第3章、そして、『世界の敵』となる

第7話「ラストキス」

 あれからしばらく夏目先輩は大学を休んだ。俺は研究室に行くこともなく、ただ無機質な生活をしていた。心にぽっかり穴が空いたようで、気づけばもう蝉が鳴く頃になっていた。

 俺は最後の夏目先輩の言葉がずっと気にかかっていた。

「俺がアンドロイド、、、か。ははは。」

思わず漏れた声に、すぐ後ろからよく知る声が反応したのが聞こえた。

「ん?アンドロイド??」

反射的に振り向くと、ユウナが不思議そうな表情をして、腰の後ろで手を組み立っていた。

「なんだ、ユウナか。」

「なんだとはなんだ〜。久しぶりに一緒に帰ろっ。」

「そうだな、今日は特に何もないし、帰るか。」

 そういえばユウナとちゃんと話すのは久々であることに気づいた。ごく自然な流れで一緒に帰ることになったが、思い返すとあの大型ドロイド兵機=『タイタン』の襲撃以来、まともに話していなかった、と思う。それもあってか、黙ったまま少し気まずい時間が流れる。

「最近、サークル行くのやめたんだね。」

ユウナが沈黙を破る。

「あぁ、うん。まあそもそもタイタンが暴れて以降サークル自体ないからな。行こうとしても行けないよ。」

「うん。でも研究室に行き続けてたの知ってるよ。それでも最近は行かなくなってる。」

俺の答えの穴を、ユウナはすかさず突いてくる。

「なんだ、知ってたのか。まぁ、色々あってな。」

「色々って何?」

「色々だ、色々なんだけど、俺もよく分からないんだ。」

実際に、自分でも本当によく分かっていない。どうして俺は今までこんなことをしてきたのか。記憶と感情が結びつかない。

「な〜にそれ、ふふっ。」

不思議そうな顔を浮かべたあと、彼女は微笑んだ。久々にユウナの笑顔を見た気がする。いつ以来だろうか、彼女の笑顔を横目に見ながら家に帰るのは。感傷に浸りながらも、黙ったまま歩き続けた。


 しばらく歩くと、大学の最寄りについた。毎週のように大学に通っているはずなのに、2人でここに来るのもあの襲撃以来だ。やはり、ここに来ると複雑な気持ちになる。それは、彼女も同じようだった。

「ねぇ、ケイはさ。アンドロイドが憎い?」

立ち止まった彼女は不意にそう尋ねてきた。以前、夏目先輩にも同じ質問をされた覚えがある。その時はなんて言ったっけな。

「憎い、のかもしれない。分からない。憎しみみたいなでかい感情が自分の中に居座ってるのは感じる。ただ、、、」

「ただ、、、?」

少し空いた間をユウナが不思議がる。

「それが奴ら『アンドロイド』に向いたものなのかが分からない。それに、憎しみの行き先だけじゃない。自分自身が何者で、何をしようとしてきたのか、最近分からなくなったんだ。これが俺が研究を最近やってない理由になるかな。」

俺は、本当に今思っていることを答えた。また夏目先輩の最後の言葉が頭を過ぎる。アンドロイドって、なんなんだろうか。

「そっか。私も、、、私も分からなかったよ。自分の中でどんどん大きくなっていく、この気持ちがなんなのかって。最初はただアンドロイドのせいだと思ってた。でも、分からなくなっていったの。」


 ユウナの目に涙が浮かんでいくのが見えた。彼女がこんなにも哀しそうに泣くのを、俺は初めて見た。夏の夕暮れに学生たちが行き交う電車のホームの中で、飛び抜けて美しく、そして儚い姿だった。


「でもね、違うの。分からないんじゃない。受け入れたくないだけなの。この気持ちがなんなのかくらい、最初から分かってた。」


彼女は深く息を吸い込み、そして涙を浮かべながらにして微笑んだ。


「私はね、周りの全てを憎んでしまったの。アンドロイドだけじゃない、君も、君の周囲も、私自身でさえも。ケイがサークルに入るって言った時、『君はどうして私を見てくれないんだろう』って。自分たちが生き延びた理由を君だけが探して、『なんで私を頼ってくれないんだろう』って。夏目先輩と君の楽しそうなところを見てると、『あ、私要らないんだ』って。私はもう、君の彼女じゃないんだって、大切な人ではなくなってしまったんだなって。こんな醜い気持ちがどんどん湧き出てきたこと、認めたくなかった。でも、私にとって君の存在が大きすぎて、それでもまだどんどん大きくなって、もうぐちゃぐちゃになっちゃった。それでもこの気持ちは隠すしかなかった。私の大好きな君が、こんな醜い気持ちを知ってしまったら、もう元には戻れないって、分かってたから。」

最初は努めて微笑みながら話していた彼女だったが、微笑み続けるには涙の量が多すぎた。

 俺は、ユウナを強く、強く抱きしめた。ただただ自分に腹が立った。俺は自分しか見えてない、なぜ一番近くにいる人をこんなにも悲しませているのに、それに気づかず過ごしてこれたんだろう。今さらごめんなさいだなんて、そんなことが言えるような立場ですらない。

 

–––––––––そうか。俺は、ずっと俺が憎かったんだ。今だけじゃない、今までずっと。




「ねぇ、こっち見て?」

抱きしめている腕をほどいたユウナの方を向き、額を合わせる。

彼女の唇が、俺の唇にそっと触れる。それはたった一瞬で、儚くも幸せが凝縮されたような瞬間だった。

「実はさ、初めてなんだよ?知ってた?」

目の下が真っ赤な彼女は、再び微笑んでいた。

「そりゃ、まあな。当たり前だろ。初めてがユウナからとは思ってもみなかったけどな。」

少し目線を逸らしつつ答える。

「ふふっ。確かにっ。」


 2人電車に揺られながら、俺はこれからのことを考えていた。今の俺には、何も背負えない。そんな覚悟が全くない。ユウナと一緒にいる権利すらないだろう。

 電車を降り、それぞれの家へと向かう岐路で止まった。

「ねぇ、私たち、別れよっか。あ、もう既にそうなのかもしれないけど、あはは。」

突然の言葉に俺は少し戸惑った。でも、よく考えれば当たり前だ。今の俺が彼女と一緒にいていい理由なんて、どこにもない。

「うん、、、、そうだな。その方が、お互いにとってもいい。」

彼女は俺の表情を見ては、優しく微笑み続けた。

「私さっきさ、この醜い気持ちを話したら元には戻れないって言ったでしょ?それは別れる覚悟で言ったの。そして、今の君の気持ちを当ててあげる。きっと君は今とんでもない責任感に駆られているよね。『自分がこんな思いを相手にさせて、、、』とか、『俺がもっと早く気づいていれば、、、』とか。思ってるでしょ。ふふ。でもね、違うよ。私は、今までの醜い気持ちも含めて私自身なの。受け入れて、次に進む。私自身に気づけたのは、君のおかげなんだよ、ケイ。君のおかげで私は自分の道を進むことができる。本当にありがとね。私は、ケイが大好きだから。でも、私たちはきっと違う道を進むの。こんな変わった『大好き』も世界中探してもなかなか無くて素敵でしょ?だから、泣かないで。」

途中から俺の視界にはぼやけたユウナしか映っていなかった。泣かないでと言われた時、初めて自分が顔をしわくちゃにして泣いていることに気がついた。そして、この別れがユウナにとってどれだけ大きな決断であるかを知った。それと同時に、俺にとっても大きな決断にしなければならないと思った。

「ユウナ、俺も過去、そして今の自分自身を信じることにするよ、最低な自分もな。今までやろうとしてきたことは、きっと自分の心からの行動だ。良くも悪くも、それは揺るがない。俺も、自分自身の道を進む。泣くのは今日が最初で最後にするよ。」

「あれれ、卒業式の日泣いてたくせに。」

「そうだっけか、はははっ。」


 そしてまた、唇を重ね合わせる。初めての時よりも、ほんの少し長かっただろうか。いや、短かっただろうか。

「ラストキスだね、これ。」

「最初と最後の間隔、短すぎだな。」

「それも素敵じゃない。」

「うん、最高だ。」

「じゃあ、またね。」

「うん、また。」


 俺たちは、決して振り返ることなく別れた。


–––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––



別れる前に、最後に彼の笑顔が見れて良かった。

もしも、あの辛そうな、哀しそうな表情のまま別れを告げてしまったら、私は彼と出会ったことまで後悔してしまいそうになるから。

あぁ、またこうして後悔するかしないかとか、自分のことばかり考えてしまう。

でもいい、私は私だから。

全部自分のために考えたっていいよね。

だって、自分に正直じゃないと、いずれ壊れちゃうから。

ちゃんと認めてあげなきゃいけない、『自分が思っていること』。

だからこそ、本物だってわかる。

『彼のことが大好きで、誰よりも大切』だと。これだけは決して揺るがない。

私の道を進む、なんて偉そうなこと言ったけど、本当は道なんて見えてないんだ。

でも、現状に踏みとどまっていた私が、道が見えなくとも歩き出す覚悟ができたんだよ。

彼のおかげで進むことができる。

別々の道だけど、どこに行き着くかなんて分からないよね。


–––––––––もしかしたら、『いずれ交わるかもしれない』、なんてね。



––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る