第3話

 池谷(いけや)総合病院。

 切原和也(きりばらかずや)が住むこの街にある総合病院。

 内科、外科、歯科、耳鼻咽喉科、眼科、精神科、とにかく色々な科がある総合病院だ、数年ほど前までは、あまりぱっとしない病院だったのだが、先代の病院長が老齢の為に現役を引退し、息子である現院長に代替わりしてから、大規模な改築工事が施され、あちこちから医者を呼び集めて、ここまでの大きさになったらしい。

 和也達も、風邪をひいたり怪我をした時など、よくここの世話になっている、カリスマと呼ばれる名医も、何人もここに勤務しているし、街の有力者やその家族達も利用しているのだそうだ。

 当然入院の設備も充実しているし、他県から重篤な患者が運ばれて来る事もあるらしい、今ではこの街のみならず、近くの県でも話題の、医療の最先端と言えるこの病院に、和也と優治は、学校帰りの放課後、毎日の様に訪れている。

 その理由は……

 その理由は、一つだ。


「で?」

 喫茶スペースの一番端の席。

 そこに、和也と優治は腰を下ろしていた、一応は入院患者や、病院の関係者以外の利用は禁じられている喫茶店だから、なるべく目立たない席に座ろう、と和也が提案した為だ。

「お前、そろそろ『告白』したのかよ?」

 優治がからかう様に言う。

「……何の話だ?」

 和也は、表情一つ変えずに言う。もっとも、実際には内心動揺していたから、それが出来たのかどうかは怪しいものだけれど。

「とぼけんなよー」

 優治はにやついて言う。

 和也は何も言わない。

「お前、今日なんでここに来たんだ?」

 優治のその言葉に、和也は軽く肩を竦め、横の椅子に置かれた学生鞄の中から、数枚のプリントを取り出す。

「『これ』だよ」

 和也は言う。

「僕とお前は、事故に遭って入院しているクラスメイトに、授業のノートとプリントを届けに来たんだ、因みに何故僕とお前が選ばれたのかと言えば、僕達はそのクラスメイトとは、所謂『幼馴染み』という関係であり、そいつもリラックス出来るだろう、という担任の判断に加え、僕達は現在帰宅部で部活も無い、そして僕とお前は、家に帰るのに必ずこの病院前を通るから、という条件が揃っているからだ」

 和也はすらすらと告げる。

 だけど優治は、まだニヤニヤ笑いを崩さない。

「……そんなのはもちろん、全部『建前』に過ぎない」

 優治が言う。

「確かに、お前の言っている事は、まあ一部は『事実』だ、実際に俺とお前はそいつとは『幼馴染み』だし家も近い、担任が俺達にプリントを届ける事や見舞いを任せるのは理にかなっているだろうね」

 ふふ、と優治は笑う。

「でも実際には違う」

 優治は和也を見る。

「何がだ?」

 和也は問いかける。

「だーかーらー」

 優治はふふん、と、腕を組んで意味ありげな笑顔を見せた。

「お前、まさか本当に、誰にも『気づかれてない』とか思ってるのかよ?」

 その言葉に、和也は何も言わない。優治はニヤニヤしながら言う。

「その『幼馴染み』、神藤千奈津(しんどうちなつ)の事を、お前、切原和也(きりばらかずや)は、小さい頃からずーっと『大好き』だったんだ」

 その言葉に。

 和也は、押し黙る。


 切原和也(きりばらかずや)。

 宇津木優治(うつぎゆうじ)。

 そして……

 神藤千奈津(しんどうちなつ)。

 優治の言葉通り、小さい頃から、和也とはずっと、小さい頃からずっと家が近所で、何かとつるんでいた所謂『幼馴染み』。

 そして……

 和也は、小さい時からずっと……

 ずっと、千奈津に想いを寄せていた。

 だけど……和也はずっとその感情を口に出す事が出来なかった、もしも……

 もしも受け入れられなかったらと思うと……そう考えて、なかなか勇気を出せなかったのだ。

 だから……

 だから……

 和也は、思わず目を閉じていた。

 そんな、いつまでも『一歩』を踏み出せないでいる自分に、ひょっとしたら神様が愛想を尽かしたのかも知れない。


 一年前。

 高校に入ったばかりの頃。

 和也と優治、そして千奈津は、小学校、中学校と同じ学校に通い、そして高校も、やはり同じ高校を受験した。かなりの偏差値の学校だったのだけれど、和也も優治も、千奈津に勉強を見て貰って、どうにか合格出来た。

 優治はその当時、この高校の柔道部が、かなり優秀である事を聞いて『入りたい』と言っていた。

 だが……

 和也が、この学校に入った理由は、実に簡単だった。

 千奈津が、いたからだ。

 彼女と一緒にいたい、告白する勇気も無いくせに、和也はその思いだけで、どうにかこの高校を受験し、そして合格したのだ。


 そうして入学してから、一月ほどが過ぎた頃。

 その日の放課後も、中学時代、あるいはもっと前からそうしているように、三人は一緒に帰路についていた、『勉強に集中したい』という理由で帰宅部の千奈津と、どの部活にも入っていない和也、二人は柔道部で練習中の優治を待って、三人で大通りを歩いていた。

 その日も、いつもの三人の日常が繰り広げられていた。

 優治が何かと和也をからかい、それに和也がムキになって声を張り上げ、優治もそんな和也に向かって大声を出し、ぎゃあぎゃあ言い争いを始める二人を、千奈津が窘める。

 そんないつもの光景が、その日も繰り広げられていた。

 きっと……

 きっとこの光景は、明日も、明後日も、その次も、そしてこれからもずっと……

 ずっと、続くのだろう。

 和也は、そんな事を思った。

 そう。

 その時の和也は本当に……

 本当に、幸せだったし、穏やかな気持ちだった。この光景がずっと続いていく、自分達三人は、ずっとこうして仲良く一緒に過ごして行くのだ、と。

 この幸せに勝るものなんか無い。だから……

 だから、自分は……

 自分は、千奈津に対して告白なんかしなくても……

 そんな事考えていた時だった。


 キキキキキキキキキキキッ!!


「っ!?」

 突如として……

 和也の。

 優治の。

 そして、千奈津の耳に。

 甲高い、タイヤの摩擦音が響いた。

 和也は顔を上げる。

 乗用車が一台、こちらに突っ込んで来ていた、和也は咄嗟に身体を硬くした。運転席にいた中年の男性が、慌てた様子でハンドルをぐるぐる回すのが見え……

 そして。


 ど……


 和也の真横で聞こえたのは……

 何かがぶつかる様な音。

 そして……


「……あ」


 小さく。

 それでも、はっきりと聞こえた少女の声。

 それを……

 それを和也は、一生忘れる事は出来ないだろう。

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