第3話 <錬金術師>としての運命

「イ、イギャーーーーー!!!」

 威嚇とも思える少女の叫び声が森に響く。

 叫び声はファイの居る洞窟にも木霊した。

 何事か。ファイは実験の手を止める。

 ここは森の奥深くにある洞窟。

 ファイが近辺で人を見かけたことは殆どなかった。


「こんなところまで人が?・・・今の叫び声だったような。もしかして、魔物?」

 ファイは軽く荷をまとめて洞窟から顔を出す。

「イヤーーーーー!!!誰かーーーー!!!」

 確かに悲鳴だった。それにおそらく助けを求める。

 ファイは重心こそ前に傾くが足を踏み出せない。

 <錬金術師>とは戦闘職ではない。

 その<錬金術師>としても実力不足。

 ファイは自分の無力さに気が揉める。

 足が震えて視界が揺らぐ。


 昨日今日の出来事で自分を変えられると楽観視していた。

 自分が変われば環境も変わる。

 そう思い、あの日ギルドを飛び出したのに。

 最初に行ったのはいつもと同じ実験。

 ファイは薄々、これでは今まで通りだと感じていた。

 だからこそ、一歩踏み出せない自分に対して、無性に腹が立つ。


「あーー!やるんだ!やると決めたんだ!!こんなとこで何をしてるんだよ。僕はこの2年間でこんなにも臆病になっていたのか。行かなきゃ。助けないと!何ができるかなんて関係ないだろ!!!」

 ファイは自問自答するように声を張り上げた。

 思い切り2発、震える足を殴る。

 そして、勇気で恐怖を掻き消して走り出した。悲鳴の方へ。


 悲鳴はそう遠くなかった。

 ファイは走り出してすぐに人影を捉える。

「やっぱり魔物か。どうしてこんなところに」

 最初に、ファイの目を奪ったのは少女ではなく魔物だった。

 少女は逃走中。

 後を追うのは、大口を開けてダラダラと涎を落とすロッシュリザード。

 岩石の鱗を纏った巨大なトカゲ。


 ロッシュリザードは手練の冒険者でも、手を焼くほどの防御力を誇る。

 そのため大人数での長時間の討伐が一般的。

 ソロでの討伐は困難だが、俊敏さに欠けるため逃げ延びれば良い。

 ただ、少女は今にも追いつかれそうだ。

 まずい・・・遠目でもわかるほど少女は疲弊している。


「うん。この場所からなら助けられる」

 ファイは少女との位置関係に光明を見出す。

 斜面の下側にいる少女と上側の自分。

「まだ諦めないで!助けるから!今すぐ行くから!!」

 ファイは声を張り上げた。

 自分を奮い立たせるためでもある。

 樹木から垂れた蔓を掴み、少女を目掛けて飛び降りる。


 少女は朦朧とする意識のなか後悔していた。

(視察団から離れなければよかった。その前にダンジョンに同行するなんて言わなければよかったわ。それに早く助けを求めればよかった。まだやるべきことがあるのに。もうどれくらい走っただろう。ここはどこなんだろう。深緑の森。あんなに叫んだのに、何も反応がないなんて。人の気配がない。全くない。さっきまでは叫べていたのに。今は叫ぶ気力もないわ。こんなところで死にたくない。これは孤独死になるのでしょうか。静かな森で一人、魔物に食される。こんな結末、最悪だわ。さようなら・・・伯母様・・・)


 少女は気持ちが切れる直前だった。もういっその事、足を止めようか。

「まだ諦ーーーーー助けるーーー今すぐーーから!!」

 少女に声が届く。

 何を言っているのかわからなかった。

 ただ、人の声であることは確かだ。

 少女は虚ろな瞳で声の方を見上げた。

 すると、猛獣のような唸り声を出しながら、真っ黒な何かが落下している。


 ファイは怯えていた。

 高かったから。意外と速かったから。蔓をそれほど信用していなかったから。

 情けない声を出しながら少女に向かって一直線。

 近づくに連れて少女の姿が鮮明に目に入る。

 やっぱりとファイは腑に落ちる。

 少女は足を怪我していた。

 ただ、どこか庇うような不自然さは感じない。

 日頃の鍛錬か、振り絞った胆力か。

 少女の走る姿は綺麗だった。否、走る姿に限らず美しい。

 清らかな川に浮かぶ一輪の牡丹のように優美な少女だ。

 もう、魔物など意識から外れている。

 などとゆっくり見惚れている暇はある筈もなく。


「さぁ!!手を!!」

 少女との距離はあと僅か。ファイは一心に手を伸ばす。

 少女も呼応するように腕を投げ出す。

 気が緩んだのか少女はドサッと足がもつれる。

 手が届かない・・・このままでは。

 ファイは今一度、歯を食いしばる。

 膝に蔓を挟み込み両手で少女を掬い上げる。

 それはそれはアクロバティックに。

 間一髪。

 ファイの顔面にロッシュリザードの鼻息が掛かった。

 スイングの勢いのままにファイ達はロッシュリザードを随分と引き離す。


 ファイは少し安堵していた。

 地に足がついているから。少女を掬い上げられたから。思った以上に蔓がなんとも頼もしい存在だったから。

 ファイは少女を背負って全力で走る。

 まだロッシュリザードから逃げ切れたわけではない。

 随分離れたとは言ってもズシンズシンと地鳴りは威圧感を増している。


「あ・・・ありがとうございます」

 少女は焦げ臭い背中に向けて、掠れた声で感謝を伝える。

 少女の全身にゆっくりと熱が戻っていく。

「いえ、遅れてすみませんでした」

 ファイは謝った。

 躊躇した数秒間を千代に感じていたから。

 助けに行かないという選択肢が過ったから。

 実際、ファイがより早く動いていれば、もう少し余裕が生まれただろう。

 そうとわかっているファイは、反省の意味を込めて謝った。


 少女からすれば意味不明の返答だった。

 彼は何を謝っているのか。

 危険に踏み込んでまで他人の命を救っているのに。

 よくよく見れば自分と同世代の少年。

 背中もまだまだ頼りない、煤まみれで真っ黒な少年。

 ピンチに現れたのは勇者や王子様ではなかった。

 妄想の頼もしい彼らとは違い、現実の頼りない少年。

 ただ、その少年の荒い息遣いと温かい体温に少女は心が緩む。

 そして、改めてありがとうと呟いた。


 ファイはこの森に精通している自負があった。

 2年間も通い詰めたからわかる街道への最短距離を行く。

 それでも緊張感が体を蝕む。

 ここは森の奥深く。街道に出るまでは結構な距離がある。

 何より少女を背負って疾走できるほど、ファイの体は鍛え抜かれていない。

 今はロッシュリザードと一定の距離を保っている。

 それも時間の問題。


 もうどれくらい走っただろう。

 川を超え丘を超え、ジワリジワリと距離が詰まっていく。

 ファイは一心不乱に走る。

 呼吸の仕方を忘れるほどに。

 ミキミキミキと木が倒れる音が背中に刺さる。近い。

 少し首を撚るとロッシュリザードが視界に入る。まずい。

 目の前で獲物を逃したからか、先程より凶悪な顔面をしている。怖い。


「私のせいで、申し訳ございません。本当に、本当に・・・私が自分で走れていれば・・・」

 いくらか回復した少女は困窮した状況を理解していた。

 一度助けられた上で、まだ足手まといな自分。

 少女は自傷するかのように深く謝った。

「い、ヒィ・・・そん、ハァ・・・」

 気の利いた返しができないくらいにファイは限界だった。

 このペースでは確実に追いつかれる。街道はまだ見えない。どうすれば・・・


「それって・・・もしかして回復薬でしょうか?」

 ファイは少女の一言にハッとする。

 少女が目にしたのはファイの肩掛けカバンからチラリと顔を出す黄金色の溶液。

 先程のヤケ実験で変質した溶液。

 ファイは失敗の反応が出ないその溶液をカバンに入れていた。

 それは最後まで反応が無いか確認したいから。

 それに、もしかしてと期待も込めて。


 とにかく走ることに精一杯でここまで忘れていた。

 そして今、少女が口に出したことで悩みの種となる。

(ここまで反応が無いなら成功してるのではないか。いや、今まで1度も成功していないのだから、そんな訳はない。もし成功した回復薬なら少女に飲んでもらえば。待て待て、反応に遅延が生じることはこれまでもあった。でも、こんなにも長時間無いのは初めて。この黄金色の溶液は何だ・・・駄目だ駄目だ。走っているせいで頭に血が巡っていない。これは正常な判断じゃない)


 ファイの思考は樹海を彷徨う。

 先程までとは違った質の汗を流すファイを見て、少女は何かを察する。

「なにか訳があるのですね。回復薬ではない、もしくは分からないのでしょうか。それとも今使ってはいけないとか」

 ファイの意識が自分へ向いていることを確認して少女は続けた。

「もし良ければその回復薬を私に譲って頂けないでしょうか。厚かましいことは重々承知しております。それでも・・・生き延びる可能性があるのなら、私は諦めたくないのです!」

 少女の声は潔く力強い。


 ファイは樹海の中、天まで伸びる千年杉を見つけた気分だった。

 このまま走るだけでは先がないことはわかっている。

 だったら、自分の<錬金術師>としての可能性に賭けても良いのではないか。

 今日が<錬金術師>として運命の日なのではないか。

 ファイは少女の気持ちに後押しされて自分を信じることにした。

 ロッシュリザードとの距離は丘一つ分はある。


 ファイは木に飛び乗って深く呼吸した。

 今から自分は滅多なことを口走ろうとしている。

 フィアは震えた手でカバンから黄金色の溶液を取り出す。

「わかりました。ただ一つ。聞いて判断してください。僕は失敗続きの<錬金術師>なんです。今まで1度も回復薬を作れたことがないんです。それに失敗作はいつも、なんというか・・・ドカンと飛び散る感じで・・・とにかく危険なんです。だから、これが失敗作か成功した回復薬か僕にはわかりません」


 少女はポカンとした表情でファイの話を聞く。

 それから黄金色の溶液を見つめる。

 目の前にあるのはどう見ても初級の回復薬だ。色も臭いも。

 そして、目の前の少年は自ら<錬金術師>と名乗った。

 それはこの溶液が回復薬である確証ではないのか。

 少女は不思議だった。


 世の中に出回るのは成功した回復薬のみ。

 失敗作を見た者はいない。

 そもそも<錬金術師>が失敗するなんて聞いたことがない。

 少女はファイの訴えが謎だった。

 ファイの失敗する姿を生で見ていないのだから、言葉だけで伝わる筈がなかった。

「私から見ればこれは初級の回復薬にしか思えませんが・・・何より、私の気持ちは変わりません。回復薬である可能性があるなら、どうか宜しくお願い致します」

 ファイは何だかもどかしかった。

 包み隠さず伝えたはずが伝わっていない気がしたから。


 少女は真っ直ぐ自分を見つめている。

 ファイはここで初めて少女と向かい合うことになる。

 淡い桃色の長髪に澄んだ海を思わせる瞳、誰しもが筆を取ってしまうほどに整った目鼻立ち。

 王族のような気品を漂わせる麗しい少女だった。

 ファイは自分を見つめる少女に吸い込まれるように見惚れる。

 その時間を切り裂くように木が揺れる。

 ロッシュリザードはもうそこにいる。


 もう考えている余裕はない。

 ファイは足を止めたときに覚悟を決めていた。

 わかりましたとだけ伝えて少女に黄金色の溶液を手渡した。

 少女は快く受け取り、フラスコの栓を抜く。

 ファイは片時も見逃すまいと目をカッと開く。

 フラスコが少女の唇に触れる。


 ファイは緊張からか全てがスローモーションに見えた。

 だからこそ、認識した。

 フラスコに滴る雫に。

(結露している?溶液がキンキンに冷えているのか?何故だ・・・)

 水滴が徐々に霜に変化していく。

(これは・・・間違いなく反応だ!!!)

 ファイは死物狂いで少女の手からフラスコを投げ飛ばした。

 

 刹那。

 

 フラスコはいつにも増して弾け飛んだ。

 ドゴンと地割れのような轟音が大気を震わす。

 数多の大蛇が放たれたように炎が吹き出す。

 そして、二人は吹き飛ばされていた。


 吹き飛ばされたが衝撃はそれほどなかったようで、二人の意識ははっきりしてる。

 そして、ファイは自分が犯したことへの恐怖に息が止まる。

 死神の恐ろしい両腕に首を絞められるように。

 (やはり、失敗作だった。失敗作しか作れないんだ。それに・・・少女に飲ませようとしてしまった。僕は取り返しがつかないことを・・・)


 どんな言葉で謝罪すればいいか定まらないファイ。

 怯えているであろう少女の方を向く。

 すると少女は怯えてはおらず、驚愕した表情だった。

 否、大して違いはないなと落ち込むファイに、少女は一点を指差した。

「あ・・・あれ・・・あなたの力なの?」

 指の先には、上半身が消失したロッシュリザードの死骸が転がっていた。

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