだろう?何故、そのような顔をしている…?」


「貴様…まさか…」


「ふ…ふふふ…ふははははは!!気付いたか!!愚か者め!!その呪文は、使ったもののも、解いてしまうのだ!つまり、貴様は、もはや、女神でも何でもない!!只の、役立たずの人間だ!!」


「!!」


「死んでもらうぞ。ディリスメリ!!はあぁぁぁああ!!」


キンリジライが、剣をディリスメリに振りかざした。


「………!!!」


カキ―ン!!


「ぐぬぬ…」


「「ナ、ナトイレルン!?」」


キンリジライの剣を止めたのは、ナトイレルンだった。


「何故だ!?ナトイレルン!!お前には<封印シジラート>を…!」


ディリスメリが叫んだ。


「俺は…スチカサートと同じだ。キンリジライの手下だったんだ!!」


「え!?」


「スチカサートは、人間界で李襟と言う女に殺された。しかし、俺は、まだ使い道があると思われたのだろう。キンリジライが<封印シジラート>を解いてくれた」


「ナトイレルン!!どういうつもりだ!!この俺を裏切る気か!?」


「キンリジライ!俺は…ずっと待っていた。この時を…!!」


「どういう意味だ!?」


「俺は…魔界を滅ぼす為、魔術師の女たちの力を少しずつ<吸収アッソロビメント>を使い、魔力と知識を貯めた」


「何故そのようなことが出来た!?貴様は、スチカサートと同じ!我のしもべ!己の意識下など持つ事は出来るはずがない!!」


「それは違うな。キンリジライ…。俺は…ディリスメリ様の護衛の為、ラートインス様によって生み出された、<入物コンテニトーレ>だ。そもそも、貴様に作られた兵士ではない!!」


「それは、本当か…?ナトイレルン…」


ディリスメリも、キンリジライ同様、驚かずにはいられなかった。


「はい。ディリスメリ様…。今まで、何も出来ず、人間界の魔術師たちを、キンリジライたちの手に堕とし、大変、申し訳ございませんでした…!ですが、ラートインス様やヘティーナ様…ユメリス様の力をもってしても、恐らくはキンリジライを倒すことを出来ない…そう考え、ディリスメリ様が目覚める、この時を、この瞬間を、待ち望んでおりました!!どうか、このナトイレルン、ご自由にお使いください!!」


「…ありがとう…ナトイレルン…。お前が…せめて…お前が味方で良かった…」


「ふ…。ナトイレルンが加わったとて、お前の師、ディリスメリ様とやらは、を解かれたのだぞ?どう闘うと言うのだ?」


「お前の方こそ、我に、なんの策も無しに、今、キンリジライ、貴様を裏切ったとでも思っているのか?」


「…何?」


ナトイレルンは、不敵な笑みを浮かべ、ディリスメリのを放たんと、口添えした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る