第11話
月島明良(つきしまあきら)は、ゆっくりと目を開けた。
そうだ。
そうして自分は、階段の下で意識を失った。そのまま死んでしまいたかったけれど、残念な事に、近くにいた家政婦達に見つかってしまった。そして父に自分が『階段から飛び下りた』と報告が行ってしまった。
だが父は、対面を重んじ、自分が階段から落ちたのはあくまでも『事故』であり、『飛び降りた』という事は決して他言してはならない、と、自分が飛び降りたところを目撃した家政婦達にも、金を握らせて真相を語らせない様にした。
そして自分はこの病院に運び込まれた、そして……
そして、ここでも……
明良は顔を上げた。
目の前にはにこやかな笑顔の女性、完璧な美しさとスタイル、そして優秀な技術を持った医師、美作沙希がいる。だが……
彼女は、自分の出世と、報酬の為だけに、明良の事を診ているというだけだ。
結局彼女も『人形』という事だ。
「調子はどうかしら?」
沙希がカルテを手に問いかける。
「軽傷で済んで良かったわね、でも、これからは気をつけないとダメよ」
沙希が穏やかに微笑んで言う。大方自分の心をその笑顔で掴もうというのだろうが、明良はその笑顔を見ても何も感じなかった。
それからも、沙希は明良に対して『体調は良いか?』とか、『入院生活に不自由は無いか?』とか、そんな質問を投げかけて来た。
明良はそれら全てに対して、『問題無い』、『必要無い』と適当に返事を返した。そればかりで無く、『早く出て行け』という雰囲気も滲ませてやったのだが、この女はそれに気づいているのか、それとも気づいていて、敢えて無視しているのか、それは解らないが、しつこく居座ってはあれこれ質問したり、どうでも良いような話まで始めた、とにかく自分に気に入られようと必死、という事だろう。
明良はそれでも生返事を繰り返していたけど、やがて飽きて来た、いつまでもこんな『人形』と会話なんかしていたくは無い。
「……すみません、先生」
明良は言いながら、ベッドの上に横になった。柔らかいマットと、きちんと手入れされたシーツと枕、暖かな毛布、明良にはよく解らないけれど、きっと素材も一流なのだろう、まるで高級ホテルにある様なベッドの感触だが、それでも明良は何も感じない、大した事の無い怪我だというのに、無駄な金を使って、と、父に対して思っただけだ。
「……ちょっと、眠くなって来たので」
明良は言う。
「そう、それじゃあ失礼するわ」
沙希が言う。
明良はそれに何も言わずに、ただ無言で目を閉じた。
沙希はそれでも、自分に何か言っていたけれど、明良はもう聞いてもいなかった。やがて先の方も、何を話しかけても何も言わない自分に飽きたのか、それとも他の患者のところに行く時間でも迫っていたのか、からからと、なねべく音をたてないように引き戸を開けて、部屋を出て行った。
そして。
扉が閉まり、病室には静寂が訪れた。
明良は、ベッドに横になったまま、目を閉じていた、あの女を追い払う為の口実として『眠くなった』と言っただけだったが、ベッドに横たわって目を閉じているうちに本当に眠くなって来た。
明良はそのまま、ゆっくりと眠りに落ちていった。
同時刻。
喫茶スペースの一番端の席。他の利用客からも、院内を忙しく走り回っている医師や看護師からも見えない場所。
そこに、二人の男が座っていた。
一人は、白衣を着、この病院に勤務する医師である事を示すネームプレートを胸に付けた初老の男性だ、もっとも、それはほとんど形ばかりでしか無く、実際にはこの男は、もう何年間もまともに患者と接していない。
そして今。
その男の額には、大粒の汗の玉が浮かんでいる。
それを見ながら、その正面に座るもう一人の男。
穂刈直樹(ほがりなおき)は、にやりと笑っていた。
「気に入って頂けましたか?」
直樹は、目の前にいる白衣の男に向かって言う。
テーブルの真ん中、そこには一枚の紙が広げられている、直樹はその紙を、手にしたペンの先端でとん、とん、と叩いた。
「……ふざけるな」
目の前にいる白衣の男が小さい声で言う。こんな状況でも、他の患者や喫茶スペースの人間達に聞こえない様に、声を抑えるだけの理性が、まだ残っている事は、直樹にとっては意外だった、てっきり激しく狼狽するだろうと思っていたのに。
だが。
直樹はにやりと笑う。
そうで無ければ面白く無い。ジャーナリストとして、自分の持つ『力』で、この男をどれだけ苦しめて、追い詰めてやる事が出来るのか。
直樹はそう思って、にやりと笑っていた。
男は無言で、直樹を睨んでいる。
ややあって、その視線がテーブルの上に広げられた紙に向けられる。
『美人過ぎる女医の本性!!』
『実際には金持ちしか診ない守銭奴!!』
『金が無い、というだけで見放された患者は、県内外を問わず大勢!?』
そういう内容の、雑誌の記事の見本が、そこに広げられていた。
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