第5話

 ――翌日、午前八時。


 洗面所で顔を洗い、まだ残っている眠気をぶっ飛ばす。

 昨日、包帯男による世界変革のせいで、おちおち熟睡することができなかった。

 いつこの家にも、モンスターの襲撃があるか分からないからだ。


 俺だけならまだしも、ひまるを狙われる恐れがある以上は警戒しておく必要があった。

 それに俺に宿った不可思議な力――《スペルカード》についても、いろいろ試行錯誤をして使いこなせるように時間を費やしていたのである。

 そのお蔭で、大分このスキルのことが分かった。やはりこの《スペルカード》は、とてつもない可能性に満ちた能力である。


 魔法が欲しいと願っていた俺だったが、ある意味魔法そのものというか、魔法を超越した〝ナニカ〟だと実感した。


「……にぃやん……はよぉ」


 ピンク色のパジャマを着たひまるが、目を擦りながら洗面所へとやって来た。早く洗顔と歯磨きをするように指示を出す。

 まだ水道は止まっていないようだが、電気とガスが止まってしまっていることには昨日気づいた。


 またテレビをつけても何も映らず、ネットを利用しようにも繋がらないという状況だ。情報収集能力が著しく劣化してしまっている。

 現代社会にとって、最早天文学的な被害総額が出ていることだろう。


 国を動かしている政治家だって、全員が無事なわけがない。恐らくはあの大型モニターがあった広場のような惨劇が行われている可能性だってある。

 すぐに自衛隊や警察が動いたとしても、彼らも被害者に相当するだろうし、日本は……世界中は大パニックだろう。


 包帯男は世界の変革と言っていた。それはこの街だけじゃなく、世界そのもの……つまり世界中で、〝イセカイウィルス〟とやらを散布したことが理解できる。

 どうやって? そんなことは分からないが、何故か世界中でパンデミックのような事態が起きているのは間違いないと思う。


 もし俺にスキルという力が備わっていなかったら信じられなかったかもしれない。

 しかし強大な力であるスキルを、『新人種』が得たというなら、それを覚醒させたであろう包帯男もまた、それと同等以上の力を持っているはず。 


 なら理論的に不可能、あるいは物理法則を無視した手法で、世界中にウィルスを撒いたとしても頷けてしまう。

 ただ包帯男――アーザっていったか、奴の真意がいまだ掴めてはいないが。


「にぃやん! おなかへったぁ!」


 スッキリした顔をしたひまるが俺のもとへ駆けつけてきた。


「ちょっと待ってな。今朝ご飯の支度すっから」


 とはいっても、電気とガスが使えないのであれば、調理方法が限られてくる。

 ただガス栓を捻ってガスを得られなくても、ポケットガスコンロとガスボンベを利用すれば大丈夫だ。


 俺は調理台の下に収納していたガスコンロとガスボンベを取り出して、テーブルの上に設置する。

 その上にフライパンを置き調理を開始した。


「にぃやん、なにつくゆの?」

「ひまるが大好きなフレンチトーストだ」

「フレトー! ほんと! フレトーつくってくえゆの!?」


 ひまるはフレンチトーストが大好物なのだ。フレトーと略称を作るほどに。


「ほら、作ってやるからちゃんと着替えてきな」

「はーい!」


 嬉しそうにトテトテと急ぎ足でリビングに向かい、そこに俺が用意してある着替えを前にパジャマを脱ぎ始めた。

 少し前まではまだ一人で着替えられなかったら、今では時間はかかるもののボタンがある服も着替えられるようになった。


 これを親父が知ったら泣いて絶賛しそうだな。

 さすがは我が家の天使だーっ、とか言いながら。


 ……そういや親父は無事だろうか。昨日も気になってスマホで連絡しようとしたが、結局電波が通じずに連絡ができなかった。

 親父は結構有名な出版会社に勤める編集者をしている。二日前に、仕事で地方へと向かってしまい、そこから今日まで音沙汰はない。


 豪放磊落という言葉がしっくりくるような親父なので、もしモンスターになっていなかったらきっと無事に生きてくれていると思う。そう……願いたい。

 ちなみにお袋はいない。ひまるが生まれてすぐに病気で死んでしまったから。元々身体があまり丈夫じゃない人で、子供も一人生むことができたら奇跡とまで言われていた。


 しかし俺だけじゃなく、ひまるまで生んでくれて俺は感謝している。亡くなってしまったのは悲しいが、代わりに愛しい妹を遺してくれたことが嬉しい。

 だからこそ死んだお袋のためにも、ひまるを失うわけにはいかないのだ。


 着替え終わったのか、水色のワンピースを着たひまるがやってきて、「テレビ、みれないー!」と文句を言ってきた。いつも見ているアニメでも観たかったのだろう。

 どうしようもないことなので、一応ひまるにはテレビが壊れたということにしておいた。


 俺はフレンチトーストとコーンポタージュ、そしてサラダをテーブルの上に用意し終えると、ひまると一緒に朝食を取り始める。


「ひまる、ミニトマトも食べな」

「むぅ……やっ!」

「やっ、じゃなくてな……」

「だってぇ……ぐちゅってしてるぅ」


 まあ俺も小さい頃は苦手だったが、やっぱりひまるもその道を通るようだ。


「ちゃんと食べたら明日もフレトーを作ってやるぞ?」

「! …………たべる」


 この子にとってフレトーは絶対ワードだ。ちょいちょい都合の悪い時に使わせてもらっている。

 朝食を終えると、ひまるは玩具のピアノで遊び始めた。


 家にはグランドピアノが置かれている。それはお袋の形見……だ。

 仕事は作家をしていた母さんだが、小さい頃からピアノを習っていたらしく、俺が生まれた時にはすでに家の中に存在した。


 そのせいか、俺も拙いながらも少しくらい弾ける。プロ並みのお袋と比べると、才能の欠片もない遊びみたいなものだが。

 そしてひまるが生まれる前にも、今あの子が遊んでいるピアノを購入しておき、いつでもプレゼントできるようにしていたのだ。


 きっとお袋、俺やひまるにピアニストになってほしかったんだろうなぁ。


 実はお袋は、若い頃はかなり名の知れたプロのピアニストだったらしい。CDだって幾つか世に出している。

 でも二十歳の時に事故で指を怪我して、それがきっかけでピアニストを止めた。何でもその時に親父と出会ったらしい。


 お袋は俺にピアノを強要したりはしなかったけど、内心では多分音楽の道に進んでほしかったのではないだろうか。

 俺がピアノを弾いていたり歌を歌っている姿を見るのが何よりも好きだったようだから。


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