第2話 ヤケ実験

 この日、アイル王国の第二都市アセンブルはこれまでにない喧騒に包まれていた。

 貴婦人はより一層厚化粧。

 冒険者は安全な町中なのに完全武装。

 露店には普段お目にかかれない骨董品や手の込んだ料理が並ぶ。

 お祭り騒ぎのようだが緊張感も帯びた活気に、春の陽射しが後押しする

 

 事の始まりは一通の手紙だった。

 まだ早朝は肌寒かった1週間前。

 このアセンブルを治めるチャールズ公爵宛に国王直筆の手紙が届いた。

 手紙の内容は例年と同様で、春頃に来訪する視察団の知らせ。

 ただ、追伸に書き足されていたのは”今回は王女も同行するのでよろしく頼んだ”という非現実的な一文。

 公爵の全身から脂汗が吹き出した。


 王女は今まで一度も王都を出たことがない箱入り娘。

 公の場にもほとんど顔を出したことがない。

 そんな王女が馬車で4日は掛かるアセンブルに来訪する。

 そして、視察団と一緒に数日間滞在するということは大事件だ。


 視察団とは都市の状況を把握することが目的。

 公爵はこれまで特に優遇することなく、飾らず隠さず普段通りで迎え入れていた。

 しかし、王女が同行するとなると話が違う。

 公爵は早急に協議会を開いた。

 今回に限っては艶やかに飾り、不敬なものは包み隠すべきだろうと結論を出した。  


 そして、王女という特記事項は伏せ、1週間後に王都の貴族や豪商がお忍びでやってくるという情報を漏らした。

 情報は瞬く間に伝播した。公爵の思惑通りにこの日のアセンブルは特別仕様へと変わっている。




 賑わいを見せるアセンブルとは打って変わって、長閑な時間が流れる森。

 ファイは森の中を練り歩く。

 昨日、思考がまとまらないままギルドを飛び出したファイ。

 ああでもないこうでもないと独り言を呟きながら全速力で家に帰った。

 帰宅してから山籠り用具と実験器具という相容れない道具をカバンに詰め込み、すぐさま就寝。

 そして、日の出と共に森へ向かった。

 

 全てはファイが呟いていたヤケ実験のため。

 ヤケ実験とは鬱憤や心労が限界まで溜まった時。

 ファイが行ってきた頭を空っぽにして気を紛らすための実験。

 ヤケになって行う実験という名目の自己防衛。

 ただ、今回のヤケ実験は趣旨が違う。

 メリンダの提案で視野が広がった。

 情報を整理して思考をより明瞭にするため、自分の世界に没頭する時間。

 ファイは数日間、森に籠もるつもりでいた。


 アセンブルに面していて冒険者の出入りが多いこの森。

 モンスターとの遭遇が稀で戦闘職以外の人々にとっても好都合だった。

 なにより、田舎育ちのファイにとって森の探索はお手の物。

 ファイは早朝から森を探索した。

 そして、実験に必要な薬草やキノコ、果実、鉱石などの素材を手広く採取した。


「ふぅ~結構集めた!時期的にイマイチなのもあるけど、これくらいで十分かな」

 夕暮れ時、ファイは満足げに瓶詰めの素材を眺める。

 大方の素材は集め終わった。

 そして、生い茂る草木を掻き分けて、

 森の奥へ奥へと進む。

 目的地は洞窟。


 到着すると手慣れた動きで野営の準備を始める。

 すっかり日が落ちた森。

 深海のように暗く冷たい洞窟の中。

 手元のランタンだけだと頼りない。

 集めていた枝を組み、ランタンから火を移す。

 パチリパチリと音を立て燃え上がり洞窟に光と熱が乱反射する。

 ようやく洞窟がその全貌を現す。

 

 入口は狭いが奥行きがあり、一人には十分な広さ。

 中には木製の机や椅子、簡易的な寝床も配置されている。

 この家具は全てファイが一人で仕立てたもの。

 ファイにとってこの洞窟は野営地であり研究所でもあった。

 ファイの実験には失敗がつきものだ・・・いや、失敗が常駐している。

 だからこそ、いつでもどこでも実験できるわけではない。

 ファイは周りに迷惑を掛けないため、上京して真っ先に森を探索した。

 発見したのがお誂え向きのこの洞窟。

 そして、アセンブルで過ごしてきた2年間は、隙あらばこの洞窟に入り浸って実験に明け暮れていた。


「さてと・・・どの実験から始めようかな~」

 ファイは買っておいた干し肉を齧りながら、分厚い手帳を開く。

 その手帳には、これまで行った実験の計画や手順、結果、考察、それから次に行いたい実験のアイデアが、みっちりと書き込まれている。

 回復薬を錬成できないとわかったのは6歳頃。

 それから毎日欠かさず続けた実験の全て。

 積み重ねた失敗の歴史。

 大人の握り拳より厚い手帳だが、既に後半に差し掛かっている。


「今日は良質な樹液が取れなかったし、こっちは前やった実験の応用だしな・・・う~んと・・・よし!じゃあダイヒク茸とモンブリンの実を使う、このサンプルからやろう!」

 アイデアを吟味し、やる実験を決めたファイは高揚していた。

 鞄に詰め込んでいた実験器具を机に並べる。

 手始めに蒸留水作りに取り掛かる。


<錬金術師>が回復薬を錬成する手順は非常に単純である。

1.素材からエキスを抽出する。

2.数種類のエキスを混ぜ合わせて溶液を作る。

3.<錬金術師>のスキル【錬成アルケミッド】で溶液に反応を引き起こす。

4.あっという間に回復薬の出来上がり!


 勇者の昔話に登場したことで一躍有名になったのが、この手順。

 単純が故に少年少女を魅了してきた。

 <錬金術師>でなくとも幼少期には、自分にその力が秘められているのではないかと誰もが何度も試しただろう。

 もちろん、常人に【錬成アルケミッド】は使えないのだから、反応も何も起こるはずはない。

 牛乳瓶に入れられた不気味な色の液体が放置される光景は、皆共通の幼少期の思い出だった。


 では<錬金術師>にとって、この手順は簡単なのか。

 単純な手順だが素材の善し悪し、エキスの抽出方法や濃度、スキルに使う魔力量などなど回復薬の優劣を決める要素は多い。

 つまり、単純だが奥深い。

 偏に簡単とは言い難い。

 何より、師や教材がない環境で生まれ育ったファイは、独学でこの手順を反芻するしかなかった。

 別の素材で、違う抽出方法で・・・まさに手を変え品を変え、実験をひたすらに続けてきた。


 蒸留水作りを終えたファイは実験を次に進める。

 ダイヒク茸は煮詰めて、モンブリンの実は磨り潰しながら酵素を混ぜていく。

 それぞれの素材にあった方法でエキスを抽出する。

 実験の基盤となるエキスの抽出作業。

 眼差しは真剣そのものだが頬は緩んでいる。


 抽出方法を手帳に書き留めている間に、エキスの元となる液体が出来上がる。

 濾過と濃度の調整を経て、エキスが完成。

 鼻歌交じりに2種類のエキスをフラスコに注ぐ。

 混ぜ合わせれば溶液が完成。

 混ぜ合わせるだけでは何も起こらない液体。

 そのまま放置しても何も起きない液体。

 <錬金術師>でなければ無用な液体。


 ファイは溶液を観察して詳細を手帳に書き起こす。

 色:薄い焦げ茶

 におい:ベリー系の酸味と湿った土が混ざったにおい

 質感:粘度は低くサラサラ

 味:モンブリンの実の酸っぱさを4倍ほど濃くした酸味

 できるだけ簡潔に、清書は後回しでも構わない。


 そして、ここからが実験のメイン。

 ファイは溶液に手をかざして魔力を巡らせる。

 包むように【錬成アルケミッド】と唱えると、手の隙間からホワンと光が漏れる。

 光に照らされたファイの表情はうっとりとした笑顔。

 ファイは実験が好きだった。

 これまで無数に失敗を続けて成功体験は皆無。

 実験自体を忌み嫌っていても不思議ではない。

 ただ、ファイは実験が好きだった。

 

 手を退かすと、溶液は姿を変えて無力透明になっており、シュワシュワときめ細かい泡を出している。

 ファイには確かに<錬金術師>の力が備わっていた。

 【錬成アルケミッド】が使える。

 溶液が光を放つ。

 溶液が変質する。

 この全てが<錬金術師>であるということの証明。

 それを実感できるからファイは実験が好きだった。

 ”好きこそものの上手なれ”とは叶わぬ理想だろうか。

 ファイの実験に良い結果は伴わない。


 フラスコの中の溶液は先程までと違って激しくジャバジャバと泡を出している。

「あぁこの反応か・・・」

 ファイはギリギリまで目を離さない。

 その全てを手帳に記録するため。

 激しい泡だけに収まらず溶液は湯気を立てる。

 耐えかねたフラスコにピキンとひびが入った瞬間。

 眩い光と少しの衝撃波を放ちフラスコは粉々に砕けた。

「この反応は前に近いものがあったよな」

 ペラペラと手帳を見返すファイは晴れた表情をしている。


 実験結果は今回も大失敗。

 計画の破綻。アイデアの再考。素材の集め直し。何より痛い。

 失敗には不愉快が目白押し。

 ファイは失敗が嫌いだった。

 それでもファイは実験が好きだった。

 ファイが失敗したときの反応には共通点があった。


 それは溶液が変質して莫大なエネルギーを放出すること。

 炎に、熱に、光に、音に・・・姿形を変えてエネルギーが弾け飛ぶ。

 ファイはそのエネルギーの煌めきを嫌いにはなれなかった。

 溜まった負の感情すらスッキリ吹き飛ばしてくれるような気がするから。

 失敗によって生まれるその反応があるから、ファイは実験が好きだった。

 端的に言うと失敗しているから実験が好きになってしまうが、それは違う。

 ファイは常に成功の先にある回復薬を作ろうとしてる。

 ただ、失敗の反応があるから諦めず、こんなにも実験を続けられたのだろう。

 結果と考察を手帳に書き終え、ファイはバチリと自分の頬を叩いた。

「よし!気を取り直して次のサンプルだ!」



 焚き火は白く燃え尽きている。

 ただ洞窟には日が射し、問題なく明るい。

 時間を忘れてファイは没頭していた。

 散乱するフラスコだったガラス片。煤まみれの体。削り取られ少し広がった洞窟。

 あれからいくつもの実験を行った。


 ファイはまだ実験を続けている。

 その傍らには黄金色の溶液が置かれている。

 それは2つ前の実験で【錬成アルケミッド】にて変質した溶液。

 溶液の状態のまま数時間が経つ。

 そう、失敗の反応が起こっていない。

 まさか・・・まさか・・・。

 ファイはチラチラと黄金色の溶液を観察しながら、別の実験をしていた。

 そんなファイの注意を引いたのは、現行の実験でも黄金色の溶液でもない。

 甲高い叫び声だった。

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