第16話 予期せぬ出会い
コロッセオ地下。待合室。
赤いソファに腰かけるのは二人。
黒スーツ姿のラウラと、白い修道服を着た女。
「英雄、ね……。具体的には何をやってのけたんだ?」
隣に座る女に聞き返すのは、ラウラ。
ジルダは、白教の内部分裂を止めた英雄。
という、にわかには信じられない話を掘り下げる。
(どうせ精神的支柱になった、とかそんなんだろうな)
そう予想しつつも、現白教徒の解像度が高い回答を待った。
「一騎当千! 天下無双!! 獅子奮迅!!! 争い合う教徒を拳一つでばったばったとなぎ倒し、内乱をたった一人でお治めになられました! その勇ましい姿たるや。……あぁ、思い出しただけで、身震いが止まりません」
しかし、興奮気味に返ってきたのは、解像度以前の話。
(おいおい……。あいつ、肩パン一発でノックアウトしたんだぞ)
今まで見聞きしたイメージと全くの真逆だった。一体、どうなってやがる。
「待て……。本当にそれ、あのジルダの話か? 人違いじゃねぇだろうな」
当然、いっちゃん最初に考えるのは、同姓同名の人違いの線だ。
あんな妄言を素直に「はいそうですか」って受け入れる方がどうかしてる。
「……あのあのぅ、それってジルダ様のこと馬鹿にしちゃったりしてますか?」
ただ、それが気に食わなかったのか、女はピキりながら尋ねてくる。
推しを馬鹿にされたと勝手に思い込んで、相当、頭にきてるみてぇだな。
地雷を踏みでもすりゃあ一発アウト。即、喧嘩に発展してもおかしくねぇ状況。
「僕はあいつの可愛らしい姿しか見てねぇからよ。ギャップに驚いちまったんだ」
そんな限界オタクの取り扱いも、もちろん心得ているつもりだ。
下げる発言は抑えて、上げる部分だけを抜き出して、それを出力する。
それで十分なはずだ。話し合いってのは、相手に合わせるのが重要だからな。
「……ふ、ふひひっ。ジルダ様の尊さをよく分かっていらっしゃる」
ほらな。気持ち悪い笑みを浮かべ、ぶひってやがる。
正直、喧嘩になろうがならまいが、この際どうでもいい。
「ついでによ、その『尊さ』について、もっと詳しく教えてはくれねぇか」
それより、他に聞いておきたいことが山ほどあった。
特に聞きたいのは、見てくれとはかけ離れた強さについてだ。
「えぇ、えぇ。そんなもんいくらでも――」
女は手をこねこねさせ、得意げに語ろうとしている。
(……ん? なんだ、あいつ)
話に耳を傾けようとすると、背後には人影。
それが妙に気になって、視線はそっちへ自然と向く。
そこにいたのは、一人の黒いバーテン服を着た男性だった。
身長は高く、髪は灰色でオールバック、肌は褐色、左頬には刃物傷。
体の軸が全くブレねぇ歩き方をしていて、後ろの廊下を横切ろうとしている。
(通行人、だよな。……でもなんだ、この違和感は。気になって目が離せねぇ)
ただの大会参加者。ただの通行人。そう考えればいい。
それなのに、本能が『あいつはやべぇ』と警鐘を鳴らしていた。
「――」
そう思っていると、男はぴたりと足を止める。
なんだか、嫌な予感がした。根拠はねぇ。ただの勘だ。
(頼む……こっち、見んじゃねぇ……)
そんな思いとは裏腹に、男は首をこちらに向ける。
まだ、分からねぇ。辺りを見回してるだけかもしれねぇ。
ともかく、目が合わなけりゃセーフだ。それで何事もなく終わる。
――そう思ってたのに。
「……」
目が合っちまった。刃物のように鋭い黒の眼差しと。
(……逃げ、ねぇと)
ぶわっと鳥肌が立ち、全身には寒気が走った。
同時に、体は無意識的に立ち上がり、逃げの態勢に入っていく。
理由なんてねぇ。ただ、ここにいるのは、やばい。そう体が訴えかけていた。
「……」
すると、男はこちらを見て、にやりと笑った。
馬鹿にしてんのか、見下してんのかは分からねぇ。
(……こいつ、一体、なんのつもりで)
ただ、逃げることを忘れ、頭は振り向いた理由を模索する。
逆恨みされたか。顔の覚えてねぇ知り合いか。元マフィアか。
色んな可能性が瞬時に巡っていく。だが、どれもピンとこねぇ。
「面白そうな話をしていますね。私も混ぜてもらいますか?」
すると、男は何の気なく、そう言った。
(……なんだ、そういう理由かよ)
なんでもない理由だった。話が気になった、ただそれだけだ。
そう思えば、体の緊張感は一気に解け、落ち着きを取り戻していく。
「……なんですか、あなた。よそ者はお呼びじゃないので帰ってもらえます?」
すると、白教の女は後ろを振り返り、怪訝な顔をして、そう語る。
まぁ、普通に考えたらそうなるわな。ちょい塩対応のような気がしたが。
「……ふむ。残念です。もう少し、丁重に扱いたかったのですが」
「丁重に扱う? なんか、セクハラっぽいのでやめてもらっても――」
男の軽口に、白教女が突っかかる。なんでもない日常の光景だった。
だが、次の瞬間。あっけなく、目の前に広がっていた日常は、崩壊した。
男の体から溢れ出した。廊下中を覆うほどの、禍々しい黒いセンスによって。
「……っ!!?」
全身の毛穴が開き、体は一気に冷え込んでいく。
まるで、裸のまま極寒の地に放り出されたような感覚。
さっきとは、比べもんにならねぇ冷気。震えが止まらなくなった。
(なんつぅ、センスの量だ……。人間なのか、こいつは……)
ラウラの体からは白いセンスが溢れ出し、そう思考を重ねる。
落ち着いて思考できてる理由は、とっさにセンスで体を守ったから。
もし、なんの対策もなく、直接、あの黒いセンスに触れでもしたら、恐らく。
「――っっっ!!」
泡を吹いてぶっ倒れる。横にいた白教の女みてぇにな。
生身でこれなら、センスで守ったところで、無事じゃ済まねぇ。
センスの差が桁違いすぎる。そう考えていると、早速、体に影響が出始めた。
(……息が、できねぇ)
肺を両手でぎゅっと握られたみてぇな圧迫感が体を襲う。
名前を問いただすことも、まともに戦うこともできねぇ状態。
もし、気取られでもしたら確実に殺される。そんな予感があった。
(……せめて、平気なように見せねぇと)
微動だにできないまま、ラウラは相手を睨みつける。
それがせめてもの抵抗。それが今できる最大限の強がりだった。
「あぁ、自己紹介がまだでしたね。私はジェノ・マランツァーノと申します」
睨んだ効果があったのか、強がりだって見抜いてるのかは分からねぇ。
ただ、男は禍々しいセンスを引っ込め、恭しく一礼し、自己紹介を始めた。
「……はぁ、はぁ」
おかげで息ができるようになり、静かに空気を吸い込む。
供給された酸素が脳を巡ると、今、起きた事態を遅れて把握した。
(……ジェノ・マランツァーノだと!?)
ほっと息をつく暇もないまま、男の口から明かされた情報。
とても偶然とは思えない、皮肉めいた因縁を感じるものだった。
「名前なんてどうでもいい……。一体、なんの用だ」
頭ん中がごちゃごちゃになりながら、出てきたのは、そんな一言。
もっと気の利いた返しでもできりゃあ良かったが、今はこれが限界だ。
相手の出方と、理由によっては、殺し合いになるかもしれねぇんだからな。
「順当に行けば、あなた方と準決勝で当たるチームの者でしてね。ご挨拶でもと」
こっちの気を知ってか知らずか、語るのはしょうもない理由。
(ご挨拶、だと……。殺す気だったじゃねぇか……っ!)
そう切れ散らかしたいところだったが、これ以上の面倒はごめんだ。
「……さっさと帰れ。歓談を邪魔されて、こっちは気ぃ損ねてんだ」
怒りをぐっと堪え、ラウラは言い放つ。
穏便に済むなら、それに越したことはねぇからな。
「そうさせてもらいます。これ以上、後ろの方々を刺激できませんから」
不意に男は後ろを振り返る。
そこには、控室にいた選手たちがいた。
センスむき出しで、全員が臨戦態勢に入ってやがる。
すぐに男は両手を上げて、戦う気がないことをアピールしていた。
(あんな劇物を触れたら、ああなるよな。……おかげで命拾いした、か)
起きた出来事を分析し、ラウラは状況を受け止める。
何はともあれ、助かった。それだけは、確かみてぇだ。
「では、そういうわけで、失礼させてもらいますね。ラウラ・ルチアーノさん」
すると、男はこちらを一瞥しながらそう語り、この場を去ろうとしている。
(無言で見送るのが筋、だろうな。これ以上のトラブルは御免だしよ)
変に刺激するような声をかければ、また厄介なことが起こる気がした。
何事もなく終えるなら、何もしないのが無難。声をかけないのが鉄板だ。
「……試合以外で、二度とその面見せんじゃねぇぞ」
そう思ってんのに、心情とは反対の台詞を吐いちまった。
我慢できなくなったんだ。こいつの面は二度と見たくねぇからな。
トラブルになったら、そん時はそん時だ。廊下で大乱闘が始まるだけだからな。
「もちろんです。次は三回戦。準決勝の武舞台でケリをつけましょう」
すると、男は一言だけ添えて、悠々と歩き出す。
どうやら、このまま大人しく帰ってくれるみてぇだ。
ただ、その去り際に見せた横顔は、どことなく寂しげだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます