第7話
レジで会計を済ませ、のろのろした足取りで出て行く少年、切原和也(きりばらかずや)を、女医、美作沙希(みまさかさき)は、黙って見ていた。
やがて和也は、沙希にゆっくりと会釈をし、ロビーへと向かって歩いて行く。そこから何処に行くのかは、もちろん沙希には想像出来たけれど、それ以上彼を見守るつもりは沙希には無かった。
沙希はそのまま黙って喫茶店を出、自身も、医療関係者以外は入れない通路へと歩いて行く。
院内の通路。
一般の患者や、入院している患者も入れない、院内の医療関係者だけが入れる区画へと通じる通路、ここにはもう患者はいないし、今の時間は、他のドクターや看護師にも出会わない、周囲には完全に、沙希一人だ。
沙希は、ゆっくりと歩いていた足を止め、ゆっくりと……
ゆっくりと、息を吐いた。
そして。
ばんっ、と。
近くの壁に、拳を叩きつける。
「……何が、『千奈津の執刀が遅れた』よ、あのガキ」
不愉快だ。
沙希は思う。
ああ、全くもって不愉快だ。
「私を誰だと思っているの?」
沙希は吐き捨てる様に言う。
近くにある窓ガラスに、自分の顔が映り込んでいた。
「……っ」
そこに映っている自分の顔を見る、その表情は、怒りに満ち、酷く醜かった。
沙希は、軽く首を横に振る。
いつもの自分の表情に戻せ。
自分は完璧な医師だ。
新聞やテレビ、雑誌などにも取り上げられた事がある。
無論それは、医者としての実力故だ。
だがもちろんそれだけでは無い。
ガラスに映った自分の顔を見る。
何処か狐を連想させる、切れ長で釣り上がり気味の瞳。
肌の色は白く、シミ一つ無い。
そして白衣の上からでもはっきりと解る、すらりとした体躯と、肉感的な四肢。
この美貌から、世間では先の事を『美人過ぎる女医』などと言われて話題になっている。
そして今、この病院には、自分に治療して欲しい、という患者が、今では全国から来ているほどだ。
だが沙希は……
沙希は、それら全員を診てやるつもりなど無かった。
当然だ。
沙希は、ふん、と鼻を鳴らす。怒りの表情は消え、そこには……
そこには、下卑た表情が浮かんでいる。
「私にもしも……」
沙希は言う。
「もしも、診て欲しかったら、そして……」
沙希は、にやりと笑った。
「助けて欲しいって思うのなら、それなりの『もの』を用意しなさいよ」
沙希は、言う。
「……そうしなければ、たかが高校生の小娘一人なんか、いちいち助けるわけ無いでしょう?」
沙希は言い放つ。
そうだ。
自分は『優秀』な医者だ。この病院も今では、自分の患者達が落とす金で、かなり潤っているという。だからこそ誰も彼もが、自分に平伏すべきなのだ。
そして自分に助けて貰いたければ、それなりの金を出す、優秀な人間には、当然相応の物を渡すべきだ。当然だろう。
それが出来ない人間は、当然後回しになる。
あの時も、そうだったのだ。
沙希は、ふん、と鼻を鳴らした。
その日、沙希の元には二人の患者が運ばれて来ていた。
一人は、車に撥ねられた女子高生。
もう一人は、街の中央にある高級なマンションに暮らす若い男性、どうやらマンションの廊下で転んでしまったらしい。はっきりいえば、どちらが急を要する状態なのかは明らかだったが、この日は、街の工事現場で大きな事故があり、医師達が皆出払っていたのだ。
結局病院に残っていたのは、沙希一人。
そして……
沙希は、そちらの若者の治療を優先させた。
自分は、優秀だ。だがその当時、沙希は年若い女性、という事で、あまり他のドクターや院長達から、相手にされていなかった。その状況を変えるきっかけを欲していた沙希は、あえて金持ちの若者の治療を優先させた。
案の定、この若造は自分に感謝し、自分の意志としての実力を喧伝するのに一役買ってくれた、そこから沙希は、重篤な患者の手術なども任されるようになり、今の地位を手に入れる事が出来たのだ。
そうだ。
人間は、上を目指す生き物だ。
だからこそ……
「……私が『上』に立つ為に、何の役にも立たない存在は……」
容赦無く、切り捨てる。
自分は……
美作沙希(みまさかさき)は、それが許されている人間なのだ。
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