バンブースペエス学

緑がふぇ茂りゅ

第1話 入管前

 学校の、透明な床をした踊り場で、座りながら少女は歌っていた。

 僕は思わず見惚れてしまって、立ち尽くして周りの人流れるを邪魔してしまった。しかしそれすらも見えずただ彼女の声を見ていた。

「聞いてくれて、ありがと楽」

 さらっとした笑顔を払い彼女は廊下の奥へ歩き去った。果物色の匂いがしたが、すぐ人波にかき消されてしまった。


 お惚け後の授業は大変つまらない。教師の話す声もそのままに、思い出せないアニメや漫画を必死に思い出して歩いていた。叱りを喰らうほど夢中にやっていた。

 彼、谷知やちは連想に続き、先程の思い出を思い浮かべた。ボーイッシュな髪をして、誰にも向けず歌う姿。

 谷知の大好きなアニメのようである。ゆえに自分のモノにならないかなぁ、と妄想し始めた。

 妄想と現実はリンクしてくれない事知りつつ、それでも励んでいると、街灯に頭をぶつけた。

 まだ惚けた危うい帰り道を笑う嬌声があった。二度目の目撃、シングガールである。

「今日の課外授業はドジだね楽」

 いつもまっすぐな顔をしていた彼女が、今日は笑って谷知に話しかけてくる。

 同じくまっすぐな顔をしていた谷知、心では嬉しかったのである。


 まだ明るい晴天下、放課後の谷知は帰っている。無論、少女の事を考えながら。

「あん?」

 道によくある排水溝、その下で「彼女」が工事をしていたのが見えた……と思ったら、そこには誰もいなかった。

 流石に、幻覚だろうと谷知は考えた。高温度でボケるにはまだ早すぎる季節だが。

 いつもの空を見る癖で三度見をしてみると、今度は電柱で工事をしている彼女が見えた。

「お」

 おい、の「お」を発する前に彼女は消えた。恋の症状にしてはあまりにも病的である。

 目撃したのは家近く、ゆえに知り切った家に帰れると知り安心した谷知は、いつも通りドアを開けた。

「帰りました」

「おかえり楽」


「**♪あ!?」

 やたらメロディの良い叫び声をあげて谷知は倒れた。今度は消えず、彼女が立っている。

「お邪魔させていただいてるよ」

「なぜ?」

「秘密」

 流石にその言葉は通せない。しゃがむフローラルガールに、抜けた腰を立て直しながら説得を試みる。

「あぁ、いや、えっとねぇ……」

「なんでここにいるのか気になるんでしょ?」

「あぁ、うんまぁそう」

 言いたいことを先に言われたからやけくそになった。

 入道雲が脇の窓、その向こうにぐんぐん盛りゆく中、僕たち二人は暫く固まっていた。ただし、彼女は笑っていたままで。

「知りたいかい、知りたくないかい楽」

 彼女が二択らしい質問を投げかけてきた。暑くて、無風な部屋の中では何も考えられず、咄嗟に答えてしまった。

「知りたい」

 崩れぬ笑顔、倒れかけの谷知。晴天下の街にフローラルコンビは契約を交わそうとしている。


 じゃ、これ読んどいてや。

「?」

 突然彼女の口調が変わったのと同時に、笑えるほど無機質な表紙の本が一冊投げられた。

「なにこれ。ええと、バンブースペエス学、入門編? あん?」

「とりあえずペラペラしてみ」

 指示通りに本をめくり……たかった。しかし、熱中症が背中にしがみついている。今すぐシャワーにでも入らなければ本当に倒れる。

「あのー、シャワーに入ってからで良いですか」

 発言の終わり、真顔以上の真顔で彼女がにじり寄ってきた。

「谷知くん。失望したよ。君は仕事というのを分かってないんやね。やりたいやりたくないとかで世の中は回ってる訳じゃないんやで」

 にじり寄って来た可愛い顔も今はどうでもいい。もはや何も言わず、シャワーに向かっていく。

「待て待て、読めや」

 肩を掴まれた瞬間、視界がどす黒めの赤になった。


 目覚めると、何か水色の風景……?

 熱中症の症状か、あらぬ色をした空間で僕は目覚めた。

「あぁ谷知、すまんかったな。お前熱中症起こしてたんな」

 意識がはっきりしていないのに、彼女に腹が立った。

「人り家おがうつてんねや」

「何言ってるか分からんが、本当にすまんかったな」

 怒りの言葉は届かなかった。

「ま、さっきの続きしよか。涼しい所には連れてってやったから……さぁ読め」

 しわになる程深く額をしかめたが、それでも学習した谷知は一頁目を見た。

「著、可義等目(かぎとうもく)モシ」

「可義等目(かぎらめ)モシ、な。私の本名や」

 異常な空間で同級生の異常な本名を知る。どういった名前のSFだろうか。

 次をめくると「はじめに」の言葉があった。

 内容をまとめると、空間整備士の資格を取るための本である事を説明していた。

「空間整備士ってなに」

「読めば分かるってのに」

 僕から本を奪い取り、唇を尖らせたモシが異言語を話し始めた。

「なんて?」

「あ……間違えた。これは私の故郷の言葉でね」

 少しでも気を抜くとさっきまで起こっていた事柄が頭から抜けそうになる。

「言うたらそのまんまなんよ」

 そのまんま、はないよ先生。言いたい事はなんとなく分かるけど。

「そんな説明するのも難しい資格? を僕に取らせようとするの、異邦人」

「君急に生意気になったね。そんな態度ならもう説明しないよ」

 がらりと変わった口調や態度に気を取られていたが、彼女は可愛い人物である。なんとか離れないようにしたく、その為に谷知はプライドを捨てた。

「モシ、先生。ボクはバンブウスペエス学が知りたいので、ゼヒ教えてください。この通りです」

 少々やけくそ気味に、モシに教えを乞った。

 モシも満更になく講義を再開した。

「じゃあ最初に……君はどうやって大きくなって来た?」

 導入にしては疑問符の著しい質問だが、とりあえず考えてみる。

「親に色々与えられたり、良い事悪い事両方の経験をして生きてきた」

「ま、そやな。じゃあ……テレポートは?」

 テレポート?

「あぁ、分かりやすく言うならタイムラグや、神隠しだな」

「それって、人によって変わる『時間の長さ』問題も含まれる?」

「んー、それは各個人の生理的な問題やから含まれない」

 彼女に言われ、自身のタイムラグに関する一切を思い出してみたが、一つも出てこなかった。

「まぁ、ないなら良い。バンブースペエス学はそのタイムラグ等をらす為の学問や」

 ずらす。面白い動詞が来た。

「おぉ、目に光が灯ってきたな。面白いだろ? タイムラグをだなんて」

「うん」

 急にモシがごつい腕時計を確認した。

「あー……すまんな谷知くん。あんまここで説明すると、まさに神隠しみたいになりかねんな……」

「どう言う事すか?」

「ここの時間の流れは第一位砂の八点五倍だ」

「つまりは」

「あちらで四時間経っている」

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バンブースペエス学 緑がふぇ茂りゅ @gakuseinohutidori

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