第8話 熱戦と接戦
サンマルコ広場中央。
名前:【ジャコモ・ラグーザ】
体力:【1000/1000】
意思:【416】
ラウラの視界には、拳を構えるジャコモ。
その顔の横には、敵の数字が表示されていた。
名前:【ラウラ・ルチアーノ】
体力:【200/1000】
意思:【710】
そして、視界の左上には、自分の数字が目に入る。
(やっぱ、センスだけで見りゃあ相手は格下か。普通の喧嘩ならまず負けねぇけど、問題はゲーム性だよな。被ダメは全部、クリティカル。拳の出だしか、振り終わった後がカウンター判定で、そこを狙い打ちにされてんだろうな)
冷えてきた頭でラウラは状況を分析する。
殴って倒すだけの喧嘩じゃねぇ。これはゲームだ。
相手の体力っつう持ち点を、効率よく削った方が勝っちまう。
(
思考を重ねても、真っ先に浮かぶのは実戦不足。
相手が強いっつーよりかは、身から出た錆ってところか。
ムショに入る前は多少マシだったはずだが、泣き言は意味ねぇわな。
「お前さ、格闘ゲームってやったことあるか?」
場は膠着状態の中、ジャコモは声をかけてくる。
体力をリードしてる分の精神的な余裕ってぇところか。
「子供の頃にちょろっとだけな。それがなんだ」
今は少しでも情報が欲しい。面倒だが、話に乗ってやることにした。
「弱攻撃は発生が早くて威力が低い。強攻撃は発生が遅くて威力が高い。俺が前者で、お前が後者だな。間抜けなお前も、そろそろ気付いてる頃だと思うが、試合のルール上、拳の威力はさして関係ない。重要なのは、弱攻撃とカウンターだ」
すると、ジャコモは、いけしゃあしゃあと講釈を垂れる。
強攻撃だと威力はあるが、ルール上、相手の体力は削りにくい。
一方、弱攻撃なら威力はねぇが、カウンターを狙えて、体力を削りやすい。
(この口振りからすっと、ラッシュモードってやつも、弱攻撃が有効か)
敵の情報と状況から察するに、間違いねぇだろう。
このゲームのコンセプトは、隙をつくことにあるみてぇだな。
「気前いいんだな。……でもよぉ、こっから負けたら、まじでハズいぞ」
「安心しろ。攻略法を敵から教えられて負ける方が、十倍増しでハズいから」
ラウラの軽口に、ジャコモは負けず劣らず煽り返してくる。
負けた言い訳をできない状態にしてから、倒すってところか。
「へぇ……だったら、サービスで後一つだけ、質問に答えるってのはどうだ?」
「あー答えてやってもいいが、もうすでに百倍増しでハズいけど、大丈夫そ?」
それならと、ラウラは図々しく尋ね、ジャコモは煽ってくる。
そのふてぶてしいまでの物言いに、体中の血液がたぎる音がした。
(今すぐ地平線の彼方までぶっ飛ばしやりてぇ……)
反射的に、右手の拳が握り込まれていく。
腕はわなわなと震え、血管は浮き上がっていた。
(でも、我慢だ。あと一回だけ我慢すりゃあいい……)
ただ、こんな安い挑発で、ぶち切れるわけにもいかねぇ。
聞きたいことがあるんだ。それだけ聞けりゃあ、後はなんでもいい。
「一発逆転。……つまり、KOっつう概念はあんのか?」
恥を忍んで、ラウラは尋ねる。
あくまで狙いは重たい一撃。強攻撃。
ここまでくりゃあ、意地みたいなもんだった。
「うわ、まじで聞きやがった。面の皮厚すぎだろ。まぁ、万倍増しにハズいお前に免じて教えてやるよ。ダウンして10カウント以内に起きられないと負けだ。あんなノミ以下のパンチじゃ、俺を倒すどころか、蟻んこ一匹殺せないだろうがなぁ」
プランは決まった。ワンパンでKO。これ一本狙いだ。
それが分かった以上、頭も多少は冷え、煽りも涼しく感じた。
「上等だ。奥の鐘楼にお前のどたまぶつけて、祝砲鳴らしてやんよ」
見えるのは、広場中央にある時計塔。
そのてっぺんにある鐘楼までぶっ飛ばしてやる。
それで、今までの煽りはチャラだ。水に流してやってもいい。
「弱い犬ほどよく吠える。やれるもんならやってみろ、このマフィア崩れが!」
売り言葉に買い言葉。ただの煽り合い。ただの挑発。
気にしなけりゃあいい。適度に怒って、ぶっとばして終わりだ。
そんなの、頭では分かってんだ。でもよぉ、よりによって『それ』なのかよ。
「#◎$×△¥〇&……っ!!!!!!!」
ブチ。と頭の血管が切れる音がした。
割れるような叫びと共に、体が勝手に動き出す。
「……」
待ち受けるのは、ジャコモ。
その口元では薄ら笑いを浮かべていた。
◇◇◇
ラウラの叫び声が辺りにサンマルコ広場全体に響き渡る。
それはジェノとルーチオが行う、抜き打ち勝負の合図となっていた。
名前:【ルーチオ・クアトロ】
体力:【200/1000】
意思:【408】
名前:【ジェノ・アンダーソン】
体力:【200/1000】
意思:【421】
表示されているのは、互いの数字。
体力も意思もほぼ同じ、五分と五分の状況。
クリティカルヒットが出れば、勝負は一発で決する。
(……これで、決める)
冷静にジェノは拳を振りかぶり、相手を見定める。
二人はすでに距離を詰め、至近距離。密着の状態だった。
あとは、相手の隙に出る赤い丸印。そこを的確に突けるかの勝負。
「見えたぁっ!」
先に動いたのはルーチオ。拳は顔面に迫ってくる。
(狙いは顔……。いや、それより、相手の隙は……)
目を凝らし、集中すると見えてくる。
探していたものは、敵の左太ももにあった。
(あれは……っ! なんで、こんな肝心な時に限って……!)
あるのは青い丸印。ラッシュモードのトリガー。
当ててもダメージは50。一発では、勝負は決まらない。
もし、敵の拳が先に命中してしまえば、その時点で負けてしまう。
(いや、落ち着け……。攻撃を避けて、ラッシュで倒せば、チャンスはある!!)
すぐさま考えを切り替えたジェノは、回避に専念。
首を横に傾け、迫るルーチオの拳を最低限の動きで避けようとする。
(避けたらすぐに足元を狙って、それで、それで……)
拳の軌道からして、今の動きで回避はできるはず。
そう見越して、ジェノは攻めに意識を傾けようとしていた。
「――残影拳っ!」
その時、聞こえてきたのは確かにルーチオの声。
(……この感じ、まさか)
嫌な予感がした。落とした視線を上げ、避けた拳を見る。
「――――っ」
すると、目の前には再び拳が迫っていた。
(拳を引いて、また打った? ともかく、早くどうにかしないと……っ!)
避けるか、顔を守るか、拳を振り抜くか。
逡巡する間に、三つの選択肢が頭に駆け巡る。
考える暇はない。迷った時間が、負けに直結する。
「やらせるかっ!!!」
回避も防御も間に合わない。
そこでジェノが取ったのは、攻撃。
負けるリスクを承知の上で、拳を振り抜くことだった。
(……あの時は間に合った。だったら、今度も!!!)
記憶に蘇るのは、帝国で起きた刀と拳の速度勝負。
圧倒的に不利な状況を覆した。その成功体験を拳に乗せる。
先に足へ届き、体勢が崩れれば相手の攻撃が逸れる。その可能性に賭けて。
「「――っ!!」」
鈍い音が広場に鳴り響く。
左足狙いの拳に、確かな手応えはあった。
(嘘、でしょ……)
だけど、相手の体勢は崩れていない。
ルーチオの拳はジェノの頬をしっかり捉えていた。
(俺、負けたの……?)
相手はクリティカルヒット。こっちはヒット。
ダメージトレードで負けてる上に、体力はもう残らない。
呆然とする中、脳内で情報が処理されていき、血の気が引いていく。
『クロスヒットを確認。両者50のダメージ。ラッシュモードに移行します』
その時。唐突に響いたのはアイの機械的な試合のアナウンス。
絶対に聞き逃してはいけない情報。血の巡りが戻っていくのを感じる。
名前:【ルーチオ・クアトロ】
体力:【150/1000】
意思:【408】
名前:【ジェノ・アンダーソン】
体力:【150/1000】
意思:【421】
冷静に視界の端を確認。互いの体力表示を見て、確信する。
(――勝負はまだ終わってないっ!)
状況を理解し、すぐさまルーチオの方へと視線を向ける。
すると、彼は額に冷や汗を浮かべ、はっとした表情を見せている。
その汗が流れ落ちた頃には決着がつく。だって、今は互いにラッシュモード。
(先に三発打ち込めた方が、勝つ!!!)
状況を理解したタイミングは、ほぼ同じ。
ごくりと息を呑む音と、息を吸う音が聞こえた。
――そして。
「負けられっかぁぁぁあああっ!!」
「速さ比べならぁぁぁあああっ!!」
二人は同時に叫び、拳を構え、放つ。放つ。放つ。
型も流派もない素手喧嘩。相手より多く殴れば勝つ、手数勝負。
ルーチオの額からは汗が流れ落ち、その数瞬のうちに、無数の拳が放たれる。
「「はぁ……はぁ……」」
汗が地面にぽとりと流れ落ちた。
二人は、示し合わせたかのように手を止める。
ダウンはない。勝負は持ち越し。公平な機械による判定待ち。
『ラッシュヒットを複数回確認。ダメージ処理を行います』
当然、響くのは勝敗を決める審判。アイの声。
不気味なほどの沈黙が支配する中、二人は結果を待つ。
(どっちだ……。どっちが勝ったんだ……)
荒くなった呼吸を整えながら、ジェノは耳を傾ける。
手応えはあった。でも、相手にも同じぐらい殴られた気がする。
それも、確実に決着がつくほどの手数。三発以上の攻防は、間違いなくあった。
(全力は出し切った。負けても後悔はない。だけど……)
爽快な気分と、不安な気分がごちゃ混ぜになったような感じだった。
やり切ってスッキリはしてるし、負けを受け入れられる覚悟も当然ある。
だけど、心がもやもやする。だって、ここは勝ち負けだけで全てが決まる世界。
(――勝ちたい!!!)
心の底にある純粋な願望を素直に受け止め、ジェノは結果を待った。
『マスターに100のダメージ。敵に150のダメージ。敵の残り体力は0』
不気味なほど静まり返った沈黙の間に、アイのアナウンスが流れる。
(それって、つまり……っ!!)
その意味を理解し、心は一足先に浮足立つ。
だって、敵の体力が先に0になったってことは。
『――よってマスターの勝利です』
公平で公正な審判による客観的な裁定。
「……くぅぅ、やったぁ!!!」
込み上げてくる嬉しさが、言葉と全身に溢れ出す。
ストリートキング初戦。ジェノは接戦を制し、見事勝利を収めた。
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