第4話  変更した予定

「着きましたよ」

「ここかぁ……何か良さそうなお店ね! ありがとう。レイジさん」

「どういたしまして」

 

 エンジンを止め、ガチャリと少し重い扉を開けると、少し暑い空気が車内へと入り込んでくる。今日の最高温度は二十六℃。まだ夏ではないが、南風だからかやや蒸し暑さを感じる。レイジはサングラスを外すと、少し眩しそうな顔をしながら目的地に建つ建物を眺めた。


 車から降りたマリアが背中を伸ばしていると、風が少し緩めのパーマをかけたセミロングのダークブラウンの髪をふわりと巻き上げる。首筋を撫でてゆく風に湿気を感じる。明日から雨だと天気予報が言っていたのを思い出し、ああ今日は晴れで良かったと、青年の胸は少し軽くなった。

 

 二人の目の前に建つ建物。

 少し坂を登った先に建つそれは、老舗感漂う渋いレンガ造りの洋館だ。蔦が巻き付いた感じはまるで建物を覆い尽くすかのようで、どこか隠れ家的な気分にさせてくれる。

 この店の開店時間は十一時。レイジが時計をちらりと見ると十一時を少し回ったあたりだった。ちょうど開店したばかりのようである。


「ちょっと早く着きましたが、入りますか?」

「そうだね。今ならまだ人が少ないから、落ち着けそうだし」


 二人が入り口の戸を開けると、ちりりん……と、ベルの音が店内へと軽やかに鳴り響いた。


「いらっしゃいませ~」


 真っ白なブラウスと黒のネクタイ、紺色のウエストコートとギャルソンエプロンに身を包んだ店員が、にこやかに彼らを席へと案内してくれた。流石にまだ客の姿は見えない。どうやらマリア達が一番乗りのようだ。彼女は心の中でサムズアップした。


 ホワイトベージュに塗られた壁、柱や天井には木材を使ってあり、店内には穏やかな空間が生みだされている。流れるBGMは厳かなクラシックだ。高台にある建物なので窓からの眺めもいいし、どの席でも雰囲気を楽しめそうである。


「……ごめんねレイジさん。本当は私の会社の近くにあるお店を紹介したかったんだ」

「たまたま定休日だったのなら、仕方ないですよ」


 眉毛をやや下げ気味なマリアに対し、レイジは目元を細めた。


「そのお店はまた今度一緒に行きましょう。一つ楽しみが増えて、良いではありませんか。俺はマリアさんとまさかちょっと遠い場所へのドライブまで一緒に出来るとは思わなかったから、とても嬉しいです」


 本当に、嬉しそうな笑顔をさらりと見せる青年の顔を見て、彼女はほっと胸をなでおろした。


 今日は元々勤務先の近くにある喫茶店にレイジを連れて行こうと思っていたのだがたまたま定休日だった為、急遽別の店に切り替えたのだ。どうやら今日はホームページに書いてある「不定期の定休日」だったらしい。そこで彼が知っている別の店に行こうと提案したのだ。


 その店はどの時間帯に行っても混雑する人気店とブログにも書いてあったが、少し急げば開店時間近くにはたどり着けるだろうとレイジはにらんでいた。開店してすぐならば、店内はさほど混んでいないだろうと。


「お昼には少し早いけど、何か頼みますか?」

「そうだね……て、どれも美味しそうだから凄く迷うなぁ……え、何これ、“復刻版”メニュー!? 凄く気になる〜」

 

 メニューを覗き込むようにして目を輝かせているマリアを見ながら、レイジは自分の前に出されている、水の入ったグラスを手に取った。


 この店は、喫茶店に目のない彼の同僚が先日話題に出した場所だった。珈琲が売りの筈だが洋食屋の顔も持つこの店は、どの料理も美味しいと評判らしい。マリアも自分も珈琲が好きなので、いつか一緒に行けたらと思っていたのだ。そのタイミングが突然降ってわいてきた。絶好のチャンスだ。

 店内はサイトの写真で見ていた以上にアンティークな空間で、優雅な気分を味わえそうである。しかも、大きな窓から見えるのは緑の木々と青空のコントラストが映えた絶景だ。因みに彼女はレトロなお店が大好きである。そのことを思い出した彼は、満足そうに口元に弧を描いた。


 マリアは復刻版メニューの一つである、ハンバーグステーキとエビフライとチキン南蛮がメインの定食を、レイジはこのお店の名物である具だくさんの海鮮ちゃんぽんを注文することにした。


「ここ珍しいのね。喫茶店なのにちゃんぽんが名物だなんて」

「同僚からここのちゃんぽんが好きだと聞きまして。でもどのメニューも凄く美味しいから選ぶのは毎回迷うと言ってましたよ」

「そうなんだ! とっても楽しみ!」

 

 やがて、二人が頼んだメニューが運ばれて来た。

 

 鉄板の上に乗っているのは大ぶりのエビフライに、湯気の立つふっくらとしたハンバーグ、チキンの南蛮焼きに自家製のタルタルソースがたっぷりとかかっていた。ハンバーグ用だろうか。少し白味がかったソースが別の容器に入って添えられている。それに真っ白なごはんとお味噌汁、小鉢に漬物がついてきた。


 早速ハンバーグを二つに切り分けてみると、中から透明な肉汁が溢れてきた。それを添えられていた特製ソースにたっぷりつけて口に入れると、程よい酸味と肉の旨味が口の中に広がってきて、マリアは目を丸くした。


「ここのハンバーグ、しっかり火が通っているけど肉汁もたっぷりで凄く美味しい! あとこの……何だっけ、特製ジャポネソース? 程よい酸味が何か癖になりそう!!」

「それは良かったです。見た感じ、盛り付けも凄く綺麗ですね。メインの添え物としてオクラとなす、カリフラワーにさつまいものグリルされたのが品よく飾ってあって、ボリュームも女性に多過ぎず少な過ぎず……というところでしょうか」

「そうね。最初食べきれるか凄く気になってたけど、これ位なら私大丈夫。エビフライは衣がサックサク! チキンも柔らかいし、このタルタルソース凄く美味しい!! ……て、レイジさんのは凄いボリュームだね。大丈夫?」

「量が分からなかったから試しに小サイズにしてみました。どうやらそれで正解だったようですね」


 一方、レイジが頼んだ海鮮ちゃんぽんは具材の量が凄かった。エビやイカと言った海鮮をはじめとする具材がどっさりと入っている。メニューによると十七種類もの具材が入っているそうで、見るからに贅沢で豪勢だ。並サイズでは恐らく通常で言う大盛りレベルだと思われる。レンゲで一口スープをすすると、レイジは二・三回ほど目を瞬かせた。


「このスープは鶏や豚……かな。見た目より薄味で、上品な味わいです。具材から出汁が良く出ていて、とても美味しい……」

「流石に名物というだけあるね! 洋食メニューかちゃんぽんかだなんて、それだけでも選ぶの迷うものばっかり!」

「ははは……確かに、これメニューを選ぶのは難しいですね。麺はもちもちしていて、歯ごたえもあって美味しいです。ちゃんぽんを頼む方が多いのも、頷けます」


 二人はしばらく口と手を動かしていると、最初静かだった店内がやがて賑やかになってきた。周囲を見渡してみると、店内のテーブルは全て客で埋まっており、順番待ちの客が出ている状態だ。あれからまだ一時間も経ってないのに、凄い客足である。本当は珈琲も頼みたかったが、これではちょっと気が引ける。


「……ねぇレイジさん。珈琲はまた今度にしない?」

「……そうですね。マリアさんがそれでよければ。次また一緒に来られる口実が出来て、俺は嬉しいですよ」

「レイジさんたら……」


 何だか、くすぐったい。どうしてレイジはこういうことを水が流れるように言えるのか不思議だなと思いつつ、この店にまた来たいなと素直に思うマリアだった。

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