第9話 あの鐘を鳴らすのはお前
サンマルコ広場中央。
向き合うのは、ジャコモとラウラ。
背後には、時計塔。頂上には青銅色の鐘楼がある。
(あーほんと楽。単細胞の間抜けほど、御しやすい相手はないわ)
ジャコモは冷静に状況を受け止め、思考する。
怒りをわめき散らす獣。ラウラを見つめながら。
(なーにが、あの鐘楼にどたまぶつけてやる、だ。無理に決まってんだろ)
思い出すのは、目の前の獣が発した、無謀にもほどがある宣言。
時計塔の高さは約100メートル。その頂上にある鐘楼に人体をぶつける。
冗談にしても現実味がなさすぎる。野球ボールをバットで打っても至難の業だ。
(こんな口だけの馬鹿にはなりたくないね。さっさとご退場してもらいますか)
ジャコモが手をかけるのは、頭上の黒いシルクハット。
その帽子のツバには、重さ10キロほどの合金が仕込まれている。
そこに意思の力。センスを乗せれば、重さ以上のとんでもない火力が出る。
(当たれば地獄。避けても地獄)
ハットの下側にあるメリケンサック状の持ち手に指を通す。
込めるのは赤色のセンス。これで準備は万端。いつでも投げられる状態。
「――――」
狙いは、正面に迫る、怒りで我を忘れた珍獣。
直線距離は3メートルほど。外す方が難しい状況。
(――さぁ、踊り狂え!!!)
「
ジャコモは勢いよくシルクハットを投げ放つ。
キリキリと音を立てながら、ハットはラウラの元へ迫った。
(速度とセンスが加わって重さは数十倍増し。……どう出る、珍獣)
その一挙手一投足を見逃すまいと、ジャコモは敵の出方をうかがった。
「…………」
本能で察したのかラウラは地面を横に蹴り、迫るハットを避ける。
怒り狂う割には、合理的な選択。本来なら、空振って終わりの投擲物。
しかし、ジャコモが扱っているのは、重いだけのシルクハットではなかった。
(本能で回避ね。……だから、どうしたってところ、だ)
冷静にジャコモが握り込むのは、右手の中指。
仕込まれた糸がピンと張り、ハットは空中で一時停止。
ヨーヨーと同じ要領で回転したままスリープ状態になっていた。
当然、回転する重さ10キロ程度あるものが、右腕にのしかかってくる。
(軽くして正解だったな。重いと操作性と精度が落ちる)
全て想定済みの事態。ジャコモは重さをもろともせず、腕を振るう。
すると、糸が鞭のようにしなり、ハットは避けたラウラの背中を追った。
(仕込んだのは合金だけじゃないってね。糸とメリケンで操作は思いのままよ)
避けても受けても変わらない。当たるまでは止まらない。
せいぜい踊り狂え。避けきれなくなったら時が、運の尽きだ。
「――、――、――――」
ラウラは、縦横無尽に避ける。避ける。避ける。
その度にジャコモが操るハットは追う。追う。追い続ける。
(思ったよりしつこいな。ひと思いに決めてやるか)
そう思考するジャコモは右手の人差し指を軽く引いた。
すると、伸びていた糸が引き寄せられ、ハットが手元に戻ってくる。
「……」
そこに挟まれるような形にラウラはいた。
後方からハットが襲いかかり、前方にはジャコモがいる。
(左右か上。好きな回避方法を選べ)
前後の逃げ道は塞いでいる。回避経路を絞ることで、決めにいける。
――そのはずだった。
「…………」
相手が選んだのは、左右でも上でもない。
(こいつ……正気かっ!?)
ラウラが選んだのはその場にとどまること。
それも、ハットから伸びた糸に向け、拳を構えている。
糸は鋼鉄。耐久性も切断性も高く、安易に触れたなら、手が吹き飛ぶ。
「やめろ、間抜け!! 右手がなくなってもいいのか!!!」
それはなんの裏もない、善意からの忠告だった。
勝ちたいのは山々だが、後味が悪いのは勘弁願いたい。
ただ問題は、助言を聞き入れる理性が、相手にあるかどうかだ。
「――――」
しかし、相手は拳に白いセンスを込めている。
思った通り、理性なんかとっくに蒸発してるらしい。
(……俺は止めてやったからな!)
忠告はした。だが、相手は聞き入れなかった。
ここからは自己責任だ。どうなろうと関係がない。
ジャコモは自分にそう言い聞かせ、糸を手繰り寄せた。
――その時。
「…………」
にやりと笑ったように見えた。
それは一瞬のこと。見間違いかもしれない。
ただ、計画通りと言わんばかりの面が、垣間見えた気がした。
(罠か……? いや、んなわけが)
ここに来て止まるわけがない。
手は緩めず、糸は引かれ続けていく。
敵の背後にはハットが迫り、ヒットは目前。
「……うらぁぁぁッ!!!」
敵は案の定、怒号と共に、拳を振るう。
予想通りの展開。糸に手を切断されて終わりだ。
「……っ!??」
その直後、不可解なことが起こった。
右手のメリケンが物凄い力で引っ張られる。
体は宙に浮き、敵の元へと引き寄せられていった。
(……待て。待て待て待てっ!! 一体、何が起きたっ!?)
気が動転し、起きた状況に理解が追いつかない。
『ヒットを確認。敵に50のダメージ。敵残り体力150』
その状況を解説するのは、アイ。
(敵にダメージ!? ハットが当たったのか?)
解説の意味は理解できたが、状況と内容が噛み合わない。
ハットの直撃を受けたなら、まともに立っていられるはずがない。
それなのに、目の前には拳を構えるラウラの姿。今か今かと待ち受けている。
(そうか。ハットを後ろに殴り飛ばして、俺を……っ!!)
引く力と引く力。それが同時に発生すれば、力が強い方が勝つ。
綱引きと同じ原理だ。相手は力の入れる方向を工夫し、競り勝った。
(本能でやったにしては、上出来すぎる……。いや、こいつ、まさか……)
「歯ぁ、食い縛れよ、新参マフィア!!!」
すぐそばで聞こえてくるのは、理性のある返し。
怒り狂ってる人間がおおよそ発することができない台詞。
(シラフだったのか……っ!!!)
迫るのは、白い光を纏った拳。
ジャコモは、両腕を盾にして防御を選択。
(焦るな。落ち着いてセンスでガードすれば、まだ――)
赤い光を腕に集中させ、完全な受けの姿勢を見せる。
その最中、視界に映ったのは、身の毛がよだつものだった。
名前:【ラウラ・ルチアーノ】
体力:【150/1000】
意思:【1307】
(い、意思、1307……っ!?)
意思の数字は、接敵時のほぼ倍の数値。
迫るのは、今までの倍以上の力が込められた一撃。
「これが……ルチアーノの拳だぁぁぁっ!!!!」
力強く放たれた拳は、顔前に構えた両腕に接触。
バチバチと嫌な音を立て、赤と白の光がせめぎ合う。
腕が盾なら、センスは緩衝材だ。強度が上回れば止まる。
「………………ッッッ!!!」
だが、拳は一向に止まる気配はない。
赤い光が、白い光に少しずつ侵食されていく。
それは、相手の意思がこちらの意思を上回っている証。
膨大なセンスに防御がこじ開けられる中、思い当たることがあった。
(ルチアーノって……まさか……)
そこまで考えた瞬間、拳は両腕に到達。
メリメリと腕に食い込み、骨が軋む音が聞こえた。
直後、スパンと音を立てると、体はたやすく吹き飛んだ。
全身に風が吹き抜け、そのまま一直線に時計塔の方へ迫っていく。
(負けるわけだ……。俺がマフィアを目指したきっかけの……)
痛みはない。代わりに納得と、爽快感すらあった。
「…………っ!!」
直後、ゴーンという音が広場中に響き渡る。
ラウラの宣言通り、ジャコモの頭は鐘楼に激突。
『ヒットとダウンを確認。マスターに100のダメージ。10カウント以内に――』
アイの声が響く中、ジャコモは清々しい顔で意識を失った。
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