第2話
私はミミズクとフクロウの違いを雄弁に語れる男である。
イモリとサンショウウオの違いはわからないが、猛禽類に関して言えば私ほど語れる男はそう居ない。
そして私は分別のついた男である。
インターネットで『政治』と『宗教』と『野球』の話をしてはいけないように、この特技を披露する場面がかなり限られている事も、そもそも興味を持ってくれる人間が少ない事も、とうの昔に知っていた。
しかし、それでも時には空気を読まず言わなくてはならない時がある。
例えば岡崎弘子に電話でファミレスに呼び出されたとしよう。この場合は言ってもよい。なにも問題がない。
だが彼女が岡崎弘子の名を語り、かつ私の知る岡崎弘子ではない場合は話が別だ。紛らわしい事に私を呼び出した彼女は同姓同名の別人で、年齢も母と子ほどに離れていた。
呼び出した自称岡崎弘子は「女子大生です」私へそう言っていた。
そんな彼女と合流すること十数分。
ついに限界を迎えた私は「すみません」と抱えていた疑問を切りだした。
「あなた達は誰ですか?」
我ながら三文SF小説に登場する未来人みたいな台詞である。
しかし他に聞きようがない。話を切り出し、最初は冗談だと笑っていた反応が徐々に冷たくなっていく空気を私はひたすら耐えるしかなかった。
会話が途切れテーブルに緊張感が漂い出すのを肌で感じながら、その間全てを押し黙ってやり過ごそうとしていた私は岡崎の「冗談ですよね?」と脅すような質問に思わず背筋を正された。
おっかない。なんでこっちの岡崎弘子はこんなにも恐ろしいのだろう。
「すみません、本当なんです。朝起きたら全然何も覚えてなくて」
「まさかアナタまでR.B.シンドロームだって言うんですか?」
聞きなれない言葉に私は声が詰まった。
「あ、あーる? なんだって?」
「R.B.シンドローム。記憶が錯綜してしまうんです。自分が昔ブッコロ―だった時の記憶ありますか?」
私は頷いた。
「記憶と言うか、目が覚めたら人間になってたんですよ」
岡崎は頭でも痛そうに手で額を支えていた。短い溜息の後、そのまま彼女は言葉を続けた。
「鳥から人になるわけないじゃないですか。それも一晩で」
「いや、でも……」
「R.B.シンドロームはそう言う精神疾患なんです。もっとわかりやすく言うなら重度の勘違いです」
「勘違い? いやでも私は……」
「思い出せない記憶、あるんでしょう?」
御見通しと言わんばかりの台詞である。
「これ、アナタだけじゃないですからね」
「他にも自分がブッコロ―だと言う人がいると?」
「居ますよ、それも沢山」そう岡崎が喋り終えると同時に「私もそうなんです」と岡崎の隣に座っていた女性が口を開いた。
「大平雅代です」
座りながら大平はぺこりと頭を下げた。
よりによってその名を口にするとは。
大平も自分がブッコロ―だと思っている人間のひとりであった。だが
私にとってはそれ以上に彼女が名乗った名前の方に眩暈を覚えそうな気分である。
第一、私の知る大平雅代とはあまりに似てなさ過ぎている!
「私が知る限り、自分がブッコロ―だって言ってた人は少なくとも五人はいます」
そう教えてくれたのは岡崎である。
「五人、そんなにいるんですか?」
悪い夢なら覚めろ。覚めてくれ、そう私が必死に頭の中で念じていると、岡崎の隣に座っていた大平が「どうもブッコロ―でーす」と全世界を震撼させうるモノマネを披露した。
その出来は人類史上最悪のモノマネと言っても過言ではない、まさに恐るべきクオリティーの低さであった。この女はこの体たらくで自分がブッコロ―だと本気で思っているのか。その勘違いは朝から被害者妄想全開の私相手にすら憐憫の情を抱かせるほどである。
「とにかく」そう仕切り直したのも岡崎であった。
「このR.B.シンドロームには重大な問題があります」
「重大な問題?」
「みんな居なくなっちゃうんです、最終的には」
「居なくなる? それは死ぬって事ですか?」
「わかりません。ですが恐らくは……」
「マジですか」
どうやら私が置かれた状況は言葉を濁さないといけないぐらい悪いらしい。
いまいちピンとは来なかったが、放っておいたら確実に消えてなくなると脅されて怖くないはずもない。
「あっ、あっ……」
そんな中、突然大平は喉から声を絞り出すような奇声をあげて私へ指を指してきた。今度は何だとみてみると、どうも様子がおかしかった。
「大平さん?」
「岡崎ですけど」
「あなたじゃない、わかるでしょ……」
岡崎流のギャグのつもりか知らないが、今は構っている場合ではなさそうであった。
その横で震える大平は「それ、なんですか……」と何かに怯えていたのである。
大平の指はよく見れば私ではなく、私のすぐ前のテーブルへと向けられていた。
そこには誰が頼んだのか中身の入ったコーヒーカップが置かれており、飲み口が薄く濡れ、明らかに飲みかけであった。
「ティー、カップ……」
このコーヒーは私が頼んだものではない。
では誰が頼んだのか、私が尋ねると「コーヒーなんて誰も頼んでませんよ」と岡崎は断言した。
「私、遅刻して来ましたけど……その時はコーヒーなんてありませんでしたよね?」
「ええ」と岡崎は頷いた。
「店の人が間違って持ってきたんですかね?」
「そんな店員私は見てませんよ」と大平。その後に岡崎が「流石に店の人が持って来たら気付くと思うんですが……」と続けた。
確かにそう言われたらその通りである。
「なら突然テーブルから沸いて出て来たとでも言うんですか……それこそありえないでしょ、ははは……」
私の乾いた笑いが虚しく響くばかりであった。
その後我々は気味が悪いという理由で解散した。
大平が「これ以上、この場所にいたくない」と言い出して早々に会計を済ませたのである。結局私は彼女達に何の為に呼び出されたのかすらわからぬままファミレスを後にしたのであった。
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