第5章、初恋の人

第13話「出逢い」



 君は今、何をしているんだろう。


 絶対に後悔しない選択をするなんてことはできない。自分の目の前に複数の道があって、どれかを選ばなきゃいけないんだとして。選んだ道が、完全に舗装された欠点ひとつない道であることはあり得ない。選んだ道を進む半ばで、何度か必ず思い返す。


『違う道を選択していたら、こんな苦しい想いをしなくても済むのに』


 でもどんな道でもそれは同じ。選択し、進み始めた時点で決まっている。これを『後悔』と呼ぶのならの話。

 『後に悔いる』ことが決定しているのなら、大事なのは『今』であると私は思う。選択を迫られた時、必死で考え抜き、直観と理性と、その時々の自分にある全てを動員して、最善だと思う決断をする。

 そして、選んだ道の途中で振り返り、別の道を歩む自分を羨む時、必ず思い出す。選択をした『過去の今』の自分が、自分自身を奮い立たせてくれる。


『この道を選ぶ以外あり得なかった』


–––––––––こんなことを教えてくれたのは、誰だったかな。でも、今になって分かる。私は、これからこの選択を悔いることが多々あると思う。過去の自分を引っ叩きたくなるくらい、辛い気持ちになると思う。

 でももし、『あの時の今』に戻ったら、きっと同じ選択をする。だから、何度振り返り、何度立ち止まっても、私は私の道を歩き続けるよ。


 「私にもできるよね、ケイ。」



 あの日、君と出逢った日。

多分誰もが経験するくらいの、ありきたりな出逢い。

でもなぜか鮮明に覚えてるの、まるでそれが運命みたいに。

運命なんてないって、君はきっと言うのにね。





【ユウナの記憶】


 

 初めて会ったのは、小学3年生の時だったと思う。1、2年生の頃は別々のクラスだったけど、3年に上がるときのクラス替えで一緒になった。最初は出席番号順で席が決まってて、ちょっと近かったけど、積極的に話しかけるほどの距離でもなかった。

 君は、いつも暗い表情をしていた。でも、その目は優しかった。私はそんな君に惹かれていった。でも小学生なんて、自分の気持ちを言うのがすごく恥ずかしいし、みんな君に話しかけてなかったし。そんな理由をつけて、私は君をただ見ているだけの日々を過ごした。

 君は時々学校を休んだ。でも、長い期間休むこともなかったし、男の子の友達も何人かいたし、学校が嫌なわけじゃないんだなと思った。たまに君は明るい表情を見せてくれた。私にじゃなくて、友達に。そんな君を見て、私まで嬉しくなった。

 でも、時々君はいつにも増して暗い表情を見せる時があった。いつもの優しい目もない、絶望に満ちたような顔。クラスのみんなも気づいてて、先生もそっとしていた。そんな君を見て、私まで悲しくなった。


 ある日、私は勇気を振り絞って君に話しかけることにした。君が明るい表情をしている日、私は君に話しかけた。

「ねぇ、私のこと分かる?同じクラスなんだけど!」

君は笑顔で答えた。

「もちろん、赤星ユウナ。分かるよ、いつも俺のこと見てるじゃん。」

顔が真っ赤になった。初めて話しかけたのに、

勇気を振り絞ったのに、ちょっと馬鹿にされた。

私は怒ったような顔をした。でも、内心はとっても嬉しかった。

 ある日、また君に話しかけることにした。君が暗い表情をした日に、元気付けてあげようと思った。

「ねぇ、私が一緒に遊んであげよっか!」



 君は私を見て、その後急に倒れこんだ。そこから、5年間、君は起きることはなかった–––––––––。 

 


 原因不明だった。正常に呼吸をしているし、身体に異常は見当たらなかったと当時の医者は言っていた。クラスメイトのみんなでお見舞いに行った。クラスメイトの誰かが言った。

「夢見て寝ているみたいだね。」

でも、私には君が苦しんでいるように見えた。

 

 それから私は、毎日ではないけれど、行ける日は必ず君のお見舞いに行った。君が目を覚ました時、すぐに謝りたかったから。あの日、君はあんなにも苦しそうにしていたのに、軽い気持ちで話しかけてごめん、って。

 お見舞いに行くと、たまに男の人がいることがあった。見た目が怖くて、最初はその人を見るとエントランスに逃げて、誰もいない隙に君のところに行った。でも、ある日またその人を見つけた時、たまたま目が合ってしまった。私が怖くて動けないでいると、その人が近づいて話しかけてきた。

「君、いつもケイのお見舞いに来てくれてる子だよね。ありがとうな。」

見た目とは反対に、優しい声だった。話していくと、その人が君のお父さんだって判った。全然似てない。君はお母さん似なのかな。

 私はそれからお父さんに会う度、君の話を聞いた。まだ君が幼稚園に通っていた頃、交通事故でお母さんを亡くしてしまったこと。それ以降、君が児童養護施設に預けられるようになったこと。


君が、とっても明るい子どもだったこと。


 私は、お返しに『私から見た君』の話をした。とても暗い子だったこと。時折笑顔を見せること、それと同じくらい時々もっと暗い顔をすること。お父さんは驚いていた。施設に入るまでは、そんな暗い顔をするじゃなかったのに、と。施設では、親に会うことはなぜか禁止されていたらしい。通っている学校に行くことも許されていなかったそう。君のお父さん、お母さんが亡くなる直前に離婚していたんだってね。だからなのかな、会うのが許されなかったのは。

 ほとんど毎日君に会いに行ってたら、いつの間にか5年も経っていた。もちろん友達といっぱい遊んだし、中学に入ってもそこそこ楽しくやってた。中2の初めにクラスの男子から告白された。付き合うとかよくわからなかったけど、とりあえずOKした。私は君のお見舞いに行き続けた。それを知った彼氏に怒られた。なんでダメなのか、当時の私には良くわからなかった。その男子と付き合ってから1ヶ月くらいだったと思う、女子の何人かが急に私と仲良くしようと近づいてきた。でも別れてから、ちょっとだけいじめられた。正直、いじめられることなんて気にしてなかったし、どうでもよかったけど、君のことを馬鹿にされるのだけは許せなかった。

 私は、不登校になった。それでも君に会いに行き続けた。


 夏くらいの、ただいつも通り君に会いに行った日。


–––––––––君は、物憂げに窓の外を見つめて座っていた。


 涙が止まらなかった。声なんて出ない、でも息が苦しくなるくらい。私の後ろから次々と医者や看護師が入ってきた。前代未聞だったんだろう、5年間も眠っていて突如目覚めたのは。何をしていたのか分からなかったけど、何時間も病室に入ることはできなかった。

 外でまだかまだかと待っていると、遠くから声が聞こえた。

「ユウナちゃん!」

君のお父さんだった。君が起きたって聞いて飛んできたのだそうだけど、父親でもまだ中に入ることはできず、2人でソワソワしながら待機していた。

 病室前の椅子でひたすら待ち続けた。多分二十時くらいになって、ようやく扉が開いた。


 

–––––––––君は、何も覚えていなかった。


 自分が何者であるのか、これまでどんな人生を歩んできたのか。私と君のお父さんは、笑顔でいようと努めた。だって君は、記憶を失ってもなお暗い顔をしていたから。私たちは笑顔を見せながら、涙が止まらなかった。

 君のお父さんは、君の記憶がなくなって、辛かったんだと思う。でも私は、記憶なくなって良かったかもって、内心思ったりした。だって、君はもうあんな暗い顔をしなくて済むんじゃないかって、そう思ったから。でも君は今、また暗い顔をしている。自分がなんでそんな表情をしているのかも分からずに。

 だから、私は決めた。この5年間で決めた。ずっと君のそばにいようって。まだたった十四年しか生きてないのに、ずっとそばにいようとか、馬鹿げてるとか思った。でも心から思ってしまったの。私は涙をぬぐい、君の手を握りしめた。


「大丈夫、私がいるよ。」

「あ、ありがとう、、、ございます。」


君はちょっとだけ恥ずかしそうに答えた。



 それからしばらくして君は退院した。記憶を失っていたから、前の小学校と同じ地域の中学には通いたくなかったんだと思う。少し離れた別の中学に編入することになった。そして、私もそうした。

 中学でも同じクラスになった。それだけでも嬉しかったけど、君の表情は日に日に明るくなっていって、それが一番嬉しかった。君はすごく人気者ってほどじゃなかったけど、前より色んな子と話すようになった。それもちょっとだけ嬉しかった。

 私と君は毎日一緒に学校から帰った。そんなにいっぱい話すわけでもない。ちょっと喋って、黙って歩いて、またちょっと話す。そのくらいの雰囲気。それが心地よくて、幸せだった。君もそう感じてくれてたらいいなって思っていた。

 私はずっと君が好きだった。でも今更恥ずかしくて、改まって『好きです』なんて言えなかった。でもいつだったか、中学3年の夏くらいに、友達から、

「ユウナって久坂くんと付き合ってるんでしょ?」

って言われた。

「えっ?誰が言ってた?」

って聞き返すと、

「え、誰って、久坂くんから聞いたって、クラスの男子が、、、違うの?」

「えぇいや!うん!付き合ってる、、、よ!」

自分でも顔が真っ赤になるのを感じた。体温が上がってく感覚ってこんなに感じ取れるものなの!?また君にしてやられた。あんなスカした顔して、、、嬉しい。その日はよく眠れた。


 でも次の日、君はちょっと暗かった。今までもそんな日が時々あった。聞かないようにしていたけど、なんだか変に自信があって、質問してみた。

「ケイ、今日暗いね、なんかあった?」

「あぁ、いや実際にはなんもないんだけど。時々夢を見るんだよな。すげぇ悪い夢。俺が、実験台にされてるんだ、何か、何か悪いことの。よく覚えてないけど。あんま思い出したくないな。」

「大丈夫!無理して思い出さなくても。あ、駅前に美味しいパン屋ができたの。一緒に行かない?」

「ん、あぁ、行くか。」

 君の悪い夢。きっと小学生時代の、絶望の表情に関係しているんだと思った。やっぱり本当に辛かったんだ。忘れて良かったのかも知れないと、また思った。こうして君と一緒にいられるのも、そのおかげ。でもやっぱ君の暗い表情の理由、聞けて良かったな。詳しくは分からないけど、君が話してくれるのが、こんなにも嬉しい。

 

 君とは高校も同じところに進んだ。私はあまり頭が良くなかったから、とにかく頑張った。高校生活は楽しくて、あっという間に過ぎて行ったけど、一つだけ気になることがあった。

 君は、お父さんに会っていなかった。それを私は知っていたけど、理由は聞かなかった。言いたくない理由があると思ったし、何でもかんでも人の心にズカズカ入ってくる人は私も好きではなかったから。

 でも高2のいつの日か、いつもみたいに一緒に帰っていると、君は突然打ち明けてくれた。

「俺さ、怖いんだ。過去の自分を知るのが。」

「過去が怖い?」

なんとなく察しがついたが、ひとまずは聞くことにした。

「ユウナはさ、過去の俺、ほとんど知らないだろ。ちょっとしか喋ったことないって自分でも言ってたしな。親父とか、親戚とか、俺の昔を知ってる人に会うのがちょっと怖いんだ。今でも、悪い夢を見るんだ。そこに出てくるのは幼い俺。きっと、記憶喪失以前の俺だ。だから、昔と向き合おうとすると、思い出さずにはいられないと思うんだ。悪夢の中の俺を。だから、怖い。」

黙ったまま、私は君の前に立ち塞がった。言い方は変だけど、ポーズ的にはそんな感じ。そして、思いっきり抱きしめた。周りの目なんか気にせずに。そして、言うの。



「大丈夫、私がいるよ!」



 君は、少し戸惑った後、それを誤魔化すような余裕の笑顔で言う。



「ありがとな。ユウナも安心してくれ、俺がいる。」



 私たちの出会いは、運命みたいだった。


 

 



君も運命みたいって、思ってたのかな–––––––––。





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