断章
第2話 在りし日のサファイア
早朝。アッシュ家のメイド達は、屋敷の主人達よりも早く、広い屋敷と、広大な敷地のあちらこちらで今日も業務に励む。
庭木や花壇の手入れ、雑草の処理、屋敷内外の清掃から、炊事洗濯など多岐に渡り、これら全ての作業を、数百名の阿頼耶識メンバーが入れ替わり作業に当たる。
この全てのメイド達に指令を出して動かしているのが、メイド長補佐サファイアである。お嬢様風の容姿に、ネームドの中でも指折りのスタイルの持ち主。
統括のルビーや、副長のダイヤモンドとは違い、あまり任務で屋敷を出る事が少ないサファイアは、メイドの管理育成を任せられている。
指示を出す立場上、彼女の仕事の質は一級品で、「サファイアならば言う事無し」と言われるほど完璧である。
頭脳明晰で、阿頼耶識の作戦の立案なども行いながら、サファイア自身も前線で他の武闘派のネームドに引を取らないほどの実力の持ち主である。
得意武器は鞭であり、魔力を自在に操る事によって、形状や強度を変化させる事が可能で、打撃や拘束、さらには斬撃といった多彩な攻撃手段が可能である。
しかし、完璧と思われていた彼女にも、苦手な事が存在していた。
「サファイア様、またアクア様とマリン様がアレを……」
屋敷を巡回し、隅々までチェックを行なっていたサファイアの下に、ネームのメイドが報告にやって来た。
「ぐっ、こっ、今度はいったい何を持って来ましたの……」
「はい、恐れながら報告致します。お2人は野外任務より帰還したさい、山奥から巨大な虫を……」
「虫!よりによって今度は虫ですの!?」
怒りや驚きを通り越して、サファイアは頭の中が真っ白になる。完璧な彼女の唯一の弱点は虫。虫は大なり小なり関係なく苦手で、見つけると怖くて逃げてしまう。
「今お2人は何処に居ますの?」
「それが何か企んでいる様子で、現在屋敷の何処かに潜伏しているようなのです」
「ぐぬぬ!目的は私のようですわね。あの子猫共、必ず見てけて処しますわ!」
「いかがいたしますか?」
「そうですわね、まずは屋敷の入口を封鎖、ネーム全体に指示を出して、外から内側に包囲をかけますわ」
「幸いにも本日は旦那様も奥様も、あの方達もいらっしゃいませんし、全力で一気に畳み掛けるとしましょう」
すぐさまサファイアはネーム全体に行き渡るよう包囲の指示を出す。どこに2人が潜伏しているかは現状検討がつかないが、見つけるのは時間の問題だった。
サファイアの指示でネーム達は、屋敷の外の入口を一時封鎖、外に逃げられないよう監視体制を敷き、中庭から隅々まで捜索を行なっていた。
「くふふっ、ニャー達を探しているみたいニャけど、残念ながらニャー達が見つかる事はないのニャ」
物陰に息を潜め、自分達を必死に捜索している者達をあざ笑うマリン。
「……にゃーは止めとけと忠告したにゃ」
「ニャに言ってるニャアクア!ここまで来たら同罪ニャ、ここで逃げたら敵前逃亡ニャ!」
「はぁ、にゃんて事にゃ、これじゃ完全にもらい事故にゃ……」
「くふふっ、日頃の恨みをサファイアに恩返しするニャ!」
落胆する姉のアクアをよそに、妹のマリンは目的を遂行するため場所の移動を提案し、移動する。
同時刻。屋敷外の中庭はほぼ捜索が終了と報告を受けたサファイア、残るは屋敷の中の捜索のみとなり、出入口を固め一階から順に捜索を行っていた。
「いったい何処に隠れていますの!まだ見つからないんですの!」
「たっ、大変ですサファイア様!虫が!虫が現れました!」
「!?」
一階をほとんど捜索し終え、二階に移ろうとしていた矢先、突如二階より3メートルはあろうかという巨大なムカデが姿を現す。
「なななっ!?なんですのあれは!」
無数の足と巨大な牙、見るだけで悍ましい外見に、鋼のような硬い鱗に身を包んだ、虫と言うより巨大なモンスターに驚愕するサファイア。
「ニャはは!覚悟するニャサファイア!」
巨大なムカデの頭部にまたがり、アクアとマリンは起用にムカデを操ると、サファイア目掛けて襲い掛かる。
「ぎゃー!!虫は苦手ですのー!」
「ニャニャニャ!日頃のニャー達への仕打ちの数々、今日こそ目にもの見せてやるニャ!」
「くぅー!後で覚えてらっしゃいな!」
逃げるサファイアを面白そうに追いかけるマリン。屋敷をくるくると何周も回り続け、やがてサファイアは体力の限界が来てしまい、倒れ込む。
「追い詰めたニャサファイア、観念するニャ」
追い詰められたサファイア。ジリジリと距離を詰めるマリンは、怯えて震えるサファイアを見て高らからに笑う。
「くっ、まさかここまで追い詰められようとは……」
万事急須かと思われた状況に、思わぬ救世主が現る。
「なんだなんだ、今日はいつもに増して騒がしいじゃないか…」
「なぁ、マリン、アクア……」
「げっ!ル、ルビー!?ニャンでここに」
現れたのは阿頼耶識統括ルビー。夜間任務消化後に、2階の部屋で仮眠を取っていたルビーは、いつも以上に騒がしい館内に目を覚ましていた。
「大丈夫かサファイア、立てるか?」
「あっ、ありがとうございますルビー様」
サファイアの手を取り優しく起き上がらせるルビー。サファイアを優しく労わるルビーの目は、次の瞬間眠りを妨げた元凶に鋭い視線を向ける。
「さて、サファイアを怖がらせた件、屋敷を荒らした件、私の眠りを妨げた件……」
ルビーはマリン達を凝視しながら、持参していた長刀をゆっくり鞘から引き抜く。
「お仕置きが必要だな!」
「マズいニャ!逃げるの……」
「遅い!」
ルビーの目にも止まらぬ剣捌きにより、ムカデは跡形もなく塵となる。
「ばっ、化物ニャ!アクア、とっとと逃げるニャ!」
「……もう遅いにゃ」
すぐさま逃げ出そうとしたマリンと、半ば観念したアクアは、復活したサファイアの華麗な鞭捌きによって拘束される。
「捕まえましたわよアクア、マリン!」
「ごっ、誤解ニャサファイア!これはちょっとしたイタズラニャ」
「お・だ・ま・り!!」
「……何度も言うにゃ、にゃーは無実にゃ」
そのままサファイアは2人を引きずり、地下のお仕置き部屋へと連れて行くと、柱に2人をくくりつけ、長時間説教をした後、その場で反省するよう言い残し、部屋を後にした。
一仕事終え、サファイアはネームド専用の部屋へと入ると、溜まった疲れが一気に押し寄せ、ソファーに倒れ込む。
「お疲れのようですねサファイア様」
「ああっガーネット、まったですわ。あの子猫の相手をしていましたら体力がいくつあっても足りませんわ……」
「あの子達はまだまだ子供ですから、こちらの意に反する事が多いのでしょう」
ガーネットは机の上にティーカップを置き、淹れたての紅茶を注ぐ。
「ですから長い目で、彼女達の成長を見守るのが良いのではないでしょうか」
「そしたらわたくし、おばあちゃんになってしまいますわ」
「ふふふっ、そうかもしれません」
ガーネットの淹れた紅茶を手に取り、香りを楽しみながら舌つづむ。
「はぁ〜、あの方に褒めていただきたいものですわ…」
思い人へ願いを込めるサファイア。外はすでに日が落ち始め、屋敷の主人達が続々と帰路に立っていた。
そんな主人達に、今日も彼女は最高の笑顔で出迎える。そんな彼女に、疲れの色は全く無かった。
同日。
ノルン王国外部、阿頼耶識第二支部にて。
「聞け!!近日執り行われる剣技大会にて、ネームには名を、半ネームドには屋敷へのお召し上げが与えられる!」
「否!我々は屋敷のネームド達を倒し、あの方へのさらなる忠誠を誓うのだ!」
『おおっ!!』
阿頼耶識第二支部。別名を阿頼耶識養成所と呼ばれるこの場所では、阿頼耶識の育成や教育などを行い、年に一度、成績優秀者を集め、現ネームド達への挑戦と称した剣技大会を取り行っている。
そんな第二支部へ今、各地より集められた名を持たない者、仮の名を与えられた者達が一同に集結していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます